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お手洗いひとつ何人か

高齢時代の都市論のようなものを述べた新書を読んでいて、「住む地域と住まない地域を分けて、コンパクトにまとまってインフラ効率よく生きる」というような提案を見たことがあります。確かに、いろんなところにばらばらぽつぽつと人が住んでいたのでは、いちいち管やら電線やらを引っ張って、道を敷くなどし、インフラを確保しなければなりません。この国の人口が今後どんどん減るにしても、多くの人がそうやって散らばって住み始める度にそうしたインフラ整備の手間ひまお金をかけて供給を続けていたら、どんどん苦しくなるというのもなんだかわかる気がします。

・どちゃっと固まって、より集まって住んで、人のまったく住まない地域を広大に持っておく
・うっすらとまんべんなく、大きな網目ですっぽり地球を覆うみたいに散らばって人が住む

これって、果たしてどちらがいいんでしょうかね。

私が飛行機乗りだったとして、夜に、空高くから地球を見下ろしたら、街の光が濃い地域と、まっくろな闇の地域との差がはっきり見えるのかなと想像します。でも、実際は点々と、小さな光が中途半端に散らばっている一帯が地表の大部分なのかなとも想像します。(それ以外、圧倒的に海。)集中と分散、その混在が現実なのだろうなと。

10人が集まって住んでいたときに、1という分量のある「問題」が起こるとします。それが、人口が100人になったとき、問題の分量もきっちり10になるとは限りません。10人が100人になった時には問題の分量は8になり、10人が1000人になったときには問題の分量は150になるというような具合に、実際のものごとの相関には複雑なカーブがあらわれることが多いのではないでしょうか。

ちなみに私は、結婚して妻と今の家に住み始めました。いまは、そこにこどもが2人加わりました。同じ家の中で、人口が倍になったのです。こどもの出生以前からあった問題がそれで倍になったかというと、そんな感じではなく、問題の質がまったく異次元のものになったという印象です。

私がトイレしているときにこどもが「トイレ」というパターンは、最近増えました。上の子のおむつがとれて以来の問題です。我が家にトイレはひとつしかありません。人口密度よ…。

お読みいただき、ありがとうございました。

青沼詩郎

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