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11013の手紙に寄せて

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11013でなければならない理由も、ないのだけれど。
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#演奏

歌と生花と給食用野菜

歌と生花と給食用野菜

イベントごと、お祝いごとで、毎年たくさんの需要がある、生花。それが余ってしまっているとも聞きます。需要がなくなり、お金にかえることもできない。しおらせ、枯らせてしまうくらいなら…自由に持っていっていただくというのもあるのかなと思います。平時なら、命と同等の「商品」。それを、無償で差し出すこと。それは、思念・思想を差し出すようなことかもしれません。もはや「お金」には替わらないのだから、せめて「思い」

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真似なのかリスペクトなのか

真似なのかリスペクトなのか

「ほんとのオリジナル曲なんて、いっこもない」みたような極論、そうしたタイトルを目にしたことがあります。ネットで目にした本のタイトルだったか、ブログ記事のタイトルだったか正直覚えていません。おそらく、人は生まれてきて、その世界に(すでに)いる人たちのことを真似して、自分もからだを動かしたりものを考えたりしながら生きていく、つまり、「すべては見よう見まねだ」ということを強調した論旨なのかなと想像します

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歌う私の面の皮

歌う私の面の皮

『Fukushima 50』という映画が公開されました。福島第一原発で起きたこと、それに立ち向かう50人?を描いた映画のようです。原作は門田隆将によるノンフィクション。震災から9年を経て映されるそれに、私も関心が湧きました。2011年3月って、およそ9年前なのですね。当時、ただ淡々と世の中の流れを傍観して過ごした自分がいたような気がします。

あの頃、いったい自分は何を考えて、どんな行動を起こ

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記帳してわかった体調管理のこと

記帳してわかった体調管理のこと

5年間つかえる手帳に、毎日音楽のことを記しています。音楽のことって、それは一体どんなことかといえば、体調管理のことです。僕は楽器の演奏や歌唱をするのですが、体調が良くないと、それらをじゅうぶんに楽しめません。録音は進みませんし、人前での本番だったら、つらくてもなんとしてでも乗り切らないといけません。いかにすれば毎日よい体調を保ち続けられるかが、最大の関心事なのです。

ですので、手帳に、この日

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リハのリハ

リハのリハ

なにかを始めてみることで、問題点がわかる。はじめてみたはいいけど、うまくいかないとなった場合、とにかくやってみたことで、その原因がわかるかもしれない。

僕は、あたまで考えたけど実際に動き出せない、ということが多いのです。そのことをここで、あえてポジティヴにとらえてみます。それは、現状を把握する分析・観察能力、未来の予測力が高いのでは?ということです。現在のじぶんをとりまく環境、現在のじぶんに

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音楽大学の生活

音楽大学の生活

僕は、東京音楽大学というところに通っていました。音楽大学には、各地から音楽を志す人がつどいます。

それぞれの出身地域では、神童と呼ばれうるような扱いをうけていたかもしれない人も、ひとつ(ないしはふたつ、みっつ…そう多くはない数)の大学に集中すると、神童といえるほどに特別な存在ではなくなります(おのおのの地方に帰れば、相変わらずの状況が続いているかもしれませんが)。そう、どいつもこいつも、演奏

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プレイヤー・キャラクター

プレイヤー・キャラクター

ぼくは作曲をして、その演奏の録音をします。決めたとおりのアレンジの演奏が録音できるまで、失敗を繰り返します。その過程でだんだん成功に近づいていって、最後には「ま、こんなもんでしょう」という「ベスト」を決めて、おしまいにします。そうしないと、終わりません。「ベスト」のテイクを決められたら、要はゲームクリアみたいなものなのです。そう、ゲームに似ていると思うことがあります。

穴に落ちたり、敵に触れ

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黙殺と音声

黙殺と音声

萩原朔太郎の詩を読んでみたのですが、なんだかよくわからず、ピンと来ないなぁ、いまのじぶんにはまだ早いのだろうかと思いました。

そこで、わたしは音読してみることにしました。言葉という記号を認識して、子音と母音をつくって発します。音波になったそれが、反響してかえってきます。お? なんだか、作品をじぶんが理解しているかは別として、ぼくはいま肉体で詩をとらえているのではないかと思えたことがあります。

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バスケとラグビー

バスケとラグビー

高校生のときに、体育の授業でラグビーを経験しました。それを経験といっていいのかと自問すると、ちょっと足りないような気もします。それくらいしか、僕はラグビーに関わる経験がないのです。

いっぽう僕は、バスケットボールを小・中・高校生と、授業やら休み時間やらにさんざんやりました。走って、跳んで、大きめのボールをリングに通すというシンプルなこの競技がそこそこ好きでした。ですが、この競技で遊ぶようにな

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インクの滲み

インクの滲み

歌もギターもベースもドラムもピアノも、笛でもおもちゃでもなんでもかんでも、すべての演奏をたった1人でこなして、最初から最後まで曲をつくりあげるという音楽の制作スタイルがあります。この制作スタイルによる作品の発表がある偉大なミュージシャン、シンガー、ソングライターたちは後をたちません。ぼく自身もそうしたスタイルをとり、音楽制作を日々おこなっています。

1人がいちどに演奏できる楽器(パート)の数は

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大丈夫、できるから、行け。

大丈夫、できるから、行け。

生まれたばかりの小さな赤ちゃん。その子が、20年かそこらして、筋肉も骨格もたくましい大柄の大人になるところは想像しがたい。しかし、その光景が実現する可能性はある。ありえないことじゃない。「信じられないねぇ〜」なんて言いながらも、実際にそんなことになったとしたら、ぼくはその事実を笑って受け入れるだろう。幼いときのぼくを知っている親戚のおじさんやおばさんが、いまのぼくを目の前にしながら「しろうちゃん(

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しろうとの詩

しろうとの詩

僕が十字架か棺桶かのように背負っているように我ながら感じてしまいがちでいることのひとつが、器用貧乏ということです。

むかしからたいていのことは、それなりにできました。なんてじぶんで言うのは恥ずかしいことかもしれませんが、できたんです、たぶん。だから今こんなことを思うわけです。

幼い頃からピアノをやっておりました。ばつぐんには弾けないけれども、からっきしダメでもない。練習が好きと言うほど

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梅ノ雨

梅ノ雨

カレーを無心になってつくることがたまにある。スパイスの調合からはじめて、もろもろの下ごしらえをしたりなんかしていると結構な所要時間になりもする。考えながらやっていることのようにも思うけれど、いや、これはやはり無心になっているというのがふさわしい……と、ここでは言っておこう。

僕は作曲をして、その演奏を録音したりもするのだけれど、その作業も、考えているようでいて「無心のたまもの」であるような気

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現実のバッターボックス

現実のバッターボックス

僕は、曲を書いて演奏や歌唱をする活動をしています。ですので、いい曲を書き続けていくことを、おのれの命題のように思っているところがあります。いい曲が書けたときのことを必死で分析し、そのときの状況や手順を意図的に再現すれば、またいい曲がかけるはず、などと思いがちなのですが、その再現を試みて再びいい曲を書けたためしがありません。いい曲を書けたときは、いつも、運が良かっただけだとか、たまたまだとか偶然だと

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