#家族
たったひとりに贈られる言葉たち。
不思議なもので、言葉に落ち込んだ時は
また、言葉を探しにいってしまいたく
なる。
時々、言葉は道具だからと半分うそぶいて
しまいたくなるけれど。
言葉は日常のコミュニケーションのためにも
あるし。
作家のような「世界」を際立たせるために
格闘している人のことばもあると思う。
言葉って、単なる道具じゃないやり方として
贈り物って考えも一方である。
言葉をかけられて、すごくやる気がでたり
うれ
SNSを離れて繁華街を歩いていたら、ラッパーらしき人とすれちがった2024年の始まり。
日常ってあっと言う間に変わってしまうけど。
その変わってしまう日常にもいつしか慣れて
いく。
11月1日は、noteで出会ったイシノアサミさんと
一緒に絵本を出版することになって、
発行日はその日にしましょうと約束して。
その日に決めていた。
その日は奇しくも大好きな人の記念日でも
あったから、その日を楽しみにしていた。
10月のおしまいの日。
明日は本の発行日なんだなってうれしくなって
「ルビーの指環」を聞けなかったあの頃のわたしへ。
はじめて、今年はひとりお正月を過ごしていた。
母がいた時はふたりお正月で、日常と
ちがうことをするのがふたりとも
乗らないよねって思うタイプなので
いつも通りしようねとか言いつつも
お正月仕様のお節や飾りつけに勤しんで
いたけれど。
ひとりと決まった時、お飾りとかお節とか
作らんでもよかですよねって自分を甘やかして
いたら。
何十年ぶりの一応断捨離的なことをして
みためすっきりしてきたので。
父が描いた絵に、さよならの時の父の背中を思い出していた。
父親が定年してから、はじめたのは絵画だった。
昔から、絵を描いて暮らしてゆくのが、
夢だったらしく。
画家を目指したこともあったらしいけど。
暮らしていけないからと、医療従事者の
職業を選んだ。
今も週に何度かは勤務していて、
ずっと働いていた事業所の定年間際から
教室に通っていると、聞いていた。
絵画の先生が、寡黙だけど、なかなかええんや。
って言って。
じぶんでちゃんと描