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#読書
「鯉」火野葦平著(講談社文芸文庫『自然と人間』所収)火野葦平著:図書館司書の短編小説紹介
筑後川で鯉を素手で捕まえ、それを見世物にしている名人があった。
土地の大地主である佐々木の旦那が、小さな頃から水練と漁が好きだった彼の技術を職にまで引き上げてくれたのだ。
そのお蔭で彼は、死んだ父の借金を返し、家族を養うこともできた。
戦前の観客は、趣味人や数寄者といった裕福な人が多く、彼は誇りを持って漁をしていた。
けれど、戦時中は威張りかえった軍人や役人の観覧に供せられ、そこに言語を
『海がきこえる』氷室冴子著(徳間書店):図書館司書の読書随想
この本は、今まで何度読み返したことか。爽やかな青春を追体験でき、読了したそばから、また再読できる日を心待ちにするほど好きな本だ。
はじめて読んだのは、私が高校三年の時。物語は主人公が大学に進学し、それからの一年と高校二年の時に転校して来たヒロインとの関わり合いを思い出す形で進んでいくので、まさに自分と同年代の話と言えた。
ただ、私が通っていた学校は男子校だったので、同じクラスに女子がいるとい
「おしゃれ童子」(新潮文庫『きりぎりす』)太宰治著 :図書館司書の短編小説紹介
自意識過剰で自己陶酔的で独善的な一時期というのは、誰にでもあると思う。
その頃に突飛な言動をとり、数年後に当時を振り返って恥ずかしさで顔を覆いたくなる、きっと誰にでもそういう経験はあるに違いない。あって欲しい。
太宰治の「おしゃれ童子」を読んで、まず感じたのは、自分も同じようなことをしたなぁ、との恥じらいへの同調だ。
周囲から浮いた「あわれに珍妙な」恰好をしても、天上天下唯我独尊状態にあ
「名人伝」(新潮文庫『李陵・山月記』)中島敦著 :図書館司書の短編小説紹介
天下第一の弓の名人を志した紀昌。
彼は、当時の弓の名手・飛衛に弟子入りし、まず瞬きしないよう、目を鍛えることを命じられる。
一瞬かつ絶好の瞬間を見逃さないためかと思われるが、紀昌が選んだ修行場所というのは、妻の機織台の下。
そこに潜り込み、機織りの用具が激しく上下に往き来する所を至近距離で見つめ続け、それに怯まずにいられるようにしようと考えたのだ。
目を下ろすと、機織りの糸の下に瞬き
「たきび」(新潮文庫『ふなうた』所収)三浦哲郎著 :図書館司書の短編小説紹介
竈の火。囲炉裏の火。仏壇の火。盆の迎え火。野焼きの火。そして、不謹慎ながら、盛大に燃える火事までが好きだったと言う男性。
わかる気がする。私も、火の揺らめきを見るのが好きだった。どんな火でもよかった。
ろうそくの火でも、ライターの火でも、花火の火でも。
本文にも書かれているように、「人間は誰でも火が好き」なのだろうと思う。
気を抜いて扱うと、危険と紙一重の特性を持ちながら、形を一
「夏のアルバム」(講談社文庫『随筆集春の夜航』所収)三浦哲郎著 :図書館司書の短編小説紹介
本作は短編小説ではなく随筆なので、短編小説案内としては番外編となるのだけれど、一読してふと思い出されることがあった。
この小文の中で著者は、幼い時に祖母が亡くなった折、棺桶の中に向かって笑顔を送った、と書いている。
こちらが笑い掛ければ、白い花の中の祖母も目を覚ますだろうと考えたのだ。
幼さのために時宜を得ず、場違いな行動をとってしまったことは、おそらく誰にも経験があると思う。
そし
「七階」ブッツァーティ著:図書館司書の短編小説紹介
ジョゼッペ・コルテは病気の治療のため、その分野では定評のある療養所へ赴いた。
そこは七階建ての白いビルで、病状が軽い人は上階に、重くなるにつれて下の階に移ってゆくというシステムを採り入れていた。
最上階、つまり一番軽い症状の患者が入る七階の病室を当てがわれたコルテは、看護婦からのその説明を聴き、それは病気の程度に合わせた段階的な治療を徹底的に施すことができるため効率的だと、好意的に評価する。