マガジンのカバー画像

教育のはしくれ

79
塾産業の中で教育などと偉そうには言いませんが、父親として息子たちと向き合ってきた一人としての体験と意見。時代的に早すぎた「イクメン」としての背景から、言葉を零してみます。
運営しているクリエイター

#教育

暗い言葉

暗い言葉

「ひもじい」という言葉がある。「ひだるし」の「ひ」の一つの「文字」で表す「もじことば」である。「しゃもじ」(杓子から)はいまも知られるが、「お目もじ」(お目にかかる)すら、もう死語の部類だろうか。
 
この「ひもじい」の意味は、「おなかがすく」とは違う。ありきたりの辞典での説明としてはそれでよいのかもしれないが、学校から帰ってきて「ひもじい」と口にする子どもはいない。
 
それというのも、子どもた

もっとみる
『現代思想04 2024vol.52-5 特集・<子ども>を考える』(青土社)

『現代思想04 2024vol.52-5 特集・<子ども>を考える』(青土社)

曲がりなりにも教育を生業としている以上、「子ども」が特集されたら、読まねばなるまい。「現代思想」は、多くの論者の声を集め、内容的にも水準が高い。そして同じことを何人もが述べるのではなく、多角的な視点を紹介してくれる。「こどもの日」ということで、こどもへ眼差しを向けてみよう。
 
確かに多角的だった。全般的な対談に続いては、「家族」「法律」「制度」「学び」「未来」といった概略に沿った形で、論述が進ん

もっとみる
英語の小話を読ませてみたら

英語の小話を読ませてみたら

英語だけに限らないが、そのクラスは、なかなかの強者だった。偶々優秀な子の多い学年だったとも言えるが、中一での一年間、誰ひとりそこからクラスが下がることなく、優秀な成績をキープし続けた。授業には私はふだん入っていなかったが、今年になり何度もそこに顔を出すようになり、彼らのレベルの高さを強く感じるようになった。
 
物知りである。また、理解度も高い。だから、私が手早く説明をしても、すぐに吸収するし、そ

もっとみる
折り紙をしたことがない

折り紙をしたことがない

ある事情があって、小学生たちのクラスで、工作をさせることとなった。しかし教材があるわけではなく、自分で考えてみることとなった。教会学校では毎回やっていたようなことだ。いけると思ったが、手近なところに素材がなく、思ったものが作れそうにはなかった。
 
確かこういうのがあった、とウェブサイトを探した。いまの時代はこうして情報が手に入るからいい。細長い紙1枚でできる。何度か同じように折っていき、最後に後

もっとみる
マニュアル頼り

マニュアル頼り

受験生のための仕事であるから、この時期、忙しいのはもちろん分かっていた。そして、それを幾度となく毎年繰り返してきた。けれども、今年は一段と与えられた負荷が大きく、仕事の持ち帰りを含めて、キャパオーバーになっているところがある。
 
それはありがたいことかもしれない。仕事があるからだ。だが受験生のために複数科目が宛がわれると、苦しいのは苦しい。さらに、推薦入試の作文指導となると、何十人もの作文を添削

もっとみる
語学も数学もできないけれど

語学も数学もできないけれど

それなりに不安を抱えながらも、もうひとつ勉強に集中できなかった中学三年生。ここへきて、志望校を決める段階に入ってきたことで、悩みが深刻になってくる。「先生、英語の成績を上げるためには、どうすればよいでしょうか」というような、あまりに漠然とした問いを、その女子生徒は授業後に私にぶつけた。
 
だいたい英語の劣等生たる私が、英語の授業をすることがあること自体、間違っているのだが、自分ができないことと、

もっとみる
『凜として生きる』(平塚敬一・教文館)

『凜として生きる』(平塚敬一・教文館)

キリスト者として、何かしら重荷を負うというものがあるという。どうしてだか分からないが、そのことのために心血を注ぐしかない、という思いで生きるのだ。生きることが、考えることが、すべてそれのために営まれている、という気持ちになる。
 
著者にとり、「教育」がその重荷であるのだろう。しかも、「キリスト教教育」である。キリスト教を信じさせる教育だという意味ではない。教育する側が、キリスト教精神を以て教えて

もっとみる
偏差値教育

偏差値教育

「偏差値教育は悪い」と口にするのが、互いの仲間意識を形成する。そんなことが長らく続いている。もう市民権を得た決まり文句のようである。それはまるで「科学は悪い」と一刀両断にすることのようにも聞こえる。「偏差値」の使い方に気をつける側面があることは確かだ。だが、「偏差値」そのものを消し去ったらどうなるか。一時、それを否定して、学校の先生たちが窮地に陥ったことがあった。進路指導ができなくなったのである。

もっとみる
平和教育の意義と危惧

平和教育の意義と危惧

関東大震災から100年ということで、少し話題になっていた。日赤の意識調査で「防災の日」の由来について知らなかった人が半分いた、というニュースが目を惹いた。驚くべきことではないかもしれない。だが、30代で3人に2人が知らないというのは、少しばかりショックだった。親が子に伝えられないという情況を表していると思われるからだ。
 
さらに、朝鮮人の虐殺については、フェイクだと言い張る者が一定数いることを思

もっとみる
『教えることの復権』(大村はま・苅谷剛彦・苅谷夏子・ちくま新書399)

『教えることの復権』(大村はま・苅谷剛彦・苅谷夏子・ちくま新書399)

生涯国語教師、と読んでよいだろうか。そして、国語教育に対して、最も大きな仕事をした、と私は思っている。時に型破りとも呼ばれ、あるいは最高の技術と信奉され、他人の評価はいろいろに変わるけれども、2005年に亡くなってから後、果たしてその国語教育はどのようにいま活かされているのだろうか。
 
本書の共著者といえる苅谷夫妻は、共に国語教育に関わっている。特に、苅谷夏子氏は、大村はまのかつての直接の教え子

もっとみる
『評伝 大村はま』(苅谷夏子・小学館)

『評伝 大村はま』(苅谷夏子・小学館)

教育産業に属するからには、教育の理想や公教育の難点などに、口出しするような立場ではないと自覚している。おまけに国語は、以前担当していなかった。それでも、「大村はま」という人の国語教育についての本には、触れないではおれなかった。わずかなものしか読んだことはないが、その信念というものには、圧倒されるものを感じていた。
 
もしかするとキリスト者ではないか。そう感じつつも、ご本人があまりそうした発言をし

もっとみる
高校受験のための国語

高校受験のための国語

訳あって、昨2022年の後半から、中三生の国語を担当することとなった。もちろん経験はあるが、受験生にとり、受験間際に担当者が変わるというのは、不安になるのではないかと懸念された。私の配慮は、そこに置かれた。受験生の、メンタルヘルスである。
 
その上で、受験のテクニックを、存分に伝えなければならない。しかしこれもまた、ここまでやってきた彼らのやり方を否定して、このようにしろ、と命ずるわけにはゆかな

もっとみる
筋道を立てて

筋道を立てて

どだい、すべての人に同じ教育を施すという発想に、無理があるのかもしれない。勉強したくないという子は、なにもすべての勉強が嫌だというわけではないのだ。エリートを作ろうとするシステムに基づく教育制度の勉強が、自分のあり方とは違うというケースが多々あるのではないだろうか。
 
先月末の、日本経済新聞のコラム「春秋」の前半を引く。
 
「おじさん、大学へ行くのは何のためだ」。受験勉強中の満男が、ふと寅さん

もっとみる
読めていない・聞けていない

読めていない・聞けていない

トリセツなどという言い方が通用するようになったのは、いつ頃からだろう。西野カナの歌が広めたのは確かだが、私自身はもっと以前から使われていたような気がする。根拠は見つからないので、話半分に聞いて戴きたい。
 
取扱説明書。製造物責任法にも関係して、どんな商品にも説明書が付くようになった。危険性については特に、警告をしておかなければ、責任が問われることになる。ところでこうしたトリセツ、私たちは、しっか

もっとみる