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私は母になることで社会的弱者になった気がした。弱者の意見が制度や価値観に反映されることで社会の持続可能性が増すのでは。

みなさんは、ご自身が弱者だと思いますか?それとも強者だと思いますか?

私は、子どもを産んでベビーカーを押しながら出かけていた時に、思いました。私は社会の中で弱者の側になったと。

子どもの頃は誰もが弱者であると言えると思います。親なり、誰か守り育ててくれる人がいなければ、生きていけないからです。

そこから、どんどん強く賢く大きく成長し、社会に出てお金が稼げるようになった時に、私は自立できたと自分に自信を持つことができました。そして、それをずっと続けていける、続けていこうと思っていました。

ただ、出産を経て子どもを育てている時に、物理的にも社会的にも弱者になったと感じました。

ベビーカーがあるので、スロープやエレベーターやそもそも通路幅がないと移動ができません。(移動の制約)

ミルクなり母乳なり食べ物を与えて、排せつの手助け(おむつ替え)するために、まとまった時間何かに集中することが出来なくなります。(時間の制約)

このような状態で、経済的にも自立しづけることは、時間をかけて段階的には出来るのですが、一時的には無理になります。

家族や社会の助けがないと、生きていけない、つまり、弱者になったのです。

今の社会は、弱者を大切にできていない面があると思います。それは、大多数の人は個人的には弱者への思いやりをもっていますが、それが活かせない仕組みがあるからだと私は思っています。

例えば、社会の仕組みを作る側になるか、そこに影響力を持つためには、組織力、継続力、それらを支える経済的な余力が必要です。具体的には、政党を作る、政治家になる、企業単位や職種単位でグループを作り運営して政治家を応援する、などです。

ただ、弱者になると、政治に影響を与える組織を運営する経済的時間的な余力がありません。そのために、どんどん余力を持った人にとって都合のいい社会になります。ただ、人間は生老病死がある以上ずっと余裕を持てるわけではないため、社会全体が常に不利な立場になりかねない不安と戦う雰囲気になります。また、こどもや子育て中の女性という弱者を守る力が弱まると、社会の活力を次世代につなぐことが困難になり、少子化が加速してしまう、社会の持続力が低下すると思います。

その流れを変える可能性がSNSなどインターネットにあると考えています。組織を形成し運営する余力がない人でも、インターネットを通じて知り合い、協力し合うことができます。その声が大きくなれば、弱者の声も取り上げざるを得なくなり、社会をより良く変えるきっかけになると思います。

その動きは、すでに始まっています。例えば、保育園に落ちた人の「日本〇ね」という言葉が広がり、待機児童の問題が広く認識されたこともありましたし、「教師のバトン」というハッシュタグで教員の働き方のブラックさを訴える声が広がり、教員の働き方改革への意識が高まったこともありました。

そんな風に、これからの時代は、社会課題について誰でも話し合えて、社会を良くする循環がインターネットによって生まれていくと思います。

もちろん、そればかりではどうにもならない部分も社会にはあると思います。話し合えない中でお互いに調整し合って我慢し合って調和を保つ部分もあると思います。それを否定はしないのですが、話し合えなかった個人的な経験や課題意識から、このような動画を撮りました。

良かったらご覧いただけたらうれしいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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