△ずっと前から、TLは本棚だったのかもしれない
積読への罪悪感は「大丈夫、いつか読むもん」「本は財産」と思って打ち消すことができるのに、TwitterやInstagramやnote、すなわちSNSの類では、なぜか同じように捉えることができずにいた。
未読を作らないことに、必死なわたしがいる。
自身が凝り性なのは、認める。あまり芸能人や有名人に興味を持つほうではないけれど、ひとたび好意を抱こうものなら、ブログを毎日チェックするし、それどころか過去の記事まで遡って読破する。
だからかな、TLの全読みを試みるのは。
「インターネット上で個人が発するものは、全部読む」という謎の価値観が、知らず知らずのうちに、わたしの中に育まれてきたのかな。
結論を急がず、もう少し考えてみたい。
TwitterやInstagramで、大学用に作った鍵アカウントがある。友人のみの相互フォローを基本としていて、数は50〜70人。いわゆるリア垢というものだ(この言い回しにわたしはどうしても抵抗があるのだけれど、伝わりやすいであろう表現として用いることにする)。
無論、全読みしていた。全員が頻繁に投稿するわけではないのでTLの動きもそう速くなく、学科でイベントなどがない限りは、難なく追えるレベルだ。
その裏で、知人とつながらない、ゆるっとしたアカウントも持っている。作り替えたり、追加したり、時によっていろいろしていたけれど、いずれもフォロー数を3桁以上にしたことはないのではないだろうか。
もしかしたら、近い数字か、少し超える程度までにはなっていたことがあるかもしれない。でも、パッと思い出せる限り、だいたい80までにおさまっているのだ。
なぜなら、それが全読みできるか否かのボーダーラインだから。このあたりを上回ると、TLを追うのが途端に厳しくなってくる。
…あれ、全読みって、そんなに大事なのかな。
そんな疑問を持ったのは、「全読みしてない人がいる」と知ってからだ。自身の中に全読みをする感覚があまりに当たり前に存在していたがゆえに、わたしは誰もが全読みをしているものだと信じて疑わなかった。
もちろん、千とか万とか桁外れにフォロー数の多い人は、読んでないんだろうなって思っていたけど。
自分と同じような、60人くらいのTLを持つ友人が全読みをしていないのだと知ったときの、衝撃たるや。物理的な・時間的な「読めるor読めない」(可否)ではなく、「読むor読まない」(意思)なのだな、とそのとき初めて気がついた。
鮮やかに覆された、わたしの中の常識(ただの思い込みとも言う)。
でも、そこから先が頑固だった。
誰に強いられたわけでもないのに、わたしはなかなか全読みをやめられずにいた。Twitterのアカウントの内ひとつで、つまみ食いを試みたが(全読みせずに飛ばしながら読むことを、わたしはこう名づけている)、つまみ食いのコツがわからないもんだから、かえって疲れてしまった。フォロバ目当てのフォロワーさんが増えつつあった時期と重なって、結局そのアカウントは削除。
唯一、Instagramのストーリーズは、全読みができなくても罪悪感を覚えないものだった。あれは、いずれ消えてしまうから。見るタイミングによって、「見逃す可能性」があるものだから。
少し前に、文字見知りについて書いた。そんな弱気なことを言うのはわたしだけかと思いきや、案外、「わかる」「同じく」という声を頂戴した*。そういう風に投稿への反応をいただくことは日頃ほとんどないので、これは「人の関心事」だということになろう。
その投稿が企画にのっかって書いたものだから、たまたま人の目にとまったというのも大きいけれど、それはひとまず置いておく。
そのときにも、全読みについて軽く触れた。その上で、これから少しずつ多読に向けて動き出したい、という展望も書いた。
それでもなかなか多読のできないわたしが、いろいろ考えて、わかったことがある。
たくさんのユーザーさんをフォローしているTLは、言わば「大型書店の本棚」なのだということ。
お店の本棚だと考えれば、好むと好まざるとに関わらず、そこにいろいろなnote(であったりツイートであったり)が混在していることは、なんら不自然ではない。その中から好きな本だけを選び、読む。トップ画像に惹かれてクリックしたなら、ジャケ買いといったところだろうか。
それが、少し減らすと(未経験なので想像で言うけれど、フォロー数300くらいまでかなぁ)、「好きなお店の本棚」になる。行き慣れたお店の、好みのものを見つけやすい、本棚。
そして、わたしレベル(フォロー数2桁、全読みが基本)となれば、もはや「家の本棚」だ。なじみの作品ばかりが並ぶ、文字見知りの起こらないTL。なんて安心するのだろう!
やっぱり、わたしは家の本棚がいい。TLをお店の本棚化するのは、わたしには難しい気がしてきた。
ちなみに、わたしは本棚に積読本を収めていない。積読は文字通り「積んで」置いているのだ。
だから、わたしの本棚にあるのはすべて、一度は読まれたもの。
そして、わたしのTLに並ぶのもすべて、既読のnote。
このように自分の本棚とTLに相関性があるのは、わたしだけだろうか。今、世紀の大発見をしたかのような気持ちなのだけど。
ちなみにTwitterのリスト機能は、この喩えで続けるなら「専門書コーナー」みたいな位置づけになる。
△のアカウントには2つのリストがあり、ひとつはnoteユーザーさんのリスト、もうひとつはフォロバ代わりのリストだ。元来フォロバ代わりのものしか作っていなかったけれど、途中で分割してnote用リストを作成した。よって、どちらにも当てはまるアカウントさんは、noteのほうにだけ追加させていただいている。
本当はフォロバするのが一番、相手にとっても気持ちいいのだろうけど。まだ、家の本棚を守りたい気持ちが強いんだ。
でも、本棚を充実させたい気持ちもやっぱりあるから、もう少し、いいやり方を探ってみようと思う。
七志野さんかく△
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▼あきらとさんの記事とツイート
その節はありがとうございました。お二人とも反応が早かったので、なんだかとても心強かったのを覚えています。
お読みいただきありがとうございました。みなさまからのスキやフォロー、シェアなど、とても嬉しいです! いただいたサポートは、わたしもどなたかに贈って、循環させていきたいと思っています。