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アメリカで家を売る。
忙しくて、心の余裕がなく、なかなかnoteをかけない日々でした。
その理由は昨年秋「家を売ると決めたこと」に始まります。
昨年初めにパートナーがリタイア、その後、娘の高校卒業と大学進学。そこから物理的環境のみならず、自分の心の中も少しずつ動き始め、今まで当たり前だったことに違和感を感じ始めていたころに「家を売ろうか?」とパートナーから提案。
「いいとおもう」。
あとで不動産エージェントに言
試合にでられないってどういうこと? この状況を何とかするしかない
娘の通う学校区は年4回、学校対抗のスポーツ大会があります。バレーボール、サッカー、フラッグフットボール、そしてバスケットボールです。
学校対抗といっても日本のようにそのスポーツが得意な子を選抜して学校代表メンバーを構成するのではなく、「出たい子がでる」。
そのため、出たい子のレベルはクラブチームで本格的にプレイいている子から、ちょっとやったことがあるこ、全くそのスポーツをしたことがない子までピ
ホリデーショッピング
思いがけず、お友達からホリデーギフトを貰ったので、お礼を買いに近くのショッピングモールへ。欲しいもの探しに次女も一緒。
お昼に行けばまだそんなに混んでないからパーキングも余裕と思って行ったのに、すでにいっぱい。パーキングスペースを探す車がたくさんウロウロしていました。
モール内もホリデーのデコレーションがあちこちにあって、気分が上がります。やっぱり一年で一番好きなシーズンです。
ホリデーイベント バレエ「くるみ割り人形」
一年に一度の楽しいホリデーシーズンがやってきました。この季節ならではの、ワクワクすることがたくさんあります。その一つがバレエ「くるみ割り人形」観賞です。
毎年12月になると地元のバレエ団から有名バレエカンパニーに至るまで、公演の規模に差こそあれ、あちこちで「くるみ割り人形」の公演があります。
先週末は地元バレエ教室が主催しているバレエカンパニーによる「くるみ割り人形」の公演を観てきました。
82歳父と娘の奄美大島の旅 その8 30年ぶりの再会
カヌーで大自然のエネルギーをたくさん浴び、大笑いして、心も体も満たされた旅2日目。夜は約30年ぶりに従兄弟と再会です。
約束の時間に間に合うようにホテルをでると、サプライズでロビーで待っていてくれた従兄弟。
私と妹が幼い頃からたくさん遊んでくれた彼は数年前、病気が原因で車椅子生活になり、話すのも不自由になっていましたが、昔と変わらず優しくて陽気。
最初は奥さんの通訳を介して会話していましたが
82歳父と娘の奄美大島の旅 その5 自然大発見 金作原
普通に生活している街の中や、頻繁に訪れている地域であっても「こんな素晴らしい場所があるなんて知らなかった!」ってよくある話です。
小学生のころまで毎年奄美大島を訪れながらも、自然といえば海ばかりを堪能し、その存在を知らなかったのが今回の金作原でした。
父と娘の奄美大島の旅 その4 島唄の聞ける居酒屋 かずみ
「奄美ならでは!」のものはいろいろありますが、奄美の島唄がライブで聞ける居酒屋もその一つでしょう。今回は、奄美市在住の親戚おすすめのところにいってみました。
小さい時から奄美にくると何気に耳にしていた奄美の島唄。小学生のころ、旅館をやっていた伯母(故人)が朝台所で作業をしているときに、近くに座ってその姿見るのが大好きだったのですが、壁にかけられていたラジオからずっと島唄が流れていました。島言葉で
82歳父と娘の奄美大島の旅 その3 海沿いドライブ
市内中心部のホテルにチェックイン後すぐに出発。目的地は父が若かりし頃に仕事をしたという宇検村。奄美市中心部から大和村を経由して宇検村へ。そこから住用村を経由して戻ります。
途中行き当たりばったりで立ち寄った大和村の国直海岸。
宇検村に着いた時は午後5時でした。もう少し先まで行きたかったのですが、夜はこれまた楽しみな予定があるので、ここからホテルのある奄美市中心部に戻ります。
宇検村ドライブ中
82歳父と娘の奄美大島の旅 その2 島とうふ屋
下調べしていた、「島とうふ屋」へランチに。
人気なだけあって30分は待ちました。でも待った甲斐あって美味しいランチをいただけましたよ。
奄美の濃口醤油は大好きな味なので迷わず選びます。どれもこれもおいしそうで迷う‼️
島豆腐には思い出があります。
かつての名瀬市内中心部に住んでいた今は亡き祖母の家の両隣が豆腐屋でした。平日は早朝から豆腐を作っていて、作業している音と、強烈な香りは祖母の家ま
82歳父と娘の奄美大島の旅 その1 上陸
今年82歳になる父の「故郷の奄美大島にいきたい」という希望を叶えるために、私の日本行きにあわせて企画。2歳下の妹も巻き込んで、父と娘2人の奄美大島2泊3日の旅を実現しました。
奄美大島は祖母や伯父伯母、そしていとこたちが住んでいて、私と妹が小学生のころ、夏休みに毎年訪れていた思い出深い土地です。
父は7年ぶり、私は34年ぶり、妹に至っては40年ぶりの奄美大島上陸となりました。
奄美大島行の飛