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向井雅明『ラカン入門』読書会レジュメ(第1章「鏡と時間」)

(読書会で使用。節ごとに切りながら、形式段落一段落ごとに段落を作り解釈・説明する形で作成している) 想像界・象徴界・現実界(21-32頁) ラカンの分析家としての出発点といえる「鏡像段階」は、1936年マリエンバードでアーネスト・ジョーンズ(注1)のもとで開かれた国際分析学会において発表された。のち1949年にチューリッヒで開かれた他の学会でもこの概念に触れた発表がなされ、それが主著『エクリ』に収められている。 ・想像界(21-27頁)  生後6ヶ月に達した子供は、鏡の

    • 竹村和子『愛について アイデンティティと欲望の政治学』第3章「あなたを忘れない」後半レジュメ

      (本文の形式段落ごとの段落を立てて言い換え、意味段落ごとに分けた。とりあえず読書会を経由してのアップデート前のもの) (議論の確認) フェミニズムは、垂直的な父権制に対する異議申し立てとして、「女」の間の水平的な結びつきを強調してきた。しかし、女同士の垂直的な関係性の中での出来事、すなわち無事娘から母が産出されるということがエディプス的、核家族的性制度の根幹であるのだとすれば、この垂直的関係性を直視し、そこをどう撹乱するかということが考えられなければならない。  メラニー・

      • ヴァレリー「エレーヌ」、あるいはヴァレリーの戦い

        (ゼミ形式授業で発表したもの、アップデートするかも) 本文と試訳Hélène Azur! c’est moi… Je viens des grottes de la mort Entendre l’onde se rompre aux degrés sonores, Et je revois les galères dans les aurores Ressusciter de l’ombre au fil des rames d’or. Mes solitaires m

        • ホミ・バーバ「擬態と人間について」(『文化の場所』)レジュメ(授業で使用)

          (授業で使用。邦訳各段落に対応させ形式段落を作り要約した。注は邦訳訳語や用語に関するものが中心) 植民地主義の戦略としての擬態(148, 149頁)  啓蒙主義以後のイギリス植民地主義言説は両義的な仕方で語る。歴史的使命として植民地支配を権威づける語りを生産する裏で、トリックアート(注1)、アイロニー、擬態、反復の伝統に根付いたテクストが生産されるのだ。擬態は、捉えにくく効果的な戦略である。  植民地主義の〔言説における〕擬態(注2) は、ほとんど同一だが完全には同一ではな

        向井雅明『ラカン入門』読書会レジュメ(第1章「鏡と時間」)

        • 竹村和子『愛について アイデンティティと欲望の政治学』第3章「あなたを忘れない」後半レジュメ

        • ヴァレリー「エレーヌ」、あるいはヴァレリーの戦い

        • ホミ・バーバ「擬態と人間について」(『文化の場所』)レジュメ(授業で使用)

          絓秀実『日本近代文学の<誕生>』第三章「国民的想像力の中の「女」」読解(ゼミ用作成のレジュメ)

          本文の形式段落に合わせ段落を立て要約。意味段落でグループを作り小見出しを立てて分けた。絓がパラグラフライティングを行なっていないのか、私の読解がまずいのか、一つの形式段落につき話題は一つではないように思われる。 1 『浮雲』における唯一の「である」体¶1~3(92-94頁)『浮雲』における二つの革命について  二葉亭は世俗主義=俗語革命を、内容と形式の両面において遂行し、それによって、近代の「国民的想像力」(読者が自分と小説の登場人物とを等身大であるかのように想像するあり

          絓秀実『日本近代文学の<誕生>』第三章「国民的想像力の中の「女」」読解(ゼミ用作成のレジュメ)

          ボードレール「旅への誘い」試訳

          (課題で提出したもの)   いとしい子、いとしい妹よ、   かの地での暮らしを空想せよ。 共に住むかの地での蜜月を!   遊び、愛し、   愛し、死ぬ…… お前のようなその国での蜜月を!   空は曇る。   太陽は湿る。 わたしの心は確かに見る、   涙を抜けて輝くお前の眼を、   そのままどこまでも移ろいそうなお前の眼を、 お前の眼に惹かれゆく謎を見る。 そこにあるのはただ、 秩序と美と奢侈と平安と官能と。   歳月が磨く   家具は明るく、 わたしたちの部屋を飾る。

          ボードレール「旅への誘い」試訳

          ジュディス・バトラー(竹村和子訳)『ジェンダー・トラブル』3-4「身体への書き込み、パフォーマティブな撹乱」レジュメ

          (意味段落にわけタイトルをつけて切っていき、本文の形式段落一つ一つに対し形式段落を一つ作って要約・解釈した) ¶1, 2(228-230頁)「身体」は前提か構築されたものか  フェミニズム理論・政治が表明してきた「女」の利権・視点に先立って、「女」というものが形成されているということはあるのだろうか。仮にあるとすれば、それは、文化が書き込む下地としての、性別化されたsexed(=「女」として与えられた)身体の形態・境界なのか。その「女の身体」を境界づけるのは何か。またその「

          ジュディス・バトラー(竹村和子訳)『ジェンダー・トラブル』3-4「身体への書き込み、パフォーマティブな撹乱」レジュメ

          竹村和子『愛について』序章 読書会レジュメ

          (以下、記号のつけていない数字で意味段落を指示し、レジュメ本文は書籍本文に対応させ段落を切り、本文各段落の要約および解釈として書いたものである。32頁以後の謝辞を省略した。) 1(1-4頁)¶1-3(1, 2頁)  個別的な発話を理解するため、その意味をはかるのに参照されるのは、社会慣習のような集合的な物語である(注1)。根本的に「何者であるか」ということ、どのように生きどのように死ぬかが定められていない我々は、(自分自身への目標の設定としての発話も含めた)個別的発話によ

          竹村和子『愛について』序章 読書会レジュメ

          ハイデガーにおける哲学と人間、芸術と人間 ——「芸術作品の根源」を中心に(卒業論文)第3章、結論

          (同名、序論第1章、第2章の記事の続き) 第3章 「芸術」とは何か——「真理と芸術」読解  第2章において、芸術作品と「真理」との連関が論じられた。しかし、ここで検討されたのはあくまで芸術作品(Kunstwerk)を、すでに存在する対象として見る限りでのことであった。ハイデガーは、芸術作品を考えるときには「創造されるwerken」という機会について考えるとが一方では欠かせないはずだと指摘する。本章の議論はここを始点にする。「創造される」という事態がいかなる事態であるかが検討

          ハイデガーにおける哲学と人間、芸術と人間 ——「芸術作品の根源」を中心に(卒業論文)第3章、結論

          『セックスなんてこわくない』読書会 Lesson2「エレクトのエコロジー」レジュメ

          (書籍は、Lesson、節、項という構成になっている。レジュメは、最初にページを指定して、鉤括弧で節のタイトルを略記した。その後「○何々」という仕方で書かれているのが項である。項についての説明はおおよそ要約を目指したが、そもそもが軽い調子のレクチャーの形の本であり、論理を補った箇所も多い。「→」で書かれている箇所はそれに対する、補足・解説として書かれている) pp. 80-91「一九世紀以後の男性中心社会の…」 ◯女の子は快楽の頂点で排卵する、と思われていた  欲望、快楽、

          『セックスなんてこわくない』読書会 Lesson2「エレクトのエコロジー」レジュメ

          ハイデガーにおける哲学と人間、芸術と人間 ——「芸術作品の根源」を中心に(卒業論文)第2章

          2-1 神殿作品における「歴史」の贈与  第2部の冒頭でハイデガーは、前章の考察について振り返る(25)。「芸術は芸術作品において現実的に存在する」という事態が、芸術作品の根源としての「芸術」を求める洞察のうちで、作品を考察する理由であった。その「現実性」という事態について反省した結果得られた洞察が作品存在のうちには「物的なもの」があるということだったが、この「物的なもの」への接近は失敗したのだった。ハイデガーによれば、それは「作品の物的な下部構造の問いとともに、われわれが

          ハイデガーにおける哲学と人間、芸術と人間 ——「芸術作品の根源」を中心に(卒業論文)第2章

          『「いき」の構造』第2章「「いき」の外延的構造」レジュメ(以前読書会で使用したもの)

          (『「いき」の構造』は、青空文庫でも読めます。) ○現代における九鬼の思想  田中久文によれば、九鬼の思想が注目されたタイミングは今まで二度あったという。  バブル経済の時代に同様に注目されたのは、フランスのポストモダン思想だった。構造主義からポスト構造主義に至る流れを概説した浅田彰『構造と力』がベストセラーとなり、浅田の「スキゾ」「パラノ」という語は流行語大賞にもなった。一つのものにこだわらず「逃走」を企てるあり方=「スキゾ」は、戦後の政治的問題を中心とした暗さを(ある

          『「いき」の構造』第2章「「いき」の外延的構造」レジュメ(以前読書会で使用したもの)

          ダーウィン『人間の由来』読書会、第3章「人間と下等動物の心的能力の比較について(続き)」のレジュメ(各段落の要約とコメント)

          底本としたテクスト:ダーウィン、チャールズ・R(長谷川眞理子訳)「第3章 人間と下等動物の真的能力の比較について(続き)」『ダーウィン著作集1 人間の進化と性淘汰Ⅰ』、文一総合出版、1999年。 (同訳者の、文庫化前の訳書) 以下、「」+段落となっている箇所で、段落を指示(48段落)及び要約。その後、編みかけ部分は、段落に関する疑問・コメント(だいたい編みかけ一つにつき一コメント)。 「人間と下等動物とを…」  ダーウィンは、「人間と下等動物とを分けるすべての違いの中で、

          ダーウィン『人間の由来』読書会、第3章「人間と下等動物の心的能力の比較について(続き)」のレジュメ(各段落の要約とコメント)

          学科ゼミ論文紹介で使用したレジュメ(工藤顕太「欲望と享楽の倫理学」の要約)

          紹介文献  工藤顕太「欲望と享楽の倫理学——カント・フロイト・ラカン——」、『早稲田大学大学院文学研究科紀要』 、第64号、早稲田大学大学院文学研究科、2019年、821-836頁。http://hdl.handle.net/2065/00063168 論文選定の理由 (省略) 『快原理の彼岸』から『精神分析の倫理』へ 精神分析家ジャック・ラカンの講義『精神分析の倫理』において示される、精神分析の倫理を、工藤は「欲望という試練に身をさらすことを主体に課す命法」であるとして

          学科ゼミ論文紹介で使用したレジュメ(工藤顕太「欲望と享楽の倫理学」の要約)

          対話相手としてのプラトン——納富信留『プラトンとの哲学 対話篇を読む』の「と」について(2020年秋学期「ギリシア哲学史概論(2)」の中間レポート)

          はじめに  納富信留『プラトンとの哲学 対話篇を読む』において中心的な論点と思われるのは「「プラトンの哲学」は存在しない、あるのは「プラトンとの哲学」のみである」という、字面だけでは、言葉遊びのようにも見えかねない主張である*1。本レポートでは、この主張の意義について吟味するために、1では特にこの前半部の含意を、納富と同じトピックについて議論しながら、一点重要な違いを持つがために、最終的な主張が全く異なっている加藤信朗『初期プラトン哲学』の議論と比較し論じる。また2では、納富

          対話相手としてのプラトン——納富信留『プラトンとの哲学 対話篇を読む』の「と」について(2020年秋学期「ギリシア哲学史概論(2)」の中間レポート)

          3つの宇宙旅行—SFの認識異化の3形式——『ソラリス』「デセプション・ベイの化け物」「クレー射撃にみたてた月飛行」について(2020年夏学期「中東欧のSFを読む」の期末レポート)

          似非SF化した現実  スーヴィンはSFを「異化と認識の共存と相互作用を必要かつ十分条件とする文学ジャンルであり、その主たる形式上の技巧は、作家が経験できる環境に変わる想像的枠組である」としている。ここで重要なのは、スーヴィンが「認識」を重視している点である。おとぎ話やファンタジーとSFをスーヴィンが入念に区別するときに問題にしているのがこの条件である。ただ現実とは異なった世界を描くだけではいけないのだ。SFは「虚構的(「文学的」)仮説を出発点にしていても、[…]全体化するよう

          3つの宇宙旅行—SFの認識異化の3形式——『ソラリス』「デセプション・ベイの化け物」「クレー射撃にみたてた月飛行」について(2020年夏学期「中東欧のSFを読む」の期末レポート)