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女風セラピストにガチ恋して共依存リアル脱出ゲームをコンプリートしたはなし②
自己愛セラピストの施術を受けてから、わたしは熱に浮かされたようになってしまった。
ハートを大砲で撃ち抜かれたみたいに胸が苦しくて苦しくてたまらなかった。寝ても覚めても自己愛セラピストとの逢瀬のことを考えてしまった。
最初は嬉しくて嬉しくて身体から爆発的な喜びが湧き上がってくるような感覚だったのが、次第に苦しくて苦しくて耐えられないような焦燥感に変わってきた。
早くもう一度会いたい。会わなければ
変な人を引き寄せるという考え方をやめる、大切なのは距離と時間
わたしはこれまで数々のパーソナリティーが歪んだ人々と関わってきた。
親や夫だけでなく、親友だと思っていた人も、会社の同僚も、大人になって出会ったママ友も。
それだけじゃない。
夫の死をきっかけに自分の内面と真摯に向き合い、インナーチャイルドを癒しまくり「もう大丈夫だ、これからはまともな人と出会える」思ってからも、まだまだ変な人と出会ってきた。
からだの感覚を信頼して世界に飛びだそう
思い返せば、わたしはパーソナリティー障害ぽい人とばかり関わってきた。
母も夫も親友も、ママ友も職場の同僚も恋人もプールで会ったおばちゃんも、なんか知らんけどみんな歪みが強かった。
みんな概して外側に責任の所在を求めるタイプ。
他人が変わればすべてうまくいくと信じている人。他人のせいにして、内省をしない人たち。
その人たちは概して依存的であったり、自己愛が強過ぎたり、同情心を使って人を操作する人
共依存の舞台から降りる
わたしは共依存の世界に生まれた。
生まれたときから世界は問題が山積みで、恐ろしいことや怖いことが溢れていて、そこには助けなければならない弱い人がいた。
誰かの問題に一生懸命になってるときって、案外楽だったりするんだ。
だって自分の問題は棚上げしていられる。自分はなにが好きでなにが嫌いなのか、この先なにを選んでどんな世界を創っていくのか。
そんな本質的で気が重い問題と向き合わないで済む。
それで
女風セラピストにガチ恋して共依存リアル脱出ゲームをコンプリートしたはなし①
瞑想中に啓示を受けたわたしは、かなり迷った挙句に勇気をふりしぼって女風の扉を叩いたのだった。
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わたしには明確な目的があって、それは「深いオーガズムを体験すること」この1点。
そのためにはセックスが下手な人と出会って恋愛するのだけは絶対に避けたかった。誰かと出会って一から手順踏んで恋愛してようやくセックスをしたらセックスが下手だったなんて、そんなことを繰り返していたらいっ
変な人を引き寄せる受け皿を粉砕せよ
思い出してみれば
わたしが今まで築いた人間関係には
パーソナリティー障害ぽい人が多くて
(自己愛が強い人、
弱さで他人をコントロールする人)
それはわたしが
パーソナリティー障害の人に
親和性を持っている証拠であり
それがどこからくるのか
考えるまでもなく
やはり母親なんだよなぁ
でも母のどこがパーソナリティー障害なのか
いまだ分からないでいる
母を客観的に見ることは
まだまだ苦手
自己愛の強
からだがよわかったから、いま生きている
からだがよわいことが
ずっとコンプレックスだったけど
じつはよわいからだが
わたしを守ってきてくれたのかもしれない
と思いはじめてる
からだがよわいから
無理してがんばれない
こんなふうに雨が続く日は
ずっとしんどくて寝てばかり
でもそれでいいのかも
動ける日に動いて
動けない日は動かない
これがわたしのペースなんだと受け入れて
わたしのペースでできるとこをやっていく
それでいいんだ
中学校の嫌な思い出をむすめを通して癒していく
中一のむすめは学校から帰ると、毎日たくさんおしゃべりしてくれる。
その日学校であったこと、あの先輩が可愛かったとか、クラスメイトが泣いたとか怒ったとか。
聞いていて驚くのが、みんなよく怒りよく泣くということ。中一ってこんなに感情を露わにして怒ったり泣いたりするんだ?ってむすめも驚いてるけどわたしも驚いてる。勉強はそこそこの私立中学校なので、もしかしたら公立でうまく立ち回れなかった感情の扱いが苦手
こどもの失敗を見守るのが愛
子供が失敗するのを見ているのは怖い。
なぜなら自分が若い頃、失敗したことを思い出すから。自分の子供にはあんな思いさせたくないとおもってしまう。
でも今のわたしたちがあるのは、あのころ失敗して泣いて落ち込んで立ち直った経験があるから。そこから学んで成長した経験があるから。その経験は宝物なんだ。
人は失敗からしか学べない。成功からは学べないんだ。
失敗は痛い。失敗した本人も見守ってる親も痛い。