#エッセイ
抽象度に託された意思
「そこまで詳しく伝える必要があるだろうか?」
仕事やプライベートで、こう立ち止まる瞬間は枚挙に暇がない。何も大げさな話ばかりではなく、メールやチャットに付け加えた一言を消したり、敢えてぼかした書き方に改めるなんてことは日々無意識のうちに行っている。
詳しさとは、情報の解像度だ。被写体が何であるかわかる程度のピンボケ写真と、臨場感あふれる鮮明な写真のどちらを渡すか。とりあえずモノトーンに加工し、
僕なりの、創作意欲の保ち方
創作には二種類あると思っています。ひとつは、「手段としての創作」。楽しい、ワクワクするというように、自分が心地よくなるための手段として「創作をする」こと。こたつで描いたマンガのように、人に見せるためでなく、自分のための創作です。
もうひとつは「目的のための創作」。コンテスト受賞や書籍化など、何かを実現するための創作です。僕が仕事でするデザインもそうです。デザインは、ある課題を解決することが目的で
△ずっと前から、TLは本棚だったのかもしれない
積読への罪悪感は「大丈夫、いつか読むもん」「本は財産」と思って打ち消すことができるのに、TwitterやInstagramやnote、すなわちSNSの類では、なぜか同じように捉えることができずにいた。
未読を作らないことに、必死なわたしがいる。
自身が凝り性なのは、認める。あまり芸能人や有名人に興味を持つほうではないけれど、ひとたび好意を抱こうものなら、ブログを毎日チェックするし、それどころか