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#読書
つけびの村、を読んだ。
忘れもしない。仕事の移動中に上野駅構内の本屋さんで、明らかに異質なアウラを放つ黄色い装幀に吸い寄せられた。手に取り、そのままレジに進んだ。今回文庫化され、ふたたび戦慄のノンフィクションを体感する。
限界集落で発生した凄惨な放火殺人事件を、世間はエンターテイメントとして囃し立て消費したのだろう。怖いもの見たさ、野次馬根性。自分にもそういった大衆的な興味関心がないわけではないが、知りたいのはそこでは
もしもワニに襲われたら、を読んだ。
普通に生きていれば遭遇することがない危機的な状況...とはいえ、それは飽くまでも確率論なので、タイトルにある通りにワニに襲われる可能性は確かにゼロではない。
著者が意識しているのか大真面目なのか、さすがにそれはないだろうというシチュエーションが複数登場し、もはやエンタメ狙いという見方もあり。挿絵のフザけ具合も往年のバカドリルを彷彿とさせ、編集者が自分と同世代であることが窺い知れる。
火の熾し方
最期の声、を読んだ。
【災害】自然現象や人為的な原因によって、人命や社会生活に被害が生じる事態を指す。
地震で倒壊した建物や大津波に巻き込まれて亡くなれば明らかに災害死だが、災害後に精神が不安定になり体調が悪化し病死されたり、悲しいことに自死に至ってしまった場合、それが災害死として認定されるかどうかは曖昧だという。
認定されるとお見舞金が給付されるが、当然のことながら予算は青天井ではないので審査というプロセスが存在
半径50メートルのセカイ、を読んだ。
実際に佐藤さん(nendo)が手がけたプロダクトや案件を紹介しながら、その着想から着地までのプロセスを織り交ぜるコラム。
ハイライトは「嫌い」と「嫌いじゃない」をきちんと認識するということ。うーむ、確かに好き・嫌いのあいだには「嫌いじゃない」という、良い意味でのどっちずかずな状態があるのかもしれない。
それって、つまり中庸ってこと?違うかw
独立した頃に提案段階で何度もミラノに出かけた話をサ
一瞬の夏、を読んだ。
朝倉未来さんがメイウェザーと対戦することがなかったら、読まなかったかもしれない。ボクシングは全く知らないスポーツではなかったが、積極的に情報をとりにいく対象ではなかった。
最近、文化人類学やフィールドワーク、そして「参与観察」という行為に興味を持ち合わせており、取材対象に密着することで生まれる、熱量や説得力に改めて舌を巻いた(本作では密着どころではない関わり方にも注目)。
沢木耕太郎さんのスポ