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利き手が死語になる未来
「利かせている」と、もっとよく利くようになるのでしょう。「利き酒」とかもだんだん利いてくるはず(多分)。お箸や歯ブラシを持ち替えるほどの低コストにはいきませんが、楽器もよいのでは。利き手の右左のみならず、全身利くようになるかも……
気の緩みは、そもそもただの同調だったかもしれない。
気って、緩みますよね。なんででしょうね。その必要を、感じなくなってしまうのでしょうか。もう、危機的な状況、「ヤバイ!」「本当のピンチ!」は過ぎたと思うのでしょうか。で、それに対峙する際の態度を緩めてしまうのです。もういいよね、と。
暑くなってきたので、マスクの息苦しさ、着用の不快さが私の身辺で話題になることが増えました。私はもともと、ちょっと息苦しいくらいは好きと
ブログでも立ち上げて、Tシャツでも売るか。
なんか、すごくいいキャッチコピーみたいなのを思いついたとします。ギャグでも、心に刺さる詩でも、箴言でも名言でもかまいません。絵でもイラストでもいいでしょう。
で、それ、いいね! とか思ったりする、言ったりもする。
ノリで、
「Tシャツにでもする?」
「いいねー欲しいかも。」
なんて言ったりもする。
そこで、終われば、何も起きません
大人になって覚える少年性
少年や少女が活躍したりしなかったりするさまを、ありのままに描いた作品。そういうものを、ジュブナイルとでもいうのでしょうかね。
そのへんのことを意識すると、タイトルを思い出すのが『十五少年漂流記』。私自身が少年だった頃に読みましたが、話は、正直あまり覚えていません。どんな冒険譚だったかな。
大人になってから、ミヒャエル・エンデの『モモ』を読みました。これも、ひょっとしたら、ジュブナイルと
道をふさぐ岩があったらどうするか
「ウマい話」は、すぐ疑いたくなってしまいます。そんな「ちょいちょい」で、簡単においしい思いができるはずがないやろー! と、距離をおいてしまうのです。「ボロい話」といいますか、「チョロい話」といいますか。そういうものを、つい遠ざけてしまいがちです。
かといって、「ちょいちょい」じゃなくって、心の骨も体の骨も根底からバキバキに折るような苦痛が成果を引き寄せるというのも、確かにおかしな話です。苦労
お手洗いひとつ何人か
高齢時代の都市論のようなものを述べた新書を読んでいて、「住む地域と住まない地域を分けて、コンパクトにまとまってインフラ効率よく生きる」というような提案を見たことがあります。確かに、いろんなところにばらばらぽつぽつと人が住んでいたのでは、いちいち管やら電線やらを引っ張って、道を敷くなどし、インフラを確保しなければなりません。この国の人口が今後どんどん減るにしても、多くの人がそうやって散らばって住み始
もっとみるぞっこんの苦悩と甘美
私は最近、家でエレクトリックベースの演奏を収録しています。
指で直接、太くて固い金属の弦を押さえたりはじいたりするので、ずっと演奏していると指がしんどくなります。指の先や指の腹に、おおきな水ぶくれができてしまうのです。
私は普段、ベースだけを集中的に演奏することはあまりなく、たまにそのベースをまとまった時間演奏すると、大きな水ぶくれを指にこさえてしまいます。
そうなってしまうと、