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共依存の舞台から降りる

わたしは共依存の世界に生まれた。
生まれたときから世界は問題が山積みで、恐ろしいことや怖いことが溢れていて、そこには助けなければならない弱い人がいた。

誰かの問題に一生懸命になってるときって、案外楽だったりするんだ。
だって自分の問題は棚上げしていられる。自分はなにが好きでなにが嫌いなのか、この先なにを選んでどんな世界を創っていくのか。
そんな本質的で気が重い問題と向き合わないで済む。

それでいて誰かの問題に首を突っ込んでいれば、それなりの満足感や充足感が得られる。

手っ取り早い逃げ道なんだ。

そこではまるで昼ドラの中の主人公になったようなドラマティックな体験ができる。

そこは大変なようでいて現実から目を逸らしていられる実はラクチンで楽しい世界でもある。

わたしは生まれ落ちたそこがすでに共依存の世界だった。自己愛の強い父親と依存的な母親の織りなす共依存劇場。

そこから出るのに45年かかった。 


ひとたび舞台を降りて客席に座ってみれば、そこは本当に滑稽な世界に見える。

みんな悲劇のヒロインを必死で演じているけれど、それはただその役がやりたくてやってるんだ。やめたければいつでもやめられるけど、自分で選んでるんだよ。その方がラクで楽しいから。自分の本質から目を背けていられるから。


笑っちゃうよね。わたしはその舞台の上で役を演じてる誰かを必死で救おうとしてたんだから。そんな必要ないのにね。

やりたいならやればいいんだよ。気が済むまで悲劇を演じきればいい。そのうち飽きる。それが今世か来世になるかはわからないけど。

うれしくて涙がでるよ