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ルッキズム(外見重視主義)について考えたら、少しずつ、外見に対する罵詈雑言を心の中から追い出せたかもしれない。

 先日、ルッキズム(外見重視主義)について、友人と撮った動画をアップした。

 ルッキズム(外見重視主義)について興味を持ったのは、海外生活をして、自分が当たり前だと感じていた美しさの基準が、日本という特定の地域におけるものだと気づいたり、そもそも国によっては日本ほど外見を気にしていないのではと感じたからだ。

 これは、海外と一言で言っても、たくさんの国があり、その国でどんな経験をしたか、また、それをどう受け止めたかなどによって、国それぞれ、人それぞれであることを前提に、私の感じたことを書いていきたい。

 私は以前に少しチェコに住んでいた。チェコはドイツの右隣にある中央ヨーロッパの内陸国だ。首都のプラハや、モルダウ川、カレル橋などは聞いたことがあるかもしれない。

 チェコや近隣のヨーロッパで感じたのは、美しさの基準が違うことだ。

 例えば、顔の造形について、化粧品やファッションの広告ビジュアルに、目が細くて一重で頬骨が高くてという東アジアの人らしきモデルが使われていて、日本の目がパッチリで二重でヨーロッパ系の人やハーフが美しいとされているのと違う!!とびっくりした。

 また、体格もそもそも日本人の平均である自分が少し小柄な部類になることで、小さなことではあるが、「私は中くらい」→「私は小さい」と、外見に対する自己認識が変わるという経験をした。

 また、髪型についても、若い女の子がワンレンロングのポニーテールをしている子が多くて、日本だと、面長だと前髪を長めに作って面長を隠して、とか、いろいろカットの方法で顔の弱点を隠さなければ的な価値観があったのだが、ワンレンロングのポニーテールということは、オールバック状態で思いっきり顔が丸出しになっており、キャー、恥ずかしい、いや、それを恥ずかしいと思っていない人々がここにいっぱいる!という驚きを感じていた。

 そんなカルチャーショック体験をするうちに、私の持ってた美意識は何だったんだろう。と、日本で生まれ育った中で培った外見に対する考えと言うのか、偏見というのか、それがガラガラと音を立てて崩れ去った。

 じゃあ、外見に対してどう認識すればいいんだ?と、いろいろと調べていくうちに、誰かに話したくなり、動画を撮影するに至ったわけである。

 私の中の結論としては、外見は、個人を識別する記号で、内面を見分けるアイコンのようなもの。もちろん、好きな服を着たり、好きな髪型やお化粧をすることで、人生を楽しく豊かなものにするのは、素敵なことだと思う。

 ただ、外見にコンプレックスを感じて気を病んだり、相手の外見を蔑んだり、そういうことってせっかくの人生を楽しくないものにしいているんじゃないかと。それは、すでにそういう思いを内在化している人は、意識してルッキズム(外見重視主義)に距離を置くことで、少し明るく生きられるのではと思っている。

 と、理想的なことを言いながら、少し前に自分の中に外見に対する罵詈雑言が鳴り響いていて、うわっ、とびっくりした。それくらい、ルッキズムは少なくとも私の中には内在化されている。でも、その罵詈雑言に気づいて意識して止めたら、自分も含めた人の外見が少し違って見えてきた。かわいいと思えなかったものが、かわいい!と思えたり、素敵だと思ってなかったものが、素敵やん!と思えてきたり。

 同じ世界を見ているはずなのに、考え方を変えると全く違って見えてくることが面白かったし、その変化は心地よかった。

 そんな気づきが少しでもシェア出来たらいいなと撮った動画、良かったらご覧くださいませ。

https://youtu.be/Z7i2svIkqeY?si=DHabcQ58uhhdiTGE

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