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一気に片付く経済問題 !国の借金は、資産だった!お金発行を理解してもそう言えた!

まず、科学の分野で、原子力が、発明され利用されて来ました。

これは、原因の1により、途方もないエネルギーが得られ、それに費やす質量は、約90兆ジュール当たり、1gです。

つまり、これが、1の粒子をぶつけて、1/ 1 で割り、90兆のエネルギーを得ると言う式の解釈と原理です。

上の式は、実は、100分の100を、1分の1で割っているのです。

とにかく、1のエネルギーで途方もないエネルギーと変換できるのです。

そして、この、エネルギーを使って、産業の自動化と言う 1 で、100 / 100 と言う 1 の実質経済を1000 / 1 にしている訳です。

物でモノを作り出すので、これまた、ありあまる生産量を創りだせる事になりました。

つまり、産業の自動化で、労働力が、エネルギーによって生産される事に成り、膨大なエネルギーで膨大な労働力を得たのです。

こうして、物や、サービス、資本は、膨大な物と成っているのです。

つまり、こうしたエネルギーは、労働力と言う資本に変っている訳です。

その労働力は、今や、知的労働にも、利用されている訳です。

これらの労働は、人間の労働に比べ、はるかに、効率よく、物を生産し、仕事をこなしますから、低コストで、どんどん、製品や、サービスの生産を行います。

こうして増えた、物、サービス、資本、資産に対し、日本は、人間の生産した物やサービス、資産に対するお金しか、発行していない訳であり、実質の資産や、資本に比べ、どんどん、割合が、低下しており、膨大な資産、資本に対し、1で、済ませている所に、まず、不経済の要因が、あるのです。

お金は、物、サービス、資産との、媒体であり、資本は、お金や物の事をさしていましたが、労働をほとんど、ただ同然で利用しており、言い換えれば、目に見えないお金が、存在してしまっており、この分を、目に見えるお金に換えなければ、物、サービスは、どんどん、増えているのに、その媒体であるお金は、その分、全く増えておらず、言い換えれば、その分、ただで発行して、配らないと、買うためのお金である媒体が、少なすぎる現象が生じており、本来、100の物サービス、資産に対して100のお金がなければ、お金が、お金として正しく機能しないのに、物、サービスを買うお金が、全く足りず、本来、お金が、正しい量だけ、あれば、買えるのに、買えなくなってしまうと言う不幸な結果が生じるていのです。

それまで、100の物、サービスに対し、100の通貨を使用していましたが、その何100倍もの、物やサービスに対しても、実は、あまったお金、儲かったお金だけしか発行しておらず、たとえば、10000の物やサービス、資産に対し、100の通貨で補っておりますから、実質的には、100の物、サービスを1の通貨で、あるいは、1000のもの、サービスを、1の通貨で済ませておりますので、通貨1で買えるものは、多く成り、逆に、1の、お金を得るのに、100倍、1000倍の価値、努力を必要とするのです。

これらの状態は、経済的に健康と言えず、これらの問題の原因は、単に、10000の物・サービスに対して、未だに、100の通貨で補っている為であり、実質的には、国債などにより、補っている為、実感としては、さほど、目に見えて危険は、感じませんが、借金は、膨大に成ってゆくばかりで問題は解決されていないのです。

既に、100の物サービス、資産に対し1の流通通貨にまで成って来ている為、物価が、とても安いのですが、物を売るのに、100倍の努力や価値が必要に成り、物が良くても中々売れないのは既に、流通通貨が、物100に対し 1 に成っている為であり、このまま行くと、仕事が無くなり、給料も安く成り、困る者たちであふれ出し、不法に走らざる終えなく成る者や、自殺者が増える等、国の中が、地獄化する事もありえます。

現に、このまま経済的欲求が、不満を生み出しますと、金儲けの上手い話や、様々な儲け話が、事実であったハズであっても、既に有効でなくなっており、儲け話で儲けさせる商売だけが、唯一儲かるかも知れませんが、最終的には、空回りですから、詐欺と変わらぬ商売に代わり、騙された思いが、キズと成り、悪意に変る等、ひとびとの心は、荒んで行き、地獄化してしまうのです。

物、サービスは、どんどん増えましたが、それを、所有している者が、いると言う事は、その物自体が、資産であり、それを、計算に入れると、資産は、どんどん増えているのですが、流通貨幣は、確かに、銀行で数字に換えられ、数字が、増えた分だけ、増刷しておりますが、それらは、物やサービス、貯蓄や、その他の資産に成っておりますから、一見すると、つり合いが取れてると言う、錯覚に陥りますが、産業の自動化や、効率性、により、一度得た資本が、資本を増やしており、資本自体は、膨大な量に成っているのに、それを、媒介して利益に変えるお金が少なく、このまま行くと、安い物しか買えず、給料は、上がらず、高度な産業は衰退し、技術も、海外に流出するばかりで、産業は劣化をたどる一方と言う事が、懸念される訳ですが、問題は、10000 対 1 に成っている流通通貨を、ただで発行して、10000 対 10000 に戻せば、済むのに、国債と言う、借金による事業などでしか、流通通貨を増やせなところが、経済の問題点であるのです。

お金の発行の仕組みを簡単述べますと、まず、貯金されると、そのお金は、一旦数字に換えられ、集まったお金と、新たに発行されたお金で、銀行の貸出権と預金の増加の分が、増えている訳です。

つまり、銀行が儲けた分と余分に増えた預貯金だけが、増えているのであり、物や、サービスの増加とは、直接関係なく、生産して、売れたお金や、サービスで儲かったお金、節約して貯めたお金が、増えているだけなのです。

お金は、本来、物や、サービスとの、媒体に過ぎず、その為、紙幣や、貨幣ではなく、ポイントマネーでも、成り立つわけです。

昔の100円は、100円工女と呼ばれるくらい、大きなお金だったのが、今は、お金が、100万円が、おそらく、当時の100円に値するのは、みんなが、稼ぎ、金持ちに成って言った為に、物価が上がり、金の値打ちが下がった訳ですが、日本に於いては、いくら、生涯、お金を稼いでも、大金ですと、半分、税金で持って行かれ、また、贈与も、大金ですと半分、持って行かれますので、代々お金持ちである事は、難しく、真のお金持ちは、存在しないと言えるのです。

もちろん、半分家族に、残りますし、家柄によっては、金持ちは、いますが、極一部であり、ほとんどが、一般庶民であり、給料や、自営により、生活しています。

ですので、ひとびとが、儲からないと、経済は、発展せず、産業も、劣化してしまうのですが、現在、物や、サービスは、あふれかえっている訳であり、その媒体と成るお金と、物や、サービスとの割合が、均等でなければ、お金は、交換媒体としての機能を失っていると言えるのであり、ただで発行して配っても、なお、有り余る、物やサービスが、生産されていると言えるのです。

現在の状態を、考え合わせれば、生活に必要最低限の、お金を、ただ、発行して、配ったとしても、生活に必要な製品や、サービスは、充分に生産され、仕事は、成されるはずであり、自動化の利かない仕事や、嫌がる仕事に多くの金を掛けるべきであるのですが、それらの仕事に、高級を取らせられる様に、国が、ただで発行した金で、支給しても、支障ありません。

なぜなら、今日まで、国のやる事業に、必要な金を、税金や、国債で、まかなって、来ましたが、国でする事業と言うのは、国の為に行う事業ですから、ただで、発行した金で行ったとしても、給料を取らせ、現にサービスや、物が、生み出されている訳ですから、物、サービスと、お金のつり合いは、取れている訳です。

受けたサービスは、確かに消費されますが、それらにより、国民は潤い、誰も、損はしていない訳ですし、それらの生活の潤いは、経験や、知識、新たなアイデアと成り、再び、社会に還元される訳です。

既に、給料を支払っているので、その分、国全体としての、資産は増えている訳です。

税金で、多くの金を徴収していた訳ですから、既に、事業で生産された物やサービスの消費された分のお金を、国民から、取り戻しており、借金だけが、余分に資産として、所有されているのであり、それに見合うお金ををただで、発行して所有しないと、物やサービス、資産に対するお金の割合が、少ない訳です。

つまり、元々、借金をして、国債を発行する必要は、なかったのであり、既に、それらを、国民は、資産として持っているのですから、その分、実は、国の蓄財資産であり、その借金は、ただで発行して、使って良いと言えるのです。

ただ、それら給料が、蓄積され、誰も仕事をしなくなって、いくら金を積んでも、必要な仕事がされない様では、困りますが、国が、発展させるべき仕事や、人が、嫌がる様な仕事や、必要な仕事をするロボットの開発に、多大な金を掛け、発展させていけば、いずれは、人間は、それぞれのひとが、それぞれの個性にあった仕事を、するだけで、済む社会の実現が成されるのです。

ただ、そこに至る過程で、必要な仕事を、いくら金を掛けても、しなく成る様では、失敗ですので、その調節として、税金を取る様に、すれば良いのです。

ですが、株式資産の様な、業績によって築いた組織の資産は、お金に換金した時だけ、取る様にしないと、大きな事業家の育成は、成されず、国に於いては、マイアスと言えるでしょう。

この様に、税金は、本来、流通通貨の調節の為に必要な時だけ、徴収すれば良く、医療も、すべて、ただで発行して、無料化すれば良いのです。

なぜなら、国でする事業は、全てただで、発行したお金で、支払っても、国の財産に成り、たとえば、医療は、医者を養い、医療の発展につながり、国民を健康にするので、プラス面しかないですし、最低限の生活保障として、今現在の生活保護の分を、配給しても、その分、わずかのエネルギーで得た膨大なエネルギーと、産業の自動化により、生活に最低限の必要な物やサービスは、充分、ただで生み出されているのですから、問題なく、むしろ、それでも、余分にただで、生み出されているはずです。

確かに、エネルギーでも、自動化された産業でも、コストは、掛かっておりますが、その分価格で取り戻しているのですから、困らない訳です。

さて、このまま、行きますと、たとえば、経済の仕組みを熟知し、どんどん金を刷っている、アメリカに、産業の多くを奪われ、海外に技術がどんどん流出するばかりで、国内産業は、どんどん衰退していきます。

今は、まだ、商品を買うだけのお金を得る事が出来ますが、それも出来なく成り、物やサービスがどんどん増えれば、競争は激化し、一部の人間だけが、多くの、自動制御ロボットを使い、経済を牛耳ると言う事もありえます。

世界では、どんどん製品が創られているのです。

そのおかげで、安くで供給されますが、国内需要は、お金の面では、減っていくか、対、物サービスで、どんどん減って言っているのです。

その為、経済は、発展せず、ロボットや、様々な商品が得られるのに、買う事が出来ず、産業自体が、劣化してしまう事に成るのです。

皆にお金が廻り、世の中が、潤いますと、より高度な製品や、採算性の低かった商品でも、その真の価値で、売れる様に成りますから、高度な産業が、発達し、また、オーダーメイドの商品や、個性に合った商品も多く創られ、安い物は、安くで、高い物は高くで売れる様に成り、人の欲求に応じて、贅沢したい者は、働き、貧しくて良い者は、自分のしたい事の為だけに働けるのです。

そして、国は、ただで発行したお金で、発達させるべき、産業や、必要な仕事をするロボット開発にどんどん投資し、必要な仕事で、人手の少ない仕事には、高級が、取れる様、無償で支給し、補い、人手を確保すれば良いのです。

税金は、ひとびとが、いくら高級を支払っても、必要な仕事が、なされているうちは、徴収せずとも良く、強いて言えば、物やサービス、資産対、お金の割合が変わらぬ様に、調整する分だけ、徴収すれば良いのです。

つまり、無意味に、物価が上がらないように調節すれば良いのです。

まず、経済に於いて、消費商品と、物質的価値や、土地の様な流動性が、要求される物とは、別に、考えなければ成りません。

日本は、土地を有効利用しなければ成りませんし、自然保護も、大切な要素です。

ですが、せっかく生涯を掛けて購入した土地や家が、税金で奪われる事は、生涯を掛けて購入した価値は、非常に、はかなく、貯蓄にしても、同じ事ですが、いつまで経っても庶民は、金持ちに成れません。

問題は、働く者が、いなく成る事ですが、産業が高度化し、良い商品が出来れば、それらが、いつまでも、それだけの、お金の価値を有する物であったら、良い商品は、どんどん高級に成り、高級品と、安物の格差が、どんどん広がり、安物で、質の悪い物は、利益が少なく、貧乏な者にしか売れなく成ります。

しかし、生活保障が、充実してくると、安い物は、採算が、合わなく成り、質が良いか、高度な商品へと、発展してゆき、高度な商品、高級な商品は、ニーズにあわせて、より高度な商品、より高級な商品へと代わり、ひとが、価値を感じる物は、どんどん売れますから、みんなが、金持ちの様な、贅沢な暮らしが実現する訳です。

希少価値の高い物は、どんどん高く成り、人口密度が、高い土地はそれだけ高く成り、一見、流動性が、悪く成る様に思われますが、同等対価の物件と、交換され、そうでもありません。

なお、国内の流通通貨が増えたせいで、物価高と成った場合、製品価値が、同等の外国製品と、比べ、金額が高く付く様に思われるかも知れませんが、国内の産業が発達すれば、良い製品を、産出出来る量が増え、あるいは、オーダーメイドなどの個人向け製品が、どんどん、開発され、国内で、高くで販売出来、大量生産製の物を安くで、生産出来るので、大量生産施設は、土地を除き安くで2次購入出来、あるいは、貸し出す事で、再利用でき、大手企業はより利潤の高い製品を生産する事で、技術的、躍進が可能と成り、国が、様々な研究費を出す事で、様々な分野が発達し、急激な流通通貨の増加は、一次的に円安を招くと思われるかも知れませんが、実際には、当然受けっ取って差し支えない金を受取っているのであり、同じ製品価値の物が、高く成る訳ではでは無く、売れる様に成るだけであり、対日本向けの製品が創られ、逆に物は一気に流入し、国民は豊かに成り、海外は、日本で物が売れると分かったら、日本をターゲットに製品を作りますが、日本製品は、優秀な物が多い為、景気が回復したら、好みで、良質の製品が良く売れ、良い物は、益々良い製品を生み出す事に成ります。

安物でも構わない製品は、それでも、売れ、それぞれの嗜好にあった商品にお金を使い、相続税を、取らなければ、持ち家を手に入れる為に、働く者は、精を出し、様々な物やサービスを手に入れる為に、まだまだ働く人は、いっぱいいるでしょうし、働けば働くほど、その報いが大きい事は、何よりの労働意欲と成り、確かに、最低限の生活保障をするだけでも、多く人が、働かない現象は、ありえますが、支障が、出るとは限りません。

それは、国が、必要な仕事には、高級を支払える様、支給し、支える為で、それでも、働き手が、いない必要な職種が、出た場合、生活保障の支給額を調整する事を、前もって、述べて置く事で、お金の需要性を上げて於いて、蓄財、貯蓄に、廻させて置く事で、高度なロボット生産が、成されるまで、働き手を、確保して置くのです。

生活保障が、充実して、お金が、潤えば、希少価値の高い物が、値段を上げ、人口密度が、高い土地は、値上がりすると思われますが、都会に於いては、ある程度、人口密度や、人の出入りが、高まらないと、商業的発展は望めません。

つまり、あまりに、土地が高いと、宿泊施設を増やすのに、お金が余りも高く成り、又、お店を始めるのが、難しく成ります。

そうなると、お金持ちだけのたまり場に成りますが、ひとを雇用する人件費を、大きく予算に組めますから、金持ちに成りたい人は、都会で、働くと言う構図に成り、レジャー施設は、各地で、再び、土地にあった採算性が、取れる様に成り、生活保障が、充実してくると、経済的問題で、子供が産めない人の数は、減りますから、人口の増加もありえます。

まず、家賃の保証ですが、地域にあわせた保障をしますと、その地域性は、確保され、また、安い物件で暮らす方が、他の物に使え、公平な訳です。

しかし、田舎の発展を考えますと、人口に合わせた保障でないと不公平と成ります。

そこで、最低保証を、一律同じにするのですが、もっとも高い地域の最低保証を、全国一律にする事で、田舎では、より贅沢な暮らしが出来ますが、実は、田舎の方は、商業、産業が発達しておらず、田舎でも、都会が、発達しております。

しかし、一人の、生活保障が、田舎暮らしに於いて、高級であったら、田舎の、商業は、採算が取れ、また、貯金も容易に成り、都会への旅行や、宿泊費を貯める事も、容易に成り、家の建て替えや、購入も、出来る様に成り、生活費以上のお金は、今まで通り、農林水産業で稼ぎ、それらに、掛かる費用も、助かるので、田舎に育ち、田舎暮らしが、しょうに合っている者は、田舎に留まり子を増やし、育て、人口も、徐々に増え、田舎が、発達し、そうなれば、農林水産業に興味のある人は、便利に成った、田舎へ行って、働く事も、可能に成り、個性に合った住み分けが、可能に成るのです。

農業は、今後、バクチャーの様な、わずかな土地で、たくさん収穫出来る産業に転換する事で、生産性と、対土地効率性を上げる事で、土地を有効利用し、水産業も、バクチャーにより、改善が、期待されます。

今後、高度な仕事をこなす、ロボット開発に、お金を掛けるのが、ベストですが、そう成って来ますと、後々のロボット購入貯金をしたい者も、多く現われます。

そこで、普通貯金と、ロボット購入貯金を別扱いにし、ロボット購入貯金に対して、法律を定め、ロボット購入の為なら、税金は、その金には、一切掛けないが、それ以外には、残した金を、自由に使えないなどの処置を取る事で、今後に備えます。

ところで、コロナとは、語呂合わせで行くと、567 であり、4後、から8まで、つまり、死後から、無限末広がりの世界までの路のりであり、56億7千万年後、弥勒(みろく)が下生して、地上天国を開くと言った釈迦の567であり、太陽コロナ、つまり、太陽を覆っている膜で、時代の終焉を表しており、子路名、固路名(コロナ)であります。

子路名とは、神仏の子のあゆむ、路の名。固まりである肉体の霊的成長の路の名であり、最終的には、固まりと成り、内部宇宙を観察し、内部宇宙に生まれ戯れる、仏(ぶつ)そのものと成る路のりであるのです。

わたしは、意識の次元で、胃部(イブ)で声する神々に、未来の数学を学び、分数の割り算では、分母分子を交互に入れ替える事を学びましたが、それらは、未来の数理であった為に、その証明をし、この世の数理が、間違いである事を証明しております。

分母分子を交互に入れ替える事が、正しい証明式

1スナップショット 19 (2020-12-19 11-27)

1の2スナップショット 19 (2020-12-19 11-27)

1の2スナップショット 19 (2020-12-19 11-27)

この世の数理が、間違いである証明式画像

スナップショット 94 (2020-12-01 10-49)

スナップショット 94 (2020-12-01 10-49)

それで行くと、以下の様になります。

100 / 100 = 100 / 1 × 1 / 100 ÷ 1/ 1 =
100 / 1 × 1 / 1 × 100 / 1 =10000 / 1

つまり、この未来の数理においても、1/ 1  で割ると、1万に成り分母が、1 に成ります。

この式の使い方は、100分の100、を1分の1で割る事で達成されるのですが、その魔法の1分の1を考える事が、この式の活かし方なのです。

すると、1イコール1万と言う結果をもたらすのですが、実際には、実数は、1万倍ですが、増えた数は、1万倍ではなく、100倍です。

それは、100分の1の100が、1万に成る為で、その代わり分母が、100から1に成ってしまう訳ですが、ここがポイントです。

まず、言って置かなければならない事は、10分の10と、100分の100では、別の数⦅すう⦆であり、数⦅かず⦆としては、同じ1であると言う事です。

1イコール1万

以上の様に10 / 10 も 100 / 100 も、実数は、1ですが、違う値に成るのです。

そして、割られるのは数(かず)であり、割るのは、数⦅かず、とも言えるが、すう)です。

一概には言い切れませんが、数⦅かず)を取り扱う式では、そうです。

現在の実質経済を1とし、この実質経済は、10000に成ります。

分子の100は、現在の物、サービス、証券等資産です。分母の100は、通貨であり、資産割る通貨で、分母分子で 1 であることが、健全な経済状態と言えるのですが、それは、通貨は、交換する媒体であり、資産に対し、通貨が、少ない事は、媒体が、少なく、交換の機能を果たさない為です。

確かに、一定の通過が有るのに、どうして、1に成るかと、不思議に思うかも知れませんが、何故かと言えば、実際には、生産された事により、それに支払ったお金は、生産された物と交換されているので、全体としては、生産された分だけ、物が多く成っており、媒体を増やしてないので、資産に変っているのであり、その資産が、完全に価値を失うまで、媒体より、資産の方が多い訳です。

実は、破壊されたとしても、既に、購入した時に相手に資産として廻っており、資産は、全体では、変っておらず、使用しただけ、全体としては、得していると言えるのです。

実際には、それらは、サービスや、労働賃金に変り生活の場、慰安の場として利用され、再び、労働力に変換されており、生産に廻っているのであり、資産だけが、増え、通貨は、増えていないのです。

銀行で、儲けた分だけ、発行されているので、資産に対する通貨の割合は、増えていますが、実際には、多くの物やサービスが創られ、それらを使用して、また、多くの物やサービスが創られているので、これらの、資本や、資産は、現実には、儲けとして、現われないで、資産的な物や資本としての物、機械や、製品として、残っており、その分のお金は、発行されていないので、既に使用の購入の金が、計算済みに成っている資本で、生産しているのですから、実質的には、コストは、全て、資産として計算された物ばかりであり、賃金は、支払うと、そのお金は、使用され、売り上げに成り、そのお金は、仕入れで、再び流通しており、貯蓄、蓄財、資本の購入に充てた者だけが、冨をふやしており、資本に充てた物は、発行されたとしても、引き出されるので、であり、確かに、それを手に入れる間の貯蓄で、発行通貨は、増えているには、違いないのですが、その金で、再び、資本と成る、機械などを購入し、生産力は、次第に拡大し、それによって、生産された物に対する購入の媒体と成る通貨は、発行されておらず、つまり、ここでも、物だけが、増えると言う状態が、生じているのですが、それが、産業の自動化資本と成った場合、労働力も、ただで、手に入れてしまう結果を産んでいるのです。

その他の、電気などは、消費として、資本の蓄財の時に、資本から、お金を吸い取っているため、その間に生産された物の値段に上乗せされ、消費に廻っており、貯蓄のマイナス要因に働くので、物だけが、生産され、通貨の、発行には、寄与していないのです。

この様に、生産して、発行される通貨は、生産された商品のお金には、含まれていないのですが、そうして、購入された商品は、既に、お金の消費として働いているわけですが、そこで得た商品は、食料であれ、娯楽であれ、経験や、知識の蓄積、労働の為の原動力に変わり、おおむね、生産に、寄与し、給与生活や、労働生活で得た、賃金の多くは、再び、労働や、知識や、アイデアと言った形で、生産に寄与し、生産性は、それだけでも、伸びてゆく一方なのですが、ほとんどの場合、家を残せたら良い方であり、消費者はいつまで経っても、消費者のままであり、それに対し、使用者は、資本の拡大を広げ、蓄財を、増やしているのです。

社会は、労働者によって、豊かに成っていったのですから、その生産物は、労働者に、還元されて、当然であり、もちろん、重責にある使用者は、レジャーより、仕事優先で来たからこそ、その地位を築けたのであり、蓄財や、資本の拡大は、当然の権利ですが、生産物は、購入されてお互いの価値を生み、産業が、本格化して以来、歴代に渡って、みんな、働いて来た訳で、ここに来て、豊富に販売されている、商品が、高くて、安い物しか、購入出来ない状態は、双方の、マイナスであり、ただ、単に、豊富にお金が出回れば、購入出来るものが、お金を、ただで発行出来ないと言う理由だけで、豊富にある商品が、購入出来ないのは、国の損失であり、また、先に、述べた様に、国に借金が存在する事は、海外との関係でならともかく、おかしな事であり、今ある借金は、逆に、蓄財資産であり、膨大な、財源が、あると言う事が、いるのです。

零細企業で、国の宝である産業は、山程存在しており、これら零細企業が、仕事に専念する為には、税務処理や、資金繰りなどの、余計な苦労を取り除き、国が、資金を、保全し、安心して、仕事に専念出来る環境を提供し、良き製品、良き、サービスが、発展してゆく様、協力し、現在、コロナでは、ありますが、国が活気づく様、これらの事を早急に、実現し、来たるロボット共存社会に向けて、進んで行く事が、ひとびとの、暮らしを豊かにし、希望のある未来であり、個性の開花の為の路のりであると、言えるのです。

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