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これからは人と関わっていこうと思う

2年半前に夫が突然亡くなって、それまでは平気だったあらゆる人間関係がしんどくなった。
夫が亡くなったと告げた時の反応は、まさに踏み絵のように機能した。
友人だと思っていた人たちのほとんどは友人ではなかったと感じた。親やきょうだいでさえ心無い一言でわたしを傷つけた。

たくさんの人と縁を切った。
もともと数少ない友達と親戚が、さらに少なくなって、わたしは孤独になった。


あの頃のわたしは、あまりにも傷つき過ぎていて心に余裕がなかった。大きな傷を受けた心は、もともと繊細なのにさらに繊細さが極まっていて、ちょっとしたことにもすぐに傷ついたし、小さな他人の過ちを許すことができなかった。

わたしは非常事態に陥っていて、命を守るために、これ以上傷つけられるわけにはいかなかった。わたしを傷つける人からは距離をとって自分を守らなければならなかった。


あの頃わたしが付き合えた人は、精神的に成熟した人と、深い哀しみを知っている人だけだった。


わたしは硬い殻に閉じこもった。誰とも会わず、安全で優しい人とだけ付き合った。そうやって自分を守った。

そこは静かで孤独で寂しい場所だった。誰もわたしを傷つけない安全な場所であるはずだった。

その場所でいつしかわたしは人の愛情に飢えるようになっていた。わたしの孤独を理解してくれる人に出会いたいと切望するようになっていた。


そんなとき起きたのがこれだ。



人間関係を極限まで狭めていたわたしには、相談する相手がいなかった。わたしの特殊な状況を理解できる人はいないと思っていた。

そんな孤独で友達付き合いをしていない人間は簡単に騙される。それを身をもって経験した。

孤独で友達がいなくて、愛情に飢えていて誰にも相談しない人間。騙すほうにとってこれほど好都合な相手はいない。


たしかに人と関わらないのは楽だ。喧嘩したり批判されたりモヤモヤしたり嫌な思いをすることもない。でも逆に楽しいことも嬉しいことも自分が成長するチャンスをも失われていることに気付かねばならない。

ひとりでいれば楽だけど、どんどん偏屈な人間になる。自分だけの世界で自分は凄いんだと驕ってしまう。孤独で寂しくて簡単に悪い人に騙される。

わたしはそんな世界にとどまりたいわけじゃない。一時的に疲れていて人間関係を停止していたけど、ようやく充電も貯まってきた。悪い人にも騙された。

わたしはそろそろ人間関係を再開するときだ。
人と付き合うのはとても面倒くさいけれど、同時に素晴らしいものでもある。
夫の死によって感じた苦しみや恐怖、絶望。あんな思いは二度とごめんだと思ってきたけれど、それでももう一度勇気を出して人と関わっていこう。人と関わることはその価値がある。

わたしはひとりでは自分に気付けない。他人はわたしを写してくれる鏡だ。
自分を極めたいならば、隠居や出家するんじゃなくて、俗世に降りてより多くの人と関わっていくことだ。めんどくさいことを楽しむこと。それがわたしたちがこの世でやりたかったことなのだから。



うれしくて涙がでるよ