見出し画像

はじめに 豊かさを目指していたが、豊かな未来が思い描けなくなった

 どうしてこの文章を書くに至ったかというと、豊かさを目指してきたが、豊かな未来を思い描くことができなくなってしまった自分の人生があったからだ。
 幼少期や青年期に思い描いていた自分の生き方は、親からの期待、先生からの期待、社会からの期待、世の中の価値観、自分の本能や経験から考えたものを自分なりに租借して自分の生き方に反映した結果だった。その集大成ともいえる壮年期にさしかかった私は、大きなもやもやを胸に抱えていた。その理由は、この私の生き方は、持続可能性に欠けるということと、努力に見合う豊かさを得られていないのではと感じたことだ。そして、自分なりに努力してきた結果こうなったということは、この生き方を形作ったこの社会の価値観や仕組みに課題があるのではないかと思うようになった。
 もちろん、完璧な価値観や仕組みはないし、私と同世代の人々でも豊かに生きられている人々がいると思われるので、私のもやもやは、私個人の価値観や経験、感じ方に起因することであり、社会のせいではない部分も多分にあるだろう。ただ、社会の価値観や制度や時代というものに個人の生活が大きく影響を受けることも事実であり、もしかしたら同じ思いや考えに至る人がいるのではないかと思った。もしこの私のもやもやが、一つの社会の課題の現れであるとしたら、私が感じた課題やその解決策を模索するその過程をいろいろな方に知っていただくことで、何か前向きな行動や新しいより良い価値観や制度を生み出す種をまくことになるのではないかと考え、この文章を書いた。
 この内容については、個人的な経験や勘に基づくもので、もし他の経験や知識によるご意見があればぜひ教えて頂けると有難い。それにより、自分の視野を広げることになり、より良い考えに至ることが出来ることを期待している。また、もし私の目指すものに共感して下さった方がいたら、より良い社会を実現することに力を貸して頂けたら幸いだ。

つづく
(ご意見ご感想があれば、ぜひX(Twitter)のDMにご連絡ください。スキやフォローも大歓迎です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?