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~第205回~『氷川信仰と「ええじゃないか」』

江戸時代末期、大政奉還前後の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、日本各地で空から御札が降ってくるという現象が起こり、それを喜んだ人々が「ええじゃないか」と唱えながら踊り続けたという騒動が勃発します。
事の起こりは諸説ありますが、一説には、慶応3年8月4日、三河国(現・愛知県東部)の東海道の御油宿で、秋葉神社の御札が降ってきたために、人々が大いに喜んだという記録があることから、これが「ええじゃないか」の始まりとも言われています。
その後、「ええじゃないか」は一気に全国に拡大しました。

騒動は各地で三日三晩、長い時には一週間以上続いたといわれ、時に男性は女装し、女性は男装し、奇抜な仮装をした人が大勢あつまり、口々に「ええじゃないか」と唱え、歌い踊りながら町を歩きました。
伊勢神宮の御札が降るおかげ参りと異なり、「ええじゃないか」の御札は地域で信仰されている社寺の御札が降ったことが特徴で、大宮にもその騒動の記録が残されております(『大宮市史』第4巻)。
それによると、同じく慶応3年の11月、伊勢国桑名馬道の油屋兵助からの書状が武蔵一宮氷川神社宛に届き、そこには「桑名で氷川大明神の御札が天から降ってきた。そこで祭礼をしたので、今後初穂料を神納したい。ついてはこの手紙の返事が欲しい」と記されていたそうです。

この手紙を受け、当時の氷川神社では臨時の太々神楽を執行したとの記録も残っています。
当時、東海地域で氷川信仰がどこまで浸透していたかはっきりしてませんが、確実に信仰の波が東海地域にも届いていたことが分かる記録です。
江戸末期の「ええじゃないか」騒動は、なぜ一気に全国に広がったのか、どう終息したかは諸説ありよく分かっていませんが、幕末の行き詰まった世相で暮らす民衆が、世直しを切望した結果、発生したともいわれます。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕


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