~第199回~「江戸時代の氷川信仰について」
『日本三代実録』(9世紀成立)や『延喜式神名帳』(10世紀成立)に「氷川神」と記載される武蔵一宮氷川神社。
氷川神社名の社は埼玉を中心に、東京、神奈川の武蔵国から全国におよび、その数は280数社を数えます。
都内にも約70の氷川神社が鎮座しておりますが、特に赤坂氷川神社は歴史好きな方々に知られているかもしれません。
享保元年(1716)、紀州徳川家の徳川吉宗公が8代将軍職を継いだことを契機に、赤坂に紀州徳川家の中屋敷があったことから、幕府としても赤坂氷川神社そして氷川神(江戸時代は「氷川明神」)を尊んで信仰されたことが知られています。
赤坂氷川神社は、天暦5年(951)に東国を遊行していた蓮林僧正が一ツ木村(現・赤坂4丁目付近)で一夜を明かした際、夢の中でスサノオノミコトのお告げがあったことから社殿を建てられたそう。
その後、治暦2年(1066)の夏に、関八州(関東一円のこと)に大きな干ばつがあった際、村人たちが神社に雨乞いの祈願をするとたちまち雨が降りはじめ、その雨量は川ができるほどだったとの伝承が残っています。
自然神としての氷川神への信仰がうかがえる伝承です。
江戸時代における氷川明神への信仰は他の事例にもうかがえます。
安政2年(1855) 年の安政大地震の際に出版された「鯰絵」のひとつ「大日本帝祖大明神霊験万民を助給ふ之図」には、江戸上空に出現した輝く太陽を背負う天照大神が地震(鯰)を調伏する鹿島太神宮はじめ神田大明神や氷川明神、八幡大菩薩 、山王大権現といった江戸の神々を使役し、江戸の街を救済されています。
これも、江戸時代に氷川神(氷川明神)への信仰が拡がっていたことを示す事例です。
自然への畏怖と氷川信仰は今も昔も変わりはないことを教えてくれますね。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕
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