武蔵一宮 氷川神社

武蔵一宮 氷川神社公式note。須佐之男命・稲田姫命・大己貴命の三柱を御祭神とする神社…

武蔵一宮 氷川神社

武蔵一宮 氷川神社公式note。須佐之男命・稲田姫命・大己貴命の三柱を御祭神とする神社です。 ホームページ http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/

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記事一覧

~第205回~『氷川信仰と「ええじゃないか」』

江戸時代末期、大政奉還前後の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、日本各地で空から御札が降ってくるという現象が起こり、それを喜んだ人々が「ええじゃないか」と唱え…

~第204回~「大正の広重と大宮」

コロナ禍があけ、日本には大勢のインバウンド客が訪れ、大観光ブームを迎えています。 観光ブームは今に始まったことではなく、鉄道が発達してきた大正から昭和初期にも起…

~第203回~「昭和祭」

武蔵一宮氷川神社では、4月29日に「昭和祭」を斎行し、昭和天皇の御乾徳を仰ぎ奉ります。 昭和の時代は「天長節(天皇誕生日)」として、平成以後は「みどりの日」とされ…

~第202回~「古代つれづれ」

氷川神社名の神社は、大宮の武蔵一宮氷川神社から分祀され、武蔵国の荒川流域を中心として北海道から鹿児島まで約280社鎮座しております。 武蔵一宮氷川神社は約2500年前…

~第201回~「花を鎮める」

日本人は古来、神に祈りをささげて病と対峙してきました。 4月5~7日、武蔵一宮氷川神社では「鎮花祭」をおこないます。 3日間とも祭典中、氏子中の童女による花しづめの舞…

~第200回~「これまでの2500年、これからの2500年。」

関東の荒川流域を中心に、北海道から鹿児島まで約280社ある氷川神社。 その総本社が大宮の武蔵一宮氷川神社です。 第5代孝昭天皇の御代3年(紀元前473年)4月未の日、水豊…

~第199回~「江戸時代の氷川信仰について」

『日本三代実録』(9世紀成立)や『延喜式神名帳』(10世紀成立)に「氷川神」と記載される武蔵一宮氷川神社。 氷川神社名の社は埼玉を中心に、東京、神奈川の武蔵国から全…

~第198回~「浦安の心」

平成23年3月11日14時46分、世界でも未曽有の自然災害「東日本大震災」が発生しました。 10年後、武蔵一宮氷川神社では同日に「東日本大震災復興祈願演奏」として浦安の舞を…

第197回 氷川風土記「祈りと感謝と祭政一致」

2月17日に行われた「祈年祭」。 「としごいのまつり」とも言い、「とし」は稲、「ごい」は祈りで、豊作を祈願するお祭りです。 大祭である為、神職は神社に籠り、参籠・潔…

~第196回~「蘇民祭と蘇民将来」

2月18日、岩手県奥州市の黒石寺で行われる蘇民祭が惜しまれながら1000年以上の歴史に幕を閉じた…という報道がありました。 岩手県内では、旧正月に裸の若者が「蘇民将来」…

~第195回~「スサノオノミコトへの信仰と伝承」

武蔵一宮氷川神社の主祭神・スサノオノミコトの信仰は全国にわたります。 今回はその中から、奈良県の2月の祭礼をご紹介します。 それは国指定重要無形民俗文化財「江包・…

~第194回~「的神事」

2月7日、武蔵一宮氷川神社で的神事が斎行されました。 これは、的の裏側に「鬼」と書き、それを弓矢で射抜く行事です。 古くは流鏑馬の神事として、旧暦の1月7日に行って…

~第193回 ~「節分」

2月3日は「節分」。 「節分」とは「季節の分かれ目」を意味します。 旧暦(太陽太陰暦)の頃は立春、立夏、立秋、立冬の4つの前日を指しましたが、江戸時代以降は特に立春…

第192回 氷川風土記 「時を告げる音色」

神社では朝夕の開門、閉門時、また祭典や御祈祷前後に太鼓を「ドーン!ドーン!」と打ち鳴らします。 この太鼓の音を「号鼓(ごうこ)」と言います。 門の開閉を知らせる…

第191回 氷川風土記 「元始祭と太安万侶」

1月4日付の東京新聞に『「能登の災害 終息祈る」 大宮・氷川神社 三が日に200万人の参拝客』と題した記事が出ました。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/300335 この…

~第190回~「神々と心」

武蔵一宮氷川神社の主祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。 現存する最古の歴史書『古事記』や『日本書紀』などに記されるその御姿(性格)はさまざまです。 現在では…

~第205回~『氷川信仰と「ええじゃないか」』

~第205回~『氷川信仰と「ええじゃないか」』

江戸時代末期、大政奉還前後の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、日本各地で空から御札が降ってくるという現象が起こり、それを喜んだ人々が「ええじゃないか」と唱えながら踊り続けたという騒動が勃発します。
事の起こりは諸説ありますが、一説には、慶応3年8月4日、三河国(現・愛知県東部)の東海道の御油宿で、秋葉神社の御札が降ってきたために、人々が大いに喜んだという記録があることから、これが「ええ

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~第204回~「大正の広重と大宮」

~第204回~「大正の広重と大宮」

コロナ禍があけ、日本には大勢のインバウンド客が訪れ、大観光ブームを迎えています。
観光ブームは今に始まったことではなく、鉄道が発達してきた大正から昭和初期にも起きました。
その中、日本内外の旅行パンフレットに鳥瞰図を取り入れた画家がいます。
「大正の広重」と称された吉田初三郎です。

吉田初三郎は明治17年(1884)京都生まれの鳥瞰図絵師です。
幼い頃から絵が好きだったそうで、友禅の図案工などを

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~第203回~「昭和祭」

~第203回~「昭和祭」

武蔵一宮氷川神社では、4月29日に「昭和祭」を斎行し、昭和天皇の御乾徳を仰ぎ奉ります。

昭和の時代は「天長節(天皇誕生日)」として、平成以後は「みどりの日」とされておりましたが、平成19年(2007)に「みどりの日」から「昭和の日」と制定されました。※現在「みどりの日」は5月4日

昭和祭が近づくと、昭和天皇の御製を思い出す方も多いでしょう。

昭和天皇は昭和8年(1933)の歌会始で 「天地の

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~第202回~「古代つれづれ」

~第202回~「古代つれづれ」

氷川神社名の神社は、大宮の武蔵一宮氷川神社から分祀され、武蔵国の荒川流域を中心として北海道から鹿児島まで約280社鎮座しております。

武蔵一宮氷川神社は約2500年前の第5代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創建で、第12代景行天皇の御代には、景行天皇の皇子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷鎮定の祈願をされたと伝わっております。
第13代成務天皇の御代には、出雲族の兄多毛比命(エタケヒノ

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~第201回~「花を鎮める」

~第201回~「花を鎮める」

日本人は古来、神に祈りをささげて病と対峙してきました。
4月5~7日、武蔵一宮氷川神社では「鎮花祭」をおこないます。
3日間とも祭典中、氏子中の童女による花しづめの舞を奉奏し、7日の大祭には菱餅に桜花を乗せお供えします。
鎮花祭は、疫病が流行しないように鎮める祭りです。

春の桜の花が散る時季は、急な温度変化により体調が悪化し疫病が流行しやすい時季でもあります。
古代の日本では、私たちに害を及ぼす

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~第200回~「これまでの2500年、これからの2500年。」

~第200回~「これまでの2500年、これからの2500年。」

関東の荒川流域を中心に、北海道から鹿児島まで約280社ある氷川神社。
その総本社が大宮の武蔵一宮氷川神社です。
第5代孝昭天皇の御代3年(紀元前473年)4月未の日、水豊かな見沼を抱くこの大宮に創建されました。
令和10年(2028)には御鎮座2500年を迎えます。
その御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、稲田姫命(イナダヒメノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)です。

「氷川」とは、古

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~第199回~「江戸時代の氷川信仰について」

~第199回~「江戸時代の氷川信仰について」

『日本三代実録』(9世紀成立)や『延喜式神名帳』(10世紀成立)に「氷川神」と記載される武蔵一宮氷川神社。
氷川神社名の社は埼玉を中心に、東京、神奈川の武蔵国から全国におよび、その数は280数社を数えます。
都内にも約70の氷川神社が鎮座しておりますが、特に赤坂氷川神社は歴史好きな方々に知られているかもしれません。

享保元年(1716)、紀州徳川家の徳川吉宗公が8代将軍職を継いだことを契機に、赤

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~第198回~「浦安の心」

~第198回~「浦安の心」

平成23年3月11日14時46分、世界でも未曽有の自然災害「東日本大震災」が発生しました。
10年後、武蔵一宮氷川神社では同日に「東日本大震災復興祈願演奏」として浦安の舞を奉納いたしました。

浦安の舞は、巫女によって舞う神楽舞(正式は四人舞)で、前半は扇舞、後半は鈴舞で構成され、昭和8年の歌会始にて昭和天皇が詠まれた御製『天地(あめつち)の 神にぞ祈る朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を』が歌詞

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第197回 氷川風土記「祈りと感謝と祭政一致」

第197回 氷川風土記「祈りと感謝と祭政一致」

2月17日に行われた「祈年祭」。
「としごいのまつり」とも言い、「とし」は稲、「ごい」は祈りで、豊作を祈願するお祭りです。
大祭である為、神職は神社に籠り、参籠・潔斎を致します。

ところで、この祈年祭の祝詞には「御年の皇神等」への供物として白馬・白猪・白鶏があげられています。
9世紀に斎部広成が記した神道資料『古語拾遺』に、御年神の祭式の起源説話が残っております。

神代の頃、大地主神が耕作の日

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~第196回~「蘇民祭と蘇民将来」

~第196回~「蘇民祭と蘇民将来」

2月18日、岩手県奥州市の黒石寺で行われる蘇民祭が惜しまれながら1000年以上の歴史に幕を閉じた…という報道がありました。
岩手県内では、旧正月に裸の若者が「蘇民将来」と書かれた護符を奪い合うという蘇民祭が伝わっており、「岩手の蘇民祭」として国の選択無形民俗文化財になっております。

この蘇民祭、武蔵一宮氷川神社の主祭神・スサノオノミコトの神話に由来する行事です。

『古代、北の海に住んでいた武塔

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~第195回~「スサノオノミコトへの信仰と伝承」

~第195回~「スサノオノミコトへの信仰と伝承」

武蔵一宮氷川神社の主祭神・スサノオノミコトの信仰は全国にわたります。
今回はその中から、奈良県の2月の祭礼をご紹介します。

それは国指定重要無形民俗文化財「江包・大西のお綱祭り」。
これは奈良県桜井市の江包と大西の両集落間で行われる神事で、毎年2月11日に江包からは雄綱を、大西からは雌綱を出し、江包の素戔嗚神社で夫婦の契りを結び、五穀豊穣・子孫繁栄を祈ります。 この神事は神社の名前のとおり、スサ

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~第194回~「的神事」

~第194回~「的神事」

2月7日、武蔵一宮氷川神社で的神事が斎行されました。
これは、的の裏側に「鬼」と書き、それを弓矢で射抜く行事です。

古くは流鏑馬の神事として、旧暦の1月7日に行っておりました。
現在は本殿祭の後、奉射の儀により邪を祓います。
神前には通常の神饌に加え若菜御飯をお供えし、祭典終了後、境内に設営された的場で、神職と弓道家が弓矢で的を射ます。

このように年頭に行われる弓矢を使った神事は、関東では「オ

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~第193回 ~「節分」

~第193回 ~「節分」

2月3日は「節分」。

「節分」とは「季節の分かれ目」を意味します。
旧暦(太陽太陰暦)の頃は立春、立夏、立秋、立冬の4つの前日を指しましたが、江戸時代以降は特に立春の前日を「節分」と呼ぶようになりました。
節分に行う豆まきなどの行事は、平安時代の宮中で行われていた「追儺(ついな)」が「鬼やらい」となり、そして民間に拡がりました。

古くは「続日本書紀」の中に疫鬼払いとしての記述があり、文武天皇の

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第192回 氷川風土記 「時を告げる音色」

第192回 氷川風土記 「時を告げる音色」

神社では朝夕の開門、閉門時、また祭典や御祈祷前後に太鼓を「ドーン!ドーン!」と打ち鳴らします。
この太鼓の音を「号鼓(ごうこ)」と言います。

門の開閉を知らせる節目を、また「いよいよ祭りが始まる」という合図であると同時に、祭場を清め、一人一人の心を鎮め正す為の音色です。
現代社会においても、例えば目覚まし時計のアラームや学校でのチャイムなど、私たちは様々な音色で時間を捉えています。

古来、私た

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第191回 氷川風土記 「元始祭と太安万侶」

第191回 氷川風土記 「元始祭と太安万侶」

1月4日付の東京新聞に『「能登の災害 終息祈る」 大宮・氷川神社 三が日に200万人の参拝客』と題した記事が出ました。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/300335
この前日の1月3日、武蔵一宮氷川神社では「元始祭」が執り行われました。

元始祭は皇位の元始を寿ぐもので、もともとは明治5年に制定された、1月3日に宮中三殿で行われる天皇の親祭(天皇がみずから神

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~第190回~「神々と心」

~第190回~「神々と心」

武蔵一宮氷川神社の主祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。
現存する最古の歴史書『古事記』や『日本書紀』などに記されるその御姿(性格)はさまざまです。

現在では厄祓い・疫病祓いの神様としても知られるスサノオノミコトですが、暴風の神、農業の神、樹木神などの姿もあります。
また、『出雲国風土記』に見られるスサノオノミコトへの信仰の分布が、産鉄地域とも重なることから製鉄神としての姿もあると言われており

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