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新緑の仕業

梅雨になったと思ったら、ギンギンに暑い日がある。自転車のサドルを太陽が照りつける。ちんちんに熱くなる。私の尻が、その熱のいくらかを吸収する。サドルは熱いが、ペダルを漕いで疾走しているうちに気にならなくなる。焼けるような熱さは最初のうちだけだ。
 
家の庭にアジサイが咲いていると教えてくれた、4歳の男の子。私の長男だ。家の庭にアジサイがあるのは知っていた。先日、彼と一緒に庭に出たときには、ただ明るい緑色の葉脈ばかりがあるだけの株だった。それが、いつの間にか花をこさえていたのである。長男がいろんなことに気付く時間を、私は流されていやしまいか。
 
いろんなことに気づく。楽しいこともある。心が動いてうれしくなる小さな発見もある。そうしたことを、ネットの上につぶやくのをためらう自分がいた。みんなが我慢しているようなことを、欲のままにおこなっている(かのように映る)のを、わざわざさらすことはない…そういう自制がはたらいたのだと思う。自分が恵まれていて、享受していること。その無自覚を、醜態とみる者もあろう。自制がはたらくのは、ある種の自己防衛だ。でも、他者の自制なき無自覚のこき下ろしに熱心になるのもどうかと思う。宝さがしでもする気分でいるのだろうか。もっといいお宝が他にあるはずだ。いかに自分だけのお宝を見つけるかは、普遍のテーマだ。
 
道路のなんでもない植物は、例年どおりの営みを見せている。そうしたものひとつひとつに美しさがある。私が見出すお宝。路上を息子と歩く。彼も彼のお宝を見つけて歩く。それはときに犬のうんこだったりする。ランニングをしている人が増えた。近づきすぎないように距離をとる。走るのが好きな人って、こんなにいたのか。
 
非常時だった一方で、街が例年どおりに戻ろうとしつつもある。がらんどうになった都心の駅には、人の姿が元通り。「自粛生活? あったねぇ…まぁ、マスクはするけど。そろそろ暑くない?」…うん、まぁ、確かに。
 
木々が緑を濃くして、日陰を増やす。人間を直射日光から守るためにそうしているんじゃない。見慣れた景色から空の面積が減ったと感じるとき、新緑の仕業が混じっている。
 
青沼詩郎


最近note外部で音楽ブログ書いてます。よかったら覗いてください。今日のネタは、The White Stripes。https://bandshijin.com

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