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自分が安心して意見を言える場所がなくて、自分で作ろうとYoutubeで発信を始めました。
皆さんは、自分の意見を実生活の中でどれくらい正直に言えているでしょうか。
私は、感覚が人とずれているといいうことに社会人になったくらいから気づきました。
私が当たり前の感覚が、周囲の当たり前と違って、戸惑わせてしまう、失礼になってしまう、避けられてしまう、最悪嫌われてしまう。。。
特に女性にとって、周囲の輪に上手く入れないということは死活問題の面があります。
学生時代は、クラスや部活で友達
教育を個別最適なものにするには、学歴社会とその先にある契約社員と正社員と株主という、日本の資本主義社会の搾取関係を縮小する必要があると思う。
教育システムを個別最適にするということは、学力の伸びや学ぶ分野の凸凹を許容することだと思う。現状のまま個別最適な教育をすると、高校受験、大学受験で、学んでない範囲やレベルの問題が出て困る子どもが続出するような未来が想像できる。
そう考えると、私が今まで経験してきた、高校受験、大学受験、その先に就職活動での学歴差別があり、さらにその先に資本主義経済の中で、契約社員という搾取される立場、正社員と
メディアの情報が、生活の実感と噛み合わない時、情報を切り取る側の意図やお金の流れから考察する。
前回の記事で、保育園の途中からテレビが家になかった私が、20歳になってテレビを見るようになって抱いた下記の違和感を書きました。
◯人が話していることは、本当に思っていることではない。
◯人が大切にされていない。
その理由を考えてみました。
理由①時間の枠が限られている
テレビの番組の長さは時間枠から広告部分を差し引いて決まっているので、尺を決めて言うべきことを言ってもらう事が多くなるかと思
人を喜ばせる為に自分が嫌なことに耐える癖をやめる
親を喜ばせるために、嫌な事を敢えてしていた。そういう事、ありますか?
私はあります。
記憶の中ではっきりとそれをしていたのは、幼い時に男の子っぽくする事で姉と差別化を図ったり、母が喜ぶ気がしたり、意図的に男の子っぽくしていた面があります。本当は女の子らしく可愛いくしたかったのですが。
これは、親に責任はないと考えています。子どもなりに、自分で考えて生存戦略として選んだ事だからです。例え親の期
文部科学省からのトップダウンだけでなく、現場からボトムアップで都道府県や市区町村で決められる範囲を増やして欲しいです。
以前に、文部科学省と教育委員会と学校の関係についついて、下記の記事を書きました。この記事はその続編です。
「文部科学省と教育委員会と学校の関係は、子なしで賢い人(文科省)が、家庭(学校)の教育方針を決めて、地域の家庭を取りまとめてる子育てしたことある人(教育委員会)がその間を調整する感じ。」
https://note.com/kyouinkitsune/n/n4cfa298d67c9
私は
「元」教員キツネになりました。頑張っても頑張らなくてもいい、楽しむという価値観の転換が必要だったのかもしれない。
この度、家庭の都合で教員を退職し、元教員キツネになりました。
今は新しい環境に慣れるための移行期だと思います。
そのため、心の中にはいろいろな思いがあります。
〇教員を辞めて職場や子どもたち保護者の皆様にご迷惑をかけてしまい申し訳ない。
〇教員や公務員としてのアイデンティティがなくなり、自分の気持ちが不安定になっている。
〇自分のこれからについて、思い描いているプランはあるものの、本当
文部科学省と教育委員会と学校の関係は、子なしで賢い人(文科省)が、家庭(学校)の教育方針を決めて、地域の家庭を取りまとめてる子育てしたことある人(教育委員会)がその間を調整する感じ。
文部科学省と学校の関係を例えてみました。
学校は、子どもを直接育てているという面で、家庭と考えます。
文科省は、海外の教育から社会からの教育への要請から教育現場の課題から、いろんな事を考えて教育方針を決める頭脳集団です。
教育委員会は、教員も異動して所属する場合もあるので、学校現場を知っている人がいて間で調整します。
この関係性の良いところは、頭脳集団(文科省)の教育内容を日本津々浦々で実施す