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WIRED、を読んだ。

この雑誌の存在を知ったのは、我らが角幡唯介さんのことを知りたくてネットで検索しまくっていたらこちらの記事を発見し、影響・感化され、それいらい雑誌を購読している。

さすがというか、シビレるというか、卒倒しそうなくらい素晴らしい考察があるので紹介したい。

ケヴィン・ケリーは著書『テクニウム』のなかで、テクノロジーによって「選択する機会が増える」と言っていましたが、ぼくはそうは思わない。テクノロジーの進化によって新しいものが生まれて、世の中が変わっていくと、「自分はそれをやらない」という選択ができるかというと、難しいと思う。人間の思考がひとつの方向性に、引きずられていく。個人が選択できる領域がどんどん狭まっていくと思う。

探検家・角幡唯介が考える「旅」と「テクノロジー」の関係

自分なりに解釈すると、たとえば携帯電話(スマホ)などが顕著な事例だろう。誰しもが所有している通信機器を、自分の信条として所有しないという選択肢が社会的に容認されるのだろうか。実際かなり難しいだろう。

就職するとき、転職するとき。履歴書に携帯番号を空欄にして提出すると、採用担当に記入するように質されるだろう。その時に「自分の主義として携帯は持たない」と回答したら、その就職転職はうまくいかない可能性が高い。

携帯電話やスマホは、角幡唯介さんがかねてから標榜している脱システムの「システム」である。知らないうちに、柔らかく我々の生活を包みこみ、決して離さず、外に飛び出すことを許さないのだ。

話が少し逸れてしまった。

最先端のテクノロジーの情報が大好きだが、真逆と思われる極地の探検行の記録も大量に読み漁る。最新の技術と最古の智慧。この二つをバランスよく接することで、人間が何者であるかを知り理解できるヒントを、見つけられるかもしれない。


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読書好きが高じて書くことも好きになりました。Instagramのアカウントは、kentaro7826 です。引き続きよろしくお願い申し上げます。