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中学校の嫌な思い出をむすめを通して癒していく

中一のむすめは学校から帰ると、毎日たくさんおしゃべりしてくれる。
その日学校であったこと、あの先輩が可愛かったとか、クラスメイトが泣いたとか怒ったとか。

聞いていて驚くのが、みんなよく怒りよく泣くということ。中一ってこんなに感情を露わにして怒ったり泣いたりするんだ?ってむすめも驚いてるけどわたしも驚いてる。勉強はそこそこの私立中学校なので、もしかしたら公立でうまく立ち回れなかった感情の扱いが苦手な子が集まっているのかもしれないけど、それにしたって毎日誰かしら泣いているのだからなんだかおかしい。

でもなんだかおかしいと苦笑いしながらも、同時に羨ましく感じる自分もいる。
わたしも中学校のころ、こんなに怒ったり泣いたり感情を表に出すことができたなら、あんなふうに先輩に意地悪されることもなかったんだろうな〜と思うから。

わたしは中学校のとき吹奏楽部でクラリネットを吹いていた。とても地味でおとなしい生徒だったのに、一つ上の先輩たちに目をつけられてことあるごとにいじめられた。同級生同士のケンカに口出ししたり、いま考えればいちゃもんと言えるレベルだけど、当時の中学校の先輩は軍隊レベルの権力を保持していて、絶対に逆うことは許されなかった。

いまでも悔しくて思い出すのは、新しいクラリネットが支給されたとき。
わたしたちの学年はクラリネット3人、みんな先輩のお古の年季の入った楽器を使っていた。
あるとき新しいクラリネットが2台だけ支給されることになった。新しいクラリネットを使えるのは3人中2人。血で血を洗う争奪戦だ。当然そこには然るべき話し合いや勝負が存在するはずだった。

待ちに待った新しいクラリネットが支給される日、わたしは不覚にも体調不良で早退してしまった。でも常識的に考えて、3人のうち1人が休みのときに新しい楽器を与えるはずはない、そう鷹を括っていた。
翌日クラブに行ったわたしは目を疑った。新しい楽器はなんの正統な手続きを経ることなく、何の相談も勝負もなく、わたし以外のふたりのものになっていたのだから。

そう、先輩はわたしに意地悪をしたのだ。
わたしはあまりの事態に悔しさを通り越して唖然としたが、なにも言わなかった。泣かなかったし怒らなかった。誰にも相談できなかった。

こんなとき、むすめの同級生のように怒ってこの世の終わりみたいに泣けばよかった。親に言って先生にもチクればよかった。大問題にすればよかったんだ。

でもそのどれも、わたしにはできなかった。幼いころから感情を表に出すことを禁止していたし(潜在レベルで)親はわたしに無関心で相談できる相手ではなかった。先生に言うなんて思いつきもしなかった。
こんなふうにやられてもやり返さない、感情を出さない、誰にもチクらない相手を、いじめる側はちゃんと選んでるんだよな。

今でもあの悔しさは腹の底にある。
でもむすめが管弦楽部に入って、高校生の先輩にめちゃくちゃ可愛がられながら(中高一貫なので高校生がいてクラブの治安がめちゃくちゃいい)楽しくホルンを吹いている姿を見て、少しずつわたしのモヤモヤは癒されていっている。
むすめは本当にわたしを助けてくれるんだよなぁ。
むすめを通して思い出す部活の嫌な思い出を少しづつ感じて癒していこうと思う。
そして当時はそれどころじゃなくて感じられてなかったみんなで音楽を奏でる素晴らしさ、美しさ、楽しさをあらためて味わい直せる気がしてる。むすめがくれたチャンス、楽しんでいこうと思ってる。

うれしくて涙がでるよ