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記事一覧
昔語り : 学校で日本人を避ける日本人
その朝はどんよりと曇っており、雪でも降りそうなくらいの寒さだった。
カーテンを開けるとようやく朝日が昇ってくるのがわかる。
昭和61年。一月のロンドンの朝は気の滅入るものだった。まだ朝も明けきらないうちから起き出し、朝食をとる。出かける支度、といっても筆箱と小さいノートとお財布、そしては母が作ってくれたお弁当を入れるだけだ。
「じゃあ行ってきます」
「気をつけてね」
「うん」
そう言って
昔語り:小さなLegal Aliens
昔々,40年近く前の事。筆者は親の転勤でイギリスに住んでいた。
14歳で行ったイギリスに慣れるので精いっぱいの日々を送って数年たった頃,親からこういわれた。
「16歳の誕生日から一週間以内に外国人登録をしに警察署へ行かなければならない。昼間しか都合が付かないから授業を休んでいいか先生に言っておけ」
現在はどのように呼ばれているか分からないが、当時外国人登録は「Alien Registratio
英語格闘記:帽子とアスコット競馬
昔々,昭和時代の終わりぐらいの事。
筆者は十代の途中で家族の転勤でイギリスに移り住んだ。
高校生の頃、ラジオを聴くのが好きだった。
インターネットの無かった時代、外国語を覚えるために使えるものの一つにラジオがあった。
天気予報から始まり、ニュースやバラエティ、ラジオドラマ、音楽、DJのおしゃべりやラジオ局に音楽のリクエストをしてくるリスナーとのやりとり。様々なスタイルの外国語を耳にすること
エッセイ:「ありがとう」と「お願いします」を巡る階級闘争
飛行機が成田空港を出発し,私達家族は日本を離れた。
昭和の終わり頃,父の急な転勤で私達家族は海外生活を余儀なくされた。
当時は単身赴任という選択肢が無かった様で,子供がどんなに年齢が行っていても海外赴任に同行させられた。
現地の言葉など全く使いこなせない我が家は,到着後,一足先に現地に入っていた父と合流し,新しく住む家に連れていかれた。
屋内で靴を脱ぐ習慣の無い国とは聞かされていたが,玄関