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「好き」は、諸刃の剣。

好きって感情は、都合のいいものではなくて諸刃の剣だと思うのです。

誰かや何かを好きになると、アップだけじゃなくて、ダウンも伴うじゃないですか。自分で自分をコントロールしきれない部分が出てくる。惹かれることを「心を奪われる」「酔わされる」「溺れる」って表現、しますけど、本当にピッタリですよね。

これは恋愛に限った話ではないです。最近は、子ども達を見ていると思うのです。

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私の職場には、「横浜ベイスターズ、大好き!!」な子がいます。野球が開幕すると、会うたびに野球の話をしています。最近、ベイスターズが連敗しているので少しご機嫌ナナメ。昨日、ようやく連敗を脱したらしくてものすごく喜んでました。

その子は、ベイスターズが負けようが勝とうが応援し続けるでしょう。そして、負けるたびに本気で悔しそう。当たり前だけど、応援しているチームが勝つかどうかって自分の努力でどうにもできません。

別の子は、バイキンマンが大好きで。口を開けば、ずーっとバイキンマンの話。バイキンマンのぬいぐるみを自分の分身のように持ち歩いて、自由時間に同じ絵、同じ動画を観続けています。どっぷり浸かっている。

最初は「なんて、幸せそうな子だ」と思っていました。毎日、毎日、同じ遊びをして、同じ動画を観て本当にうれしそうに笑うのです。

ただ、他の子達にからかわれるときにぬいぐるみを隠されたりします。先生から怒られるときも一回バイキンマンを取り上げられたりして。それだけでシュンと落ち込んでいます。

バイキンマン②

↑(その子にあまりにも「バイキンマン、描いて!」と言われるので、ノールックで描けるようになってしまった)

好きな存在って、元気を与えてくれるけれど、いいことばかりじゃない。無くなると精神的に不安定になったり、他の人から見たら隙になるわけです。弱みでもある。

ちょっと嫌な言い方をすると、ものすごく好きな存在がある人って他人からコントロールをされやすい。好きな存在はご褒美にもなれば、罰にもなる。

例として野球やキャラクターを出しましたが、好きになる対象は何でも同じだと思います。相手が実在する人だと、もっと自分の思い通りには動いてくれないし、相手から好かれているかわからないとか、離れていったら悲しいとかにもなる。

文章だってそうです。書いている人は、いい文章を書けたときの「よっしゃああ!」が忘れられなくて書き続けているところ、あるんじゃないでしょうか?あの、自分を出し切れたときの「生きている」感じ。

そういう瞬間がたまーに訪れることを知っているから、止められない。パチンコや競馬にハマる人と脳の回路は変わらないんでしょうね。たまに出る大当たりが忘れられない。ドーパミンやアドレナリンの成せるわざ。脳内麻薬のトリコ?

ずきゅん②

私は何か一つに自分を賭けるのが苦手。「それがダメになったら、どうしよう」って思ってしまう。だから、なるべく好きな気持ちを分散したい。リスクの分散。株の投資の仕方みたいなことしてますね、私。

だから、仕事も2つしているし、読書会も、noteもしているのでしょう。依存先の分散です。この形は自分に合っていますが、どれも中途半端で少し虚しいです。

たまに「手放しで何かを好きな人」や「一つに自分を賭けられる人」がうらやましくなります。隣の芝は青いのもあるでしょうけれど。


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