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ダーウィン『人間の由来』読書会、第3章「人間と下等動物の心的能力の比較について(続き)」のレジュメ(各段落の要約とコメント)
底本としたテクスト:ダーウィン、チャールズ・R(長谷川眞理子訳)「第3章 人間と下等動物の真的能力の比較について(続き)」『ダーウィン著作集1 人間の進化と性淘汰Ⅰ』、文一総合出版、1999年。 (同訳者の、文庫化前の訳書) 以下、「」+段落となっている箇所で、段落を指示(48段落)及び要約。その後、編みかけ部分は、段落に関する疑問・コメント(だいたい編みかけ一つにつき一コメント)。 「人間と下等動物とを…」 ダーウィンは、「人間と下等動物とを分けるすべての違いの中で、
対話相手としてのプラトン——納富信留『プラトンとの哲学 対話篇を読む』の「と」について(2020年秋学期「ギリシア哲学史概論(2)」の中間レポート)
はじめに 納富信留『プラトンとの哲学 対話篇を読む』において中心的な論点と思われるのは「「プラトンの哲学」は存在しない、あるのは「プラトンとの哲学」のみである」という、字面だけでは、言葉遊びのようにも見えかねない主張である*1。本レポートでは、この主張の意義について吟味するために、1では特にこの前半部の含意を、納富と同じトピックについて議論しながら、一点重要な違いを持つがために、最終的な主張が全く異なっている加藤信朗『初期プラトン哲学』の議論と比較し論じる。また2では、納富
3つの宇宙旅行—SFの認識異化の3形式——『ソラリス』「デセプション・ベイの化け物」「クレー射撃にみたてた月飛行」について(2020年夏学期「中東欧のSFを読む」の期末レポート)
似非SF化した現実 スーヴィンはSFを「異化と認識の共存と相互作用を必要かつ十分条件とする文学ジャンルであり、その主たる形式上の技巧は、作家が経験できる環境に変わる想像的枠組である」としている。ここで重要なのは、スーヴィンが「認識」を重視している点である。おとぎ話やファンタジーとSFをスーヴィンが入念に区別するときに問題にしているのがこの条件である。ただ現実とは異なった世界を描くだけではいけないのだ。SFは「虚構的(「文学的」)仮説を出発点にしていても、[…]全体化するよう