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ニュースからの学び その4 オイルショック 当たり前過ぎて意識しなくなっているこ

閑話休題
#ニュースからの学び

 常に最先端に身を置くというのが私の信条です。
 時代は1970年前半。毎日ニュースのシャワーを浴びていました。父親が先ずは読んで、会社でも購読しているからと置いてい行く新聞、そして毎日の朝食の食卓に流れるNHKニュース。

 1973年、第四次中東戦争に端を発し第1次オイルショック(~1977年3月)が、1978年、イラン革命に端を発し第2次オイルショック(~1983年3月まで)が起こりました。

 父が外資系石油精製会社の社員だった事もあり、子供ながらに石油関連のニュースには興味が有ったのでした。

 オイルショックの引き金となった第四次中東戦争もニュースの生々しい写真や映像により強いインパクトで私の記憶に焼きつけられました。

 第二次世界大戦でも未だ懲りない大人の振る舞いとして滑稽、且つ人類の哀しい性(さが)として… 

 結局武力でしか解決できないのかぁ…

 国家とか民族とかについての理解が深まっていったのでした。その後の人生で海外畑として米国、欧州、イスラエル、中東、アジアと破廉恥な位どっぷり駐在し、その背景をビジネスという切り口で理解することになるのも、こんなニュースのシャワーのお蔭だったのかも知れません…


 これは記憶の深いところに刻まれたと見えて、当時の高校ですら近代や現代史は時間切れと称して日本史も世界史も扱わない時代を真正面から取り上げる政治経済や倫理社会に強い関心を持った大きな理由の1つとなりました。
 
 第2次オイルショックの引き金となったイラン革命のニュースは既に高校生であった事もあり、第四次中東戦争のニュースに比べると同時性を保って理解することが出来るようになって居ました。

 この様に日々のニュースのシャワーを浴びることで、淡い平和維持のソリューションを求め続けたいなあという感覚と、なんとなくぼんやり政治の世界で生きていくのかなあという予感がしていました。

 まぁ、引き続きのニュースのシャワーで個人の尊重とか自由とかを原点にした政治の仕組みを理解し、民主主義の本質も理解した後のある出来事がキッカケでその予感は外れるのですが…

 ということで戦争や革命と言ってもニュースの世界の話で印象には残ったものの、実生活としてのリアリティを以て身体に染みたかと言うと、そこまでには至っていませんでした。

 しかしこのオイルショックそのものは極めて私的で些末な出来事が私に初めてニュースを現実的なものとして実感する機会を与えてくれたのでした。
 それは私の総合芸術、音楽、美術だけではなく、最先端技術までも含めた総合的な趣味であったオーディオの当時の高嶺の花、憧れの製品の値上げという事件が…

 128,000円が158,000円に値上げになりお小遣いを少しずつ貯めて買おうと思って居たのにそのゴールがオイルショックでいきなり遠のいたという事件。

 この様な極めて私的で些末な出来事が、世界情勢を実感として感じられた初体験となったのは、単(ひとえ)に日々のニュースのシャワーが与えた知の蓄積が有ってこそだと思って居ます。
 その後はアバランシェ(avalanche、雪崩)のように身近な出来事が、ニュースからの世界情勢とリンクして実感できるようになっていったのでした。

 例えば本題のオイルショックは、大学生になり自動車運転免許を取得した後、ストレートにそれを実感していきました。

ガソリン1L当たりの小売価格(東京都区部) - 総務省統計局

https://www.stat.go.jp/data/kouri/doukou/pdf/7301_13.pdf

 今も続くニュースからの学び。その初期の体験のお話でした。

お粗末。





 

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