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寝たきりが初めて投げたドッジボール

皆さんどうも、ウッディです。

昔電動車椅子サッカー選手になりたかった私。

身体が全く動かないくせに運動とかスポーツは割と好きな人間だったんです。

でも自分は絶対にできない
それは今も思っています。

幼い頃に一度だけ。
もしかしたら…自分みたいな人間でも希望を抱いても良いのかな…と思った出来事がありました。

健常の世界で育つ

私は小学三年生までは地元で暮らしてたもののそこからのち、地元を離れ、入院、そして転校します。

今回お話しするのは私がまだ地元で暮らしていた時の話。

私は幼稚園の頃から健常の子達と同じ環境で育ちました。周りには自分しか車椅子の子はいない。

幸いだったのは僕が友達に恵まれていた事でした。

障害があるからと腫れ物のように扱うわけでもなく、ただ同じく遊べる事で遊んでくれたり、みんなが話しかけてくれた。

それは幼い子供だからこそ偏見がなかったのかもしれない。

そんな恵まれた世界で生きていた私もどうしても乗り越えられないハンデがありました。

それはプールや運動の時間。

健常の子達は走ったりスポーツしたり泳いだり出来るけど僕の場合そもそも参加すらできない。

気管切開をしてからは特に。

スポーツは外から眺め、運動会は空気感を楽しみ、プールはプールサイドで羨みながら眺める。

そんな幼少期だった。

でも不思議と悔しくも不快感もなかった。

自分は人と違う部分も理解していたし
ただみんなといれればそれでよかった。

ただ、同じ空気が楽しめたらそれで良い、とどこかで自分を言い聞かせてた部分もあるのかもしれない。

そして小学校に上がる。

少しでもみんなと同じ道を

最初にいた小学校も普通学校だった。

数人は障害を持っている人はいたものの学年がバラバラで周りにほとんどいないに等しかった。

小学校に入ると友達もより増えて、自分の居場所というのが出来た気がする。

この頃はまだ体調も安定しておらず入退院を繰り返していた時だったけど、元気になって学校に行くとみんな優しく迎えてくれた。

そんな学校が大好きだった。

人よりできないことが多い分、出来る事はせめてみんなと同じレベルになりたいと思っていた。

だからそれなりに勉強はこだわってやっていた気がする。

成績も悪くなかった。
手も積極的に上げてた。

休み時間はみんな話しかけてくれるし遊びに色んな場所も回った。

そんな楽しい生活の中でも。
小学校でも同じ感覚に陥ったのはやはり体育の時間。

小学校なんか特に動きが活発になるのでまあまず見学以外の選択肢がない。

あまりに激しい運動の時は別の教室で個別に授業をしていた。

この時も、まあこんなもんなんだろうと自分に言い聞かせていた気がする。

自分は人とは違うのだと。

そんな日々を送っているある日。

クラスで席替えがあった。
自分は車椅子なので常に同じ席
教室の奥の廊下側の角。

その隣の席になったのはAくん。
なんだかよくわかんない子だった。

愛想が悪いのか言葉がストレートなのか
どう接して良いのかわかんなかった。

あんまり話しかけても話続かないし
自分はあまり好かれてないのかなと思ってた。

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