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~第204回~「大正の広重と大宮」

コロナ禍があけ、日本には大勢のインバウンド客が訪れ、大観光ブームを迎えています。
観光ブームは今に始まったことではなく、鉄道が発達してきた大正から昭和初期にも起きました。
その中、日本内外の旅行パンフレットに鳥瞰図を取り入れた画家がいます。
「大正の広重」と称された吉田初三郎です。

吉田初三郎は明治17年(1884)京都生まれの鳥瞰図絵師です。
幼い頃から絵が好きだったそうで、友禅の図案工などを経て、洋画家を志して関西美術院長の鹿子木孟郎に入門します。
契機は大正2年(1913)に刊行された京阪電車の沿線案内図。
ここで描いた『京阪電車御案内』が、皇太子時代の昭和天皇から「これは奇麗で解り易い」と賞賛されたことがきっかけとなり、以後、生涯に1600点以上もの作品を描いたと言われています。
初三郎が得意とした左右の端をU字型にまげる大胆なデフォルメと鮮やかな配色は「初三郎式鳥瞰図」と呼ばれたそうで、観光ブームの中で人気を博しました。

そのような初三郎は大宮の町も描いております。
それが「帝都郊外唯一の理想郷大宮鳥瞰図」(昭和9年)。
氷川神社の参道を中心に描かれた大宮地方の鳥瞰図で、当時の氷川公園、大宮鉄道工場、片倉製糸工場等が描かれ、完成までに2か月要しました。
当時の新聞には「2万部印刷され、鉄道省国際観光局やジャパンツーリストビューロー、帝国ホテル等へ頒布し大々的に宣伝」と書かれています。

初三郎は「帝都唯一の理想郷」と詠うほどに大宮、そして武蔵一宮氷川神社への想いが強く、武蔵一宮氷川神社には絵画の作品四点を奉納されております。
初三郎が描いたこの鳥瞰図、もちろん大宮の様々な名所が紹介されていますが、その中には見沼川(見沼代用水)もあり、そこには「源氏蛍発生地」と説明が書かれています。
当時、大宮がゲンジボタルの名所として知られていた証ですね。
なお、同図のレプリカ画が氷川神社のほか、さいたま新都心のコクーンシティ三階のコクーンホール入り口に飾られております。
ぜひ一度ご覧くださいませ。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕


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