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人生から逃げてじんせいと言ってたけど、これが人生なんだなって思った。

主語はわたしでいいし。

むやみにでっかくしたくないなって
気持もある。

たとえば。

人生を主語にするなんていまも大げさ
だなって思うのだけど。

これはおばあさんになっても、きっと
まだ大げさだなって思っているような
節がありそうだ、わたしの場合。

じぶん以外の人の人生を思う。
たとえばそれは家族、親の人生みたいな
ものを考えると。

それはおおきな主語というよりは
わたしも彼らの人生の中の登場人物として
いさせてもらえてることを思うと。

それは彼らの人生なんだと、ふしぎな言い方
だけどそういう主語でいいのだとじしんを
もって言える。

わたしはじぶんの家族、生まれたところ
以外にはつくらなかったので
いまだに、すべての時間が遅れてやって
きている感覚がある。

そろそろ当事者になりなよって思うの
だけれど。

わたしにとっての家族は人より、景色が
違っているのかもしれない。

家族にいつもと違う日常がやってくると
わたしはその人の人生のなかの登場人物
であったことがありありと浮かんできて。

現実が目の前に迫って来る。

これが現実なんだよなって思う。

いま、すこしのあいだ来年のたぶん2月
ぐらいまでわけあって独り暮らしが
つづくのだけど。

ふたりぐらしがひとりとひとりになって。

これが。

あ、ふたりのというかひとりとひとりの
人生なんだなって思う。

日常にスラッシュが入ったみたいで
最初はただびっくりして、身体があちこち
ふるえていて、悲観しかなかったけど。

日にちって凄いなって思う。

日常があるということが、人を救って
くれることもある。

ごみをだして、洗濯をして。
ごはんをたべて。
家を片っ端から覚悟して片づけて。

やることが山積みだということは
わたしを日々前に進ませてくれた。

11日経って、わたしもこの日々の
暮らしに慣れたように。

母も病院の中で今の環境になれた
みたいで。

リハビリを頑張ってるという自覚が
あるらしく。

面会に行くと目をぱっちりあけて
母が今日こんなことを言った。

「こんなに頑張ってるんだから今まで
頑張ったことがむだになるのは
もったいないじゃない。
しんでる場合じゃないって」。

わたしの眼をみてまっすぐ言ったのだ。

そしてこちらのリアクションをすごく
待っていた。

頑張るの好きだから凄いよねって
なんかあたふたしながら答えたけど。

そうだよな。わたしはこういう強い
母から生まれてきたのだと、あらためて
実感していた。

そして弱音を吐かない母というか
こういうしれっとした強さをわたしに
みせてくれたことが、とても嬉しかった。

嘘がつけない母の今の気持ちのように
思えた。

じんせいと今までは平仮名で書くことでしか
しっくりこなかったけど。

母は今「人の生を生きている」、じんせいじゃ
なくて「人生」生きてるんだなって思う。
あ、母はずっと昔からそうだと思う。

あたふたした毎日だけど。
わたしは今までひとりの時間がなかったことにも
気づかされた。

そして
今までは遠くに感じていた家族人に囲まれている
ことにも気づかされた。

たすけてくださいを言えてよかったとしみじみ
感じた。

あの日あの時、いつもみたいに助けてくださいが
言えなかったらと思うと、なかった現実が
せまってきてこわくなる。

こんなこと書かないでおこうかと思ったけど。

わたしのnoteの記憶と記録として書いておき
たくなっていた。

お忙しい中お読みいただきありがとう
ございます!



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