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~第202回~「古代つれづれ」

氷川神社名の神社は、大宮の武蔵一宮氷川神社から分祀され、武蔵国の荒川流域を中心として北海道から鹿児島まで約280社鎮座しております。

武蔵一宮氷川神社は約2500年前の第5代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創建で、第12代景行天皇の御代には、景行天皇の皇子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷鎮定の祈願をされたと伝わっております。
第13代成務天皇の御代には、出雲族の兄多毛比命(エタケヒノミコト)が朝廷の命により武蔵国造となり氷川神社を奉崇しました。
以後、氷川神社は時代ごとに信仰を集めました。

日本書紀によると、ヤマトタケルノミコトは東国征討の際、武蔵国(現在の東京都や埼玉県、神奈川県の一部)や上野国(群馬県)等に立ち寄ったとありますが、武蔵一宮氷川神社には、ヤマトタケルノミコトが祈願されたと伝わっております。
ヤマトタケルノミコトの足の負傷が治り、立てるようになったことから「足立」という地名が付いたという伝承も残っており、実際、武蔵一宮氷川神社は古くは「武蔵國足立郡鎮座」と記されております。

この「足立郡」が初めて確認できるものが、奈良県奈良市二条大路南一丁目の、平城京の長屋王邸宅跡から出土した木簡(荷札)です。
そこには「武蔵国足立郡土毛蓮子一斗五升 天平七年十一月」とあり、天平7年(735)に足立郡産の蓮の実が献上されたことが分かります。
蓮は水底の土中に塊茎をつくり、そこから葉と花茎を水面に伸ばす水生植物です。
当時の足立郡の水の多さを物語る献上品であり、氷川神社と水の関わりをも連想させるものですね。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕


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