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竹村和子『愛について アイデンティティと欲望の政治学』第3章「あなたを忘れない」後半レジュメ
(本文の形式段落ごとの段落を立てて言い換え、意味段落ごとに分けた。とりあえず読書会を経由してのアップデート前のもの)
(議論の確認) フェミニズムは、垂直的な父権制に対する異議申し立てとして、「女」の間の水平的な結びつきを強調してきた。しかし、女同士の垂直的な関係性の中での出来事、すなわち無事娘から母が産出されるということがエディプス的、核家族的性制度の根幹であるのだとすれば、この垂直的関係性を
ヴァレリー「エレーヌ」、あるいはヴァレリーの戦い
(ゼミ形式授業で発表したもの、アップデートするかも)
本文と試訳Hélène
Azur! c’est moi… Je viens des grottes de la mort
Entendre l’onde se rompre aux degrés sonores,
Et je revois les galères dans les aurores
Ressusciter de l’ombre
絓秀実『日本近代文学の<誕生>』第三章「国民的想像力の中の「女」」読解(ゼミ用作成のレジュメ)
本文の形式段落に合わせ段落を立て要約。意味段落でグループを作り小見出しを立てて分けた。絓がパラグラフライティングを行なっていないのか、私の読解がまずいのか、一つの形式段落につき話題は一つではないように思われる。
1 『浮雲』における唯一の「である」体¶1~3(92-94頁)『浮雲』における二つの革命について
二葉亭は世俗主義=俗語革命を、内容と形式の両面において遂行し、それによって、近代の「
ジュディス・バトラー(竹村和子訳)『ジェンダー・トラブル』3-4「身体への書き込み、パフォーマティブな撹乱」レジュメ
(意味段落にわけタイトルをつけて切っていき、本文の形式段落一つ一つに対し形式段落を一つ作って要約・解釈した)
¶1, 2(228-230頁)「身体」は前提か構築されたものか
フェミニズム理論・政治が表明してきた「女」の利権・視点に先立って、「女」というものが形成されているということはあるのだろうか。仮にあるとすれば、それは、文化が書き込む下地としての、性別化されたsexed(=「女」として与え
『セックスなんてこわくない』読書会 Lesson2「エレクトのエコロジー」レジュメ
(書籍は、Lesson、節、項という構成になっている。レジュメは、最初にページを指定して、鉤括弧で節のタイトルを略記した。その後「○何々」という仕方で書かれているのが項である。項についての説明はおおよそ要約を目指したが、そもそもが軽い調子のレクチャーの形の本であり、論理を補った箇所も多い。「→」で書かれている箇所はそれに対する、補足・解説として書かれている)
pp. 80-91「一九世紀以後の男
学科ゼミ論文紹介で使用したレジュメ(工藤顕太「欲望と享楽の倫理学」の要約)
紹介文献
工藤顕太「欲望と享楽の倫理学——カント・フロイト・ラカン——」、『早稲田大学大学院文学研究科紀要』 、第64号、早稲田大学大学院文学研究科、2019年、821-836頁。http://hdl.handle.net/2065/00063168
論文選定の理由 (省略)
『快原理の彼岸』から『精神分析の倫理』へ 精神分析家ジャック・ラカンの講義『精神分析の倫理』において示される、精神分
対話相手としてのプラトン——納富信留『プラトンとの哲学 対話篇を読む』の「と」について(2020年秋学期「ギリシア哲学史概論(2)」の中間レポート)
はじめに
納富信留『プラトンとの哲学 対話篇を読む』において中心的な論点と思われるのは「「プラトンの哲学」は存在しない、あるのは「プラトンとの哲学」のみである」という、字面だけでは、言葉遊びのようにも見えかねない主張である*1。本レポートでは、この主張の意義について吟味するために、1では特にこの前半部の含意を、納富と同じトピックについて議論しながら、一点重要な違いを持つがために、最終的な主張が全
3つの宇宙旅行—SFの認識異化の3形式——『ソラリス』「デセプション・ベイの化け物」「クレー射撃にみたてた月飛行」について(2020年夏学期「中東欧のSFを読む」の期末レポート)
似非SF化した現実
スーヴィンはSFを「異化と認識の共存と相互作用を必要かつ十分条件とする文学ジャンルであり、その主たる形式上の技巧は、作家が経験できる環境に変わる想像的枠組である」としている。ここで重要なのは、スーヴィンが「認識」を重視している点である。おとぎ話やファンタジーとSFをスーヴィンが入念に区別するときに問題にしているのがこの条件である。ただ現実とは異なった世界を描くだけではいけない