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整理 沖縄時代

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沖縄時代の苦い思いでの整理する場所。 同じ思い出を出すのが多いが、見方を変えたり、表現の仕方を変えたりして出す予定。話すだけ価値のないことになるが、沖縄で苦しんでいる人 の為に参…
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#踊り

沖縄の仲間意識

沖縄の仲間意識

沖縄の仲間意識。
年長者の強い人か、権威的な物になびく人を多く見た。
当時誰かは、最大公約数の論理だと揶揄していた。

そうなると、全てが強い方になびく。
友人と思った人間さえもそうなった。
その上で言われるのは「お前に言っていることは通用しない」、「他に行けば?」だった。

後は強いものになびく作用により、価値観の共感により、人が人を所有してマウントとろうしたり、目の前で封殺したり、潰してくるこ

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2枚舌な沖縄 2

2枚舌な沖縄 2

文の続き。
堂々巡りして気づくこと。
よさこい踊りに服従して、楽しいと叫び、高知ほにやを賛美し、絶賛して、陶酔しておけば、仲良くする振りができたのかもしれない。

共感という意味で。
そして、作る価値を宗教信仰のように捨てればよかったのかもしれない。

多分、捨てれないだろう。
自分の血肉だから。自分の血肉から、人間関係を分析する方法を作ったし、自己分析して、思考のパターン作った。

沖縄ほにやは

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沖縄ほにやの人間関係

沖縄ほにやの人間関係

沖縄ほにやの人間関係、仲間意識

当時の自分の周囲にいた人間たち。世間話できるかと言うと、乏しかった。
全体的に、よさこい踊りに同調的で、共感的、全体主義的な傾向が高かった。陶酔する空気に逆らいにくい状況だった。

MLでの宣伝もすごかった。
自分以外についていけない人は、段階的に、静かに去っていったと思う。
第3回目の異文化際の時にリーダーに猛烈に言っていた。
「こんなんだから、何人かは去ってい

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よさこい踊りへの共感性 縛りになってた

よさこい踊りへの共感性 縛りになってた

共感性によって、煽られた、挑発された世界は 行き詰まる。
理想だけが漂い、応じると敷居が高い。

沖縄ほにやの言っていた共感性。
この共感性には自分が毒されていることに気づく。
当時、「誰かと踊りを共感してもらいたい」と言う願望が言われてた。
その考え方に無意識に影響されていた。

彼等は「見る人も、踊る人も楽しく」とは言っていたが、敷居が高すぎた。
自分たちと対等に共感するものでないと、下に見て

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記事書いてて、気づいた事

記事書いてて、気づいた事

この記事書いていて、思ったこと。
沖縄時代に関わったサークルは、沖縄では上昇志向の強いグループでないかと思った。

一般的に沖縄はテェゲェで、上昇志向な人は少ない。
又は時間にルーズで、時間よりも空間を占有していく人が多い。
飲み会で空間を占有したいので。

沖縄ほにやの場合は、高知ほにやに追いつこうとしていたが、真面目過ぎた。まじめすぎて、メンバーの大半が真面目さに同調しすぎていた。
ほにやの価

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仲間意識ばかり 振り返り

仲間意識ばかり 振り返り

沖縄 沖縄ほにや
仲間意識ばかり言われて、煽られてた。
そして話し合わないと「他行け」。
それなら、無関心にしたいと思う。その美徳に対して。

1.個性

沖縄ほにやの場合、「個性の尊重」とかいうが、建前だった。
沖縄でも、沖縄ほにやでも、都合が悪くなると、手の平返すように理解した振りで「仲間だ」と言い出す。

ほにやのよさこい踊りなんか、どうでもいい。
楽しく、笑顔で踊るとか言っていたが、集団で

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沖縄ほにやの言う楽しさから卒業する

沖縄ほにやの言う楽しさから卒業する

沖縄ほにやの言う楽しさは本当の楽しさではない。
彼等は踊りに共感して、陶酔し、同調していく。
そして、楽しさで動員する節もあった。

それは、最大公約数の楽しさに埋もれる可能性があるから。
私の場合、話のズレで封殺されることが多かった。

ズレでの封殺は辛かった。目の前で「自己満足」、「役に立たない」と言ってきたのだから。当時、人間関係の分析してて、どうやって具体的に描いてけば良いかと言った時にそ

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村八分

村八分

沖縄ほにや
嫌ならやめればと思った。そういわれてもいた。
そうだと思う。

その一方で、やめると村八分になる感覚アリ。
承認されることのみ求めてた部分があった。
辞めると、孤立の対象になる事があった。心理的に。

直観湧く場所としては良かったが、些細な会話のずれで封殺されてストレスになっていた。

楽しそうな人が多かったが、
どこかで合わなさがあった。

踊りを「楽しむ」事は言われていたが
それは

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御伽草子 よさこい踊り ほにや

御伽草子 よさこい踊り ほにや


御伽草子

沖縄ほにや時代、最後に踊ったのは「御伽草子」だった。
たしか、2006年の時だった。夏のイベントで踊った。本当はやりたくなかったと思う。しかし、やってみて、却って良かった。[楽しい]言う意味とはべつに。

よさこい踊り自体、動作に合わせる事しか会なく、楽しめてないと言われて
不満だった。その上、抽象性の観念に対して沖縄ほにやの人間は「役に立たない」と言っていた。言ったのは副リーダー、

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楽しいと言う言葉に対する嫌悪感。沖縄時代

楽しいと言う言葉に対する嫌悪感。沖縄時代

楽しいと言う言葉を聞いていつも嫌になる。
それは自己満足と紙一重で、その他大勢に合わせないとならないと言う
強迫観念があるからだ。

20代の大半を沖縄で過ごしてしまったためか、そのような考え方になった。

今思うと、失敗した。
安易に癒しと言う言葉に煽られた。
それは沖縄県の観光戦略の言葉にもあった。

沖縄でのストレス

沖縄でのストレスは夢があるように思えても、それは口だけで
些細な交流で、

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創価的な父性がいる

創価的な父性がいる


創価的な父性がいる

創価的な父性がいる。いた。
それはカリスマ的な人や物を賛美、自己陶酔させる。
その現象を周りに働きかけては、時に思考停止させる。
疑問を持たせようとさせない。

この崇拝性からズレると、排他的に排除しようとしてくる。そして物を楽しもうと言ってくる。
彼等はカリスマ的な人間を中心として関係が作られている。そして人が「生きているトーテム」となり、自身のイデアを形を変えて働きかけ

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接した限りの沖縄の人間について

接した限りの沖縄の人間について

沖縄の人間の特徴。接した限りの。
人か物かのカリスマに自己陶酔して、賛美する傾向。
その一方で被害妄想(又は劣等感)が強い。前者は後者の感情の裏返しとも言える。それが起こるのは反抗している対象、又は陶酔している対象かのどちらかによるものと思われる。

前者は、学生時代のサークル。人と言うカリスマに自己陶酔、賛美して大学の学生部に対しての敵意で団結して成り立っていた。

後者は、踊り団体のサークルが

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MLについて

MLについて

沖縄ほにやにいた時、連絡はML(メーリングリスト)で頻繁に取り合っていた。

途中から、MLでの決まりごとができた。
それは沖縄ほにやと関係ない事の発言はタブーになった。

その当時を振り返っても、決まりごとは出来ても、練習中の和気あいあいとした中でも、話がずれると徹底的に注意して、抑えつけてくるのがサブリーダーだった。MLでの決まりごとが決まる前からあった。

自分が入って、1年後の事だったと思

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時代

時代


沖縄ほにや時代

自由に見えた。踊りに関心乏しくとも、いる女性たちが自由に見えた。
ある時、抽象的な話して無関心にされて、理解されようとして躍起にメールに出した。ある時言おうとしたら、何度か封殺されてストレスになった。

その一方で彼女たちは踊りに対して幾人かは賛美絶賛、自己陶酔してた。
今思うと合わせ鏡だったと思う。

自分は一人で何かの趣味にはまり、勝手に陶酔したり、妄想してた。
それまでは

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