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僕なりの、創作意欲の保ち方

小学生のころ、こたつに入り編み物をしている母の横でノートにマンガを描いていた。当時流行ったロボットアニメをマネたSFマンガ。コマ割も稚拙だし、登場人物もコマごとに顔が違って誰がだれだか見分けがつかない。たまに母が覗こうとすると、見ちゃダメ!と慌てて隠して怒ったものだ。誰にも見せないそのマンガを描くことは、ただただ楽しかった。

創作には二種類あると思っています。ひとつは、「手段としての創作」。楽しい、ワクワクするというように、自分が心地よくなるための手段として「創作をする」こと。こたつで描いたマンガのように、人に見せるためでなく、自分のための創作です。

もうひとつは「目的のための創作」。コンテスト受賞や書籍化など、何かを実現するための創作です。僕が仕事でするデザインもそうです。デザインは、ある課題を解決することが目的であり、ゴール。その過程も大事ですが、目標にどれだけ近づけたかが重要です。

この話、トレッキングと登山に例えると分かりやすいと思います。トレッキングは、自分の心をリフレッシュすることが目的。自然の中を歩くこと自体を楽しみたいから、険しい道を登る必要もありません。自分のペースで無理せず歩けばいい。

一方、登山は頂上までいくことが目的で、山道を歩くことは手段です。事前準備も必要だし、トレーニングもしなきゃいけない。険しい道を登らなきゃいけないし、決められた場所まで、時間に追われながら辿り着かなきゃいけないこともある。困難の連続です。でも、道のりは大変ですが、登頂したときの喜びはとても大きい。

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トレッキングと登山のどちらが偉いのか?という議論に意味がないのと同じで、「手段としての創作」と「目的のための創作」に優劣はありません。ただ、そのふたつは創作への向き合い方がだいぶ違うよね、と思うのです。

手段化 のコピー

ぼくは、創作におけるマインドを上の図のように考えています。赤い点は楽しい・嬉しいというポジティブな気持ち。青い点はペイン(pain)です。ツラい・気が重い・プレッシャーなど、創作の邪魔になる気持ち。

横軸は、さきほど出てきた「目的」と「手段」の軸。縦軸は、作品が届く範囲。一番上は自分だけが見られるもの(日記など)。一番下は、マスメディアに掲載されるなど多くの人に届く状態。ぼくがこたつで描いたマンガは一番右上ですね。誰にも見せず自分のために描いた、創作している時間そのものが楽しい状態。

創作における「手段化」と「目的化」は、グラデーションみたく繋がっていて境界が曖昧だと思うんです。しかも、キレイなグラデーションじゃない。遠くからは青に見えるゾーンも、近くによれば赤い粒があります。赤いゾーンもまた逆です。

創作するときって、その日その日で気持ちが揺らぎますよね。うまく書けない日やアイデアが浮かばないときは、気持ちがブルーになる。ただ、総じて右上が心地よいゾーンで、左下に行くほどいばらの道が待ってます。

さきほどの図を四象限で切り取ると、こんな感じになります。

手段 × パーソナル(右上)
創作している時間そのものが楽しいゾーン。noteを始めた人はここからスタートするのではないでしょうか。真っ白なnoteに、書くたびに自分の作品が増えていくことは楽しい時間です。このゾーンで長く創作を続けられることは、とても幸せなことだと思います。

手段 × パブリック(右下)
創作における理想的な状態。創作が楽しくて、多くの人に読まれ、見てもらえて、それが新たなモチベーションにつながる。ただ、気を付けないと数の呪縛に捕らわれて、創作の目的化が起きてしまい「あれ? 自分は何のために創作してたんだっけ?」となる可能性があるのが、このゾーンかもしれません。

目的×パーソナル(左上)
パーソナルが極まった場所も、創作にとって良い環境だと思います。お手紙noteとか、去年ぼくが携わった文庫本づくりもここに位置しますね。たったひとりに届ける為の創作は、楽しい。

数年前、友人が脱サラしてお店を始めたんです。そのとき、デザインしたお店のロゴは、ある目的のために創作したもの。友人の新たな人生の始まりを応援したい、友人に喜んでもらいたい一心でデザインしたものです。「目的のための創作」は決して悪いことじゃありません。

目的 × パブリック(左下)
ここが一番きつい。かぎりなく真っ青! 公募や仕事で創作している人の多くがこのゾーンにいるはずです。仕事だからキツイ案件も結果を出さなきゃいけない。公募に出すのは大変だけど、出さなかったら受賞することはない。

でも、キツイけど、このゾーンにはキラキラ光る宝物が眠っています。それを掘り出せるのは、ほんのわずかな人だけ。だからそれに挑戦する人は応援したいし、宝物を見つけた人には「おめでとう!」と大声で伝えたい。

ぼくが仕事でデザインするとき、ほとんどの案件がこのゾーンです。大きなクライアントとの仕事は、発信する規模もデカイしプレッシャーも大きい。果てしなく続くペインの坂道を、たまに光る創作の喜びを見つけながら進んでいきます。その分、ゴールにたどり着いたときの喜びは大きい。去年、1年間かけて取り組んだ案件のクライアントから「担当がこげちゃさんで良かった」と言われたときは、涙がでるほど嬉しかったです。

創作の継続には「楽しい」と「嬉しい」の両方が必要

優秀な後輩デザイナーがこんなことを言っていました。「自分のアウトプットが喜ばれて、感謝もしてもらえて。とても嬉しいけど、仕事が楽しくないんです」。彼は決算資料を分かりやすくキレイに作るスペシャリストですが(それができる人はとても少なく貴重な人材です)、創作の喜びが枯渇してしまったのですね。

そのとき、後輩のためにコピー用紙の裏に描いたモノを清書したのが、この記事の図です。後輩くんの仕事はどんどん左下に向かっていて「創作の目的化」が強まってること。「嬉しい」だけじゃ辛いなら「楽しい」を増やしていこう、と伝えました。

もし、仕事で「楽しい」と「嬉しい」の両立ができなくても、違うカタチで創作の「楽しい」は補えます。週末にDIYしたり、油絵を描いたり、料理をしたり。デザイナー仲間に「創作の趣味」を持ってる人はとても多い。そうやってみんなバランスを取ってるのかもしれません。

楽しいが嬉しいに変わるとき

創作において、「楽しい」はひとりでも感じられるもの。「嬉しい」は誰かがいないと生まれない感情。

「楽しい」が「嬉しい」につながること。これは、創作の理想でしょう。自分が楽しく創ったものが、周りから褒められて嬉しいに変わる。これが創作のユートピアです。

でも、理想郷なんですよね。理想の中だけで創作を続けられる人はいないと思います。たとえプロであっても。

それだけ、「楽しい」と「嬉しい」のバランスを取るのは難しい。特にパブリック(数に縛られると言い換えてもいいです)に寄るほど、創作は楽しいことばかりではなくなります。「楽しい」が枯れてしまい「嬉しい」しか残らないことがある。他者の期待に応えようと創作し続けるとこの状態に陥ります。前述の後輩くんの場合がこれです。

手段化_四象限 _全体jpg

だから、自分の創作が左下の青い部分に寄りすぎてるなぁと感じたら、意識的に右上にひっぱらないと辛くなります。つまり、自分のために創作する時間を増やすのです。

誰の目も気にせず、他人の意見に左右されない自分の創作をする。そして、「楽しい」と「嬉しい」のバランスを取っていく。そうすると創作のモチベーションが持続するんじゃないかな、と思っています。

僕がTwitterに定期的に “虚構スケッチ” というタグを付けて投稿している絵も「自分のための創作」です。仕事で左下に寄っていく創作マインドを右上に引き戻す、大事な落書なんです。

自分の創作への向き合い方が、四象限のどこにいるかを意識するのは、とても大切なことです。創作のトレッキングが楽しいなら、無理に登山する必要はない。

ただ、トレッキングのつもりで歩き始めたのに、いつの間にか空気が薄い高山にいて苦しくなったなら。いったん下山して、空気が濃い場所で深呼吸することも必要です。

逆にトレッキングでは物足りなくなり、登山したくなったら装備を整えて出発すればいい。たとえ頂上まで行けなくても、登山に挑戦したことは、あとで自信につながるはずです。

創作は、いつだって楽しくて苦しくて。喜んだり憂いたり、色んな感情が押し寄せてくるけど、やめられない魅力がある。だから僕たちは、創作を続けているんだと思います。



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