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2023年5月の記事一覧
恐れの感情を認識して
朝、目覚めた時、軽く頭痛は残っていたものの、腹痛と目眩の症状は消えていました。
脳内に大おばの声も聞こえません。
ゆうべの感覚とその後の葛藤は何だったのだろう...と少し考え、感じた時、
あっ、これは恐れだ、私の恐れの気持ちだった...、と認識しました。
数年前、思いがけず両親と電話で話した後に、実家に行ってみようかと思い行動しようとした時、身体が動かず、部屋から出られず、会いに行く事が出来なか
どうにもならない事だと
頭では解ってる
両親も妹もそれぞれ
今の生き方を選び
救われ癒され幸せに
生きているなら
それでいい
でも初めて家族を
宗教から取り戻せないものかと
思ってしまった
難し過ぎる事と解っているのに
今更 到底無理な事なのに
執着してもいけないのに
愛と感謝の気持ちと、自分軸の境界線
先日、私が私の中の軸さえしっかりしていれば、両親に連絡をとった際、両親から例えどんな言葉を言われても、捉え方や解釈で、傷つく事も出来るし、傷つかない事も出来る、と思いました。
という事は、自分次第で、自分の捉え方次第で、自分の現実が変わる、という事だと思いました。
すべて自分次第なんだな...と思えたら、
ただただニュートラルな自分で生きていいと思えて、ただただニュートラルな自分であるだけだから
気づきまでの思考と感情に沿う①~両親への執着の手放し~
本当に、私はなぜ、こんなに両親に拘るのだろうと思いました。
辛い記憶のほうが多い両親との関係のはずなのに、なぜかいつまでも、どこかに見えない温もりがあるはずと信じて、どこにあるのだろうと探し求めてしまう。
宗教に入信する前の両親の記憶や、実家での暮らしの記憶が、身体記憶、脳内記憶としてあるのでしょうか。私は...あるような気もしますが、覚えてはおらず...わかりません。
私の飛躍した思考は、両親
気づきまでの思考と感情に沿う②~幻想から現実へ~
まわりの人に感謝して、私もまわりの人に優しく、愛と感謝を巡らせながら生きよう、と思いました。
思考は続きました。
よーし、今までの、両親に対して嘆く、慣れた生き方から、もう、変えていこう、と思いました。
慣れた生き方... 慣れた生き方... 。
思考が自然と進みました。
私にとって、慣れた生き方とは、過去からずっと続けてきた生き方で、ホッとする生き方... 。
... ... ん? ホッとす