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理不尽な経験も必要だった

わたしの親はわたしに無関心だった。
親は自分に一生懸命で親である自覚に乏しかった。わたしは早く大人にならざるを得なかったし、物心ついたころには、なんでも一人でできる子供になっていた。

なにをしようと、どこに行こうとなにも言われなかった。反対されたことがなかったし、応援されたこともなかった。とにかくわたしに興味がなかった。

わたしは高校を卒業して一年浪人して京都の大学を受験して合格し、京都で一人暮らしをした。1〜2年生は田舎の方に暮らし、2年生の途中で都会に引っ越した。大学2年生の時には二週間ほどカナダにホームステイした。大学3年生の夏休みにはアメリカでインターンシップをした。大学4年生の夏には一人暮らしの家を引き払って実家の広島に戻り、月に1〜2回新幹線で大学に通った。新卒で就職した会社は東京の会社で、そこが合わず一年で退社して実家に戻った。

そのどれも反対されなかった。わたしが勝手に決めて行動した。一応相談はしたと思うけれど、なにも言われたことはなかった。母にとってはすべてどうでもいいことだった。

そんなふうに勝手気ままに生きてきて、わたしは自分が孤独だと思うことはあっても「自由」だと思ったことはなかった。
これが普通だった。自分で決めて行動する。わたしにとってそれは至極当然のことだった。


それが当たり前ではなかったと知ったのは夫と結婚してからだ。


夫と夫の家族は極度の心配性で過干渉だった。わたしの親とは正反対のタイプだった。

夫はわたしが働くというと反対し、子供の習い事に反対し、自転車を買うのにも反対した。何もかもに反対してわたしの自由を奪った。

これはわたしにとって初めての経験だった。
わたしの自由意志が正当な理由なく、なんだか心配だからという理不尽な理由で妨げられる。わたしの部屋の空気が少しずつ抜かれていくような、少しづつ血管がちぎれそうになるような、そんな感覚だった。わたしは初めて「不自由」というものを味わったのだった。


夫が亡くなったとき、ようやく全てが終わったのだと思った。

突然の死の衝撃に吹き飛ばされそうになっている一方で、どこか安堵している自分がいた。

「ああ、ようやく自由になった」と思った。


そしてわたしは実は結婚するまで自由だったんだと気付いた。自由を奪われるまでその価値にまったく気付いていなかった。わたしにとって自由がどれほど大切かも自覚していなかった。

わたしにとって自由を奪われることは本当に耐え難いことだった。それを知るための結婚だったと言っても過言ではない。それほどに大きな発見だった。

もうあんな思いは二度とごめんだ。愛という名前をつけた理不尽な束縛はもう本当に二度と御免だから。あの理不尽で不自由な場所には二度と行きたくない。

自由と孤独は隣り合わせかもしれないけれど、わたしはそれでも自由でいたい。孤独でも自由でいたい。


不自由を経験して初めて自分がどれほど自由を愛していたのかを知れた。
人は反対側を経験しないと、その価値に気付けない。たとえそれがどんなに理不尽で嫌な経験であったとしてもわたしにとって必要な経験だったのだと今は思ってる。

うれしくて涙がでるよ