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#読書日記
vol.57 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読んで
原文を初めて読んだ。とても読みにくかった。「乳の流れたあと」や、「脂油の球」や、「天気輪」など、比喩や独創的な表現が多く戸惑った。有名な作品なので、感想文が書けるぐらいには理解したいと繰り返し読んだ。それでもとても難しい作品だと思った。いろんな捉え方を楽しむことが、この作品を有名にしているのかもしれない。
これは宮沢賢治だった。現実的な表現であるわけがない。どう描こうと、「表現の自由」なのだ。ど
vol.50 谷崎潤一郎「卍」を読んで
すべて大阪弁の語りだった。そのせいか、とても情景描写がリアルで、露骨な表現もなんだか上品で、心地いい色気も感じた。
この小説、育ちの良さを感じる魅力的な若奥様「園子」が、生々しい同性愛の情欲と独占欲を、「光子」のバイな欲望を、中性的な男「綿貫」の価値を、不倫をした夫の裏切りを、とにかくややこしい愛の形を、作者に打ち明けると云う告白形式で描かれており、期待通りの谷崎文学だった。
しかし、せっかく
vol.47 中島敦「李陵」を読んで
誰も興味さなそうな、古い古い中国の話。この作品、新潮文庫100選図書になっており、もう一つの代表作、「山月記」(vol31)もとても印象深かったので気になっていた。漢書を原典としているだけあって、漢字が多く戸惑った。それでも、主要な人物の思考や心情、変わっていく心持ちなどが端的に描かれており、評価の高い所以だと思った。
<あらすじ>
中国、古代の統一王朝、前漢のことを記した歴史書「漢書」を原典
vol.46 井伏鱒二「山椒魚」を読んで
教科書で見覚えのある作品を読んだ。当時、さっぱりわからなかった。興味も湧かなかった。国語の先生の「これを読め」の授業が理解できなかった。悲しさとか辛さとか愛情とか、何にも経験を積んでいない頃に読む近代文学は、ただ流れていくだけなのかもしれない。「山椒魚は悲しんだ」で始まるこの小説も、経験の積み重ねによって、その読み取り方や楽しみ方は、ずいぶんと違うのだろう。
<あらすじ>
岩屋をねぐらにしてい
vol.36 織田作之助「夫婦善哉」を読んで
初めての織田作之助。この小説、粋で人間臭くて純粋な愛があって、阿呆らしい修羅場の描写もテンポよく、大阪弁から出る人情味が心にしみる作品だった。2回繰り返し読んだあと、図書館で「夫婦善哉」のDVD(1955年作品)を借りてまでこの作品を楽しんだ。
あらすじ
大正時代の大阪。貧乏な天ぷらやの娘蝶子は、17歳で芸者になり、陽気でおてんばな人気芸者に成長する。そして化粧問屋の若旦那柳吉といい仲になり、
vol.33 岡本かの子「鮨」を読んで
素敵な文章にほれぼれした。なんとうまい文章なのだろうと思った。前回の「老妓抄」と同じく、この「鮨」も心に柔らかい感情を残してくれる。
鮨屋の常連客で50歳ぐらいの男性「湊(みなと)」の息がかかるような描写がいい。彼の生まれや育ち方、現在の心境や生き方などを探ると、この作品に込めた作者の思いが伝わる気がした。また、鮨屋の看板娘「ともよ」にある「湊」に対するあやふやな感情描写が、この作品をさらに深い
vol.32 岡本かの子「老妓抄」を読んで
老妓とは「年をとった芸妓」とあった。「抄」は聞き書きぐらいか。この聞き書きの主な展開は、老妓が発明家を志す若い男柚木を物心両面で援助する物語。
これも短編なので繰り返し読めた。読むたびに新たな気づきや疑問が起こった。特にはじまりのシーンはとても映像的で印象深い。女優岩下志麻をイメージした。
「人々は真昼の百貨店でよく彼女を見かける。目立たない洋髪に結び、市楽の着物を堅気風につけ・・・憂鬱な顔を
vol.31 中島敦「山月記」を読んで
たぶん、高校以来。中国古典を素材にしたこの作品、舞台は楊貴妃の1300年前の中国、官僚の階級社会。冒頭のとっつきにくい文体に戸惑ったが、すぐにその気高さに引き込まれた。余計なストーリーは一切なく、背筋がまっすぐになるような文章だった。教訓じみているけど、短編ということもあり繰り返し読んだ。
李徴(りちょう)はなぜ虎になったか。それは、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせいである」と、その理由を明確に