Raita Nakashima/中嶋雷太

京都生まれ。同志社大学大学院修了後、出版社、外国政府機関を経て、1990年番組Pとして…

Raita Nakashima/中嶋雷太

京都生まれ。同志社大学大学院修了後、出版社、外国政府機関を経て、1990年番組PとしてWOWOW立ち上げ参加。国内外の映画、演劇、テレビ番組等に携わりシニア・エグゼクティブP等の任につく。2019年WOWOW退社し映画等のプロデューサー・物語作家となる。国際エミー賞審査員。

マガジン

  • 他山の岩 Rocks on another hills

    庶民視点でのジャーナリズム・マガジンです。21世紀になりSNS等インターネットが普及し誰もが発言の機会を得ました。これまでは、ジャーナリズムはマスメディア(新聞、雑誌やテレビ)だけのものと考えられてきましたが、私たち庶民目線のものがあっても良いはずです。時間の制約等もあり取材活動に専念はできませんが、日常生活を営むなかでふと疑問に思い、静かにゆっくりと考えることは私たちでも可能です。同じような庶民的ジャーナリズムを戦前に展開された人物、桐生悠々氏がいます。明治から昭和初期にかけ信濃毎日新聞の主筆等を務めた気骨あるジャーナリストで、1941年に亡くなるまでの8年間、彼は「他山の石」という個人雑誌を発行し続け、戦雲に筆一本で立ち向かったジャーナリストです。ここでは「石」を「岩」に変えています。目の前に立ちはだかる岩々から反面教師として何を学べるか。問い続けられればと願っています。

  • 「悲しきガストロノームの夢想」マガジン

    食べることは人生だ。日常生活を営むなかで出会う「食」は私たちを幸福にする。このマガジン「悲しきガストロノームの夢想」では、なんでもない食生活の一瞬を切り取り、そこに覗く幸せを描く物語形式になっています。ぜひ、お楽しみください。

記事一覧

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(26):「小さな漁港に憧れる」

 どこかで綴ったことがあるかもしれませんが、小さな漁港にずっと憧れ続け今日に至ります。その理由は、アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」を読み、その映画を観て…

マイ・ライフ・サイエンス(35)「蚊の視点」

 私にとって蚊は大敵です。というのも、幼稚園児のころ、幼稚園の垣根の枯れて萎れた紫陽花を何故だかぼんやり見ていたとき、手脚や顔や首筋をボコボコに刺されてしまい、…

マイ・ライフ・サイエンス(34)「汽水域」

 湘南・片瀬海岸に住んでいると、毎日汽水域を眺めることになります。「汽水域」と言っても、理科とか地理とかの教科書にあった言葉だと知ってはいても、すぐにピンとはこ…

本に愛される人になりたい(83) 五木寛之「スペインの墓標」

 ある日突然、読みたくなる小説があります。先夜、ぐだぐだと眠りにつけない、夢うつつに、五木寛之さんの「スペインの墓標」の一節が鮮明に蘇ってきました。  「不意に…

マイ・ライフ・サイエンス(33)「熱帯夜と熱帯の夜」

 2年前の2022年8月のこと、日本気象協会は、40℃以上の日を「酷暑日」、夜の最低気温が30℃以上の夜を「超熱帯夜」と呼ぶことに決めました。  この酷暑日や超熱帯夜とい…

本に愛される人になりたい(82) 北杜夫「どくとるマンボウ航海記」

 うっすらと自我に目覚めてからの数十年の個人史を振り返るのはとても難しいものです。たとえば5歳の夏の「私」が感じていたものを、脳内の内なる言葉でいま捉えようとし…

<御礼です>

 今朝、noteのアクセス状況を確認すると全体ビューが100,000ビューを超えていました。PV数ではないのであくまで参考値ですが、ひと区切りとしてこの場を借り皆さまに御礼…

マイ・ライフ・サイエンス(32)「富士山の色」

 「いま飲まれているのは?」  「あ、これはアブサンというお酒です」  「アブサン。アブサンは私の父もよく飲んでいました。家ではなく、どこかのバーで」  「よく飲…

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(25):「白檀の香り」

 白檀の香りを嗅ぐと海辺のホテルのイメージが何故だか湧き上がってきます。白檀の英語名がサンダルウッドなのでそのサンダルという言葉から勝手に連想しているのかもしれ…

本に愛される人になりたい(81) 塩野七生「イタリア遣聞」

 イタリアの歴史にまったく興味のない方も多いかと思いますが、塩野七生さんという作家の名前を聞いたことはあると思います。『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷…

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(24):「そして、走るのだ」

 よくよく考えると、子どものころから走るのが好きでした。別に足が早かったわけではありません。競技とかではなく、ただただ、ヘロヘロになるまで走るのが好きでした。 …

本に愛される人になりたい(80) マーク・トウェイン「トムソーヤーの冒険」

 本作の原書を初めて読んだのは中学二年生の夏。京都の丸善でペンギン・ブックスを購入したのを覚えています。翻訳は小学校のころに読んでいたので、おおよそのストーリー…

マイ・ライフ・サイエンス(31)「デフィニシブ・ピース(決定的なカケラ)」

 異常気象が叫ばれ始め何十年経過したのだろうと考えていて、それがいつ頃からかとあれこれ情報を集めていると、1985年、オーストリアのフィラハという都市で開催されたフ…

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(23):「海と戯(たわむ)れる」

 湘南・片瀬海岸近くに引越し約7カ月が経ち、ようやく新居、そしてこの海辺の町に慣れてきたところです。  桜が開花する3月下旬ごろまでは、時にUGGを履いて浜辺でカフェ…

本に愛される人になりたい(79) 五木寛之「海を見ていたジョニー」

 近ごろ、五木寛之さんの初期の短編を読み返しています。読書欲という欲求はじわりじわりと、地殻深くのマグマのように地中を這い上ってきて、ある日突然大地に地割れを起…

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(22):「ビーサンの道は恋愛なのだ」

 いま持っているビーサンの数を数えると15足ありました。数十年の私の人生をつむじ風のように過ぎ去っていったビーサンを数えれば、100足は下らないだろうと確信していま…

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(26):「小さな漁港に憧れる」

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(26):「小さな漁港に憧れる」

 どこかで綴ったことがあるかもしれませんが、小さな漁港にずっと憧れ続け今日に至ります。その理由は、アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」を読み、その映画を観てからなのだと、ほぼ確信しています。
 ただ、その憧れに気づいたのはいつ頃のことなのかと考えてみましたが、その一つにあるのが伊根の舟屋です。京都府の日本海側の丹後半島にあるその舟屋のことはよく知られていると思いますが、一階(?)は海の上で舟が

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マイ・ライフ・サイエンス(35)「蚊の視点」

マイ・ライフ・サイエンス(35)「蚊の視点」

 私にとって蚊は大敵です。というのも、幼稚園児のころ、幼稚園の垣根の枯れて萎れた紫陽花を何故だかぼんやり見ていたとき、手脚や顔や首筋をボコボコに刺されてしまい、それ以来、蚊の姿が視界に入ったり、遠くから蚊の羽音が聴こえてきたりすると、その幼稚園児のころのトラウマが蘇り、背筋が凍ります。そして、理性などかなぐり捨て、その蚊を狩るのに奔走します。まるで、飢えたライオンが餌となる弱った鹿を追い求めるよう

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マイ・ライフ・サイエンス(34)「汽水域」

マイ・ライフ・サイエンス(34)「汽水域」

 湘南・片瀬海岸に住んでいると、毎日汽水域を眺めることになります。「汽水域」と言っても、理科とか地理とかの教科書にあった言葉だと知ってはいても、すぐにピンとはこないと思います。この私も、昨年10月に長年住んだ世田谷から湘南・片瀬海岸に引っ越すまでは、この汽水域、つまり川が海へと注ぐ河口近くに住んだことがなく、数多くの皆さんと同じく、汽水域とは教科書で知った言葉でしかありませんでした。
 江の島の西

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本に愛される人になりたい(83) 五木寛之「スペインの墓標」

本に愛される人になりたい(83) 五木寛之「スペインの墓標」

 ある日突然、読みたくなる小説があります。先夜、ぐだぐだと眠りにつけない、夢うつつに、五木寛之さんの「スペインの墓標」の一節が鮮明に蘇ってきました。
 「不意にオートバイの音が響いた。黒い長靴をはき、黒い皮の服を着た男たちが、自動小銃を背負って二列になって走ってきた。ジプシーたちは算を乱して逃げまどった。銃声がひびき、女が両手を高くあげて倒れた。その顔はパキータの顔だった。」
 五木寛之さんが37

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マイ・ライフ・サイエンス(33)「熱帯夜と熱帯の夜」

マイ・ライフ・サイエンス(33)「熱帯夜と熱帯の夜」

 2年前の2022年8月のこと、日本気象協会は、40℃以上の日を「酷暑日」、夜の最低気温が30℃以上の夜を「超熱帯夜」と呼ぶことに決めました。
 この酷暑日や超熱帯夜という気象用語にはまだ馴染みがありませんが、熱帯夜という気象用語には馴染んでいて毎年夏になると耳にせぬ日はないかと思います。
 気象庁の定義では、熱帯夜とは「夜間(夕方から翌朝まで)の最低気温が25度以上のこととだそうです。
 さてこ

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本に愛される人になりたい(82) 北杜夫「どくとるマンボウ航海記」

本に愛される人になりたい(82) 北杜夫「どくとるマンボウ航海記」

 うっすらと自我に目覚めてからの数十年の個人史を振り返るのはとても難しいものです。たとえば5歳の夏の「私」が感じていたものを、脳内の内なる言葉でいま捉えようとしても、五感で感じていたなんとなくな自画像しか捉えられません。ところが人間というものは大嘘つきで、5歳の夏から現在までの経験で得た価値観などを屈指して虚飾の5歳の夏を描いてしまいます。まるで、昨今流行りの青春的なアニメのようです。
 そもそも

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<御礼です>

<御礼です>

 今朝、noteのアクセス状況を確認すると全体ビューが100,000ビューを超えていました。PV数ではないのであくまで参考値ですが、ひと区切りとしてこの場を借り皆さまに御礼申し上げます。日々あれこれ考えついたことを綴ってきましたが、これからも小説の執筆や映画製作活動と並行しつつ、日常生活から沸々と湧き上がる考えを綴らさせて頂きます。自分なりの内なる言葉で自分なりに考えることの面白さが皆さんの心に届

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マイ・ライフ・サイエンス(32)「富士山の色」

マイ・ライフ・サイエンス(32)「富士山の色」

 「いま飲まれているのは?」
 「あ、これはアブサンというお酒です」
 「アブサン。アブサンは私の父もよく飲んでいました。家ではなく、どこかのバーで」
 「よく飲まれていた?」
 「はい。画商だったせいかどうかはわかりませんが、父の友人たちもアブサンが好きだったようで、フランスかぶれだと、自重気味に話をしていました。ロートレックでもゴッホでもないが、とも」
 「ロートレックやゴッホや…」
 「そ

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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(25):「白檀の香り」

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(25):「白檀の香り」

 白檀の香りを嗅ぐと海辺のホテルのイメージが何故だか湧き上がってきます。白檀の英語名がサンダルウッドなのでそのサンダルという言葉から勝手に連想しているのかもしれませんが、このサンダルウッドのサンダルとはサンスクリット語のシャンダナム(「白檀の樹」)が由来なので、ビーサンなどのサンダルとはまったく異なります。
 とはいえ、人それぞれでしょうが、私はそ白檀の香りから海辺のホテルを連想します。それは何故

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本に愛される人になりたい(81) 塩野七生「イタリア遣聞」

本に愛される人になりたい(81) 塩野七生「イタリア遣聞」

 イタリアの歴史にまったく興味のない方も多いかと思いますが、塩野七生さんという作家の名前を聞いたことはあると思います。『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』、『海の都の物語』や『ローマ人の物語』…等々、本屋さんの新刊本コーナーで平積みになっているのを目にしたことはあるはずです。私は学生時代から数十年経った今まで、塩野七生さんの作品が好きでその主な本は読んできたのですが、『イタリア遣聞』はその

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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(24):「そして、走るのだ」

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(24):「そして、走るのだ」

 よくよく考えると、子どものころから走るのが好きでした。別に足が早かったわけではありません。競技とかではなく、ただただ、ヘロヘロになるまで走るのが好きでした。
 京都の太秦に実家があったころは、太秦から三条通りを西へ嵐山まで行き、渡月橋を渡ってから松尾神社まで南下し、桂川を渡る松尾橋を東へ渡り、桂川の東の土手を北上して太秦の実家まで…おおよそ5キロをほぼ毎日走っていました。
 社会人になり走る機会

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本に愛される人になりたい(80) マーク・トウェイン「トムソーヤーの冒険」

本に愛される人になりたい(80) マーク・トウェイン「トムソーヤーの冒険」

 本作の原書を初めて読んだのは中学二年生の夏。京都の丸善でペンギン・ブックスを購入したのを覚えています。翻訳は小学校のころに読んでいたので、おおよそのストーリーは頭に入っていましたが、英和辞典片手に英語での原書の「トム・ソーヤーの世界」に入ってゆくと、翻訳では分からなかった細かな人間描写が見えてきて、楽しく読み終わったと記憶しています。
 勉強嫌いで、いつもいたずらを考え、何でもサボろうと知恵を働

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マイ・ライフ・サイエンス(31)「デフィニシブ・ピース(決定的なカケラ)」

マイ・ライフ・サイエンス(31)「デフィニシブ・ピース(決定的なカケラ)」

 異常気象が叫ばれ始め何十年経過したのだろうと考えていて、それがいつ頃からかとあれこれ情報を集めていると、1985年、オーストリアのフィラハという都市で開催されたフィラハ会議(地球温暖化に関する世界で初の会議)がきっかけとなり二酸化炭素による地球温暖化の問題が広く議論されるようになったようです。18世紀半ばから始まった産業革命以降現在に至る二百数十年の時間を経て、人間はようやく自分たちの欲望追求が

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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(23):「海と戯(たわむ)れる」

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(23):「海と戯(たわむ)れる」

 湘南・片瀬海岸近くに引越し約7カ月が経ち、ようやく新居、そしてこの海辺の町に慣れてきたところです。
 桜が開花する3月下旬ごろまでは、時にUGGを履いて浜辺でカフェをするだけでしたが、4月に入りたまに夏日が訪れると、海で遊びたくなってきました。
 湘南の海(片瀬東浜、片瀬西浜や鵠沼海岸など)には、真冬でもサーファーたちが果敢に波乗りを楽しむ姿がありましつが、極端に寒さを嫌う私はただただ「偉いなぁ

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本に愛される人になりたい(79) 五木寛之「海を見ていたジョニー」

本に愛される人になりたい(79) 五木寛之「海を見ていたジョニー」

 近ごろ、五木寛之さんの初期の短編を読み返しています。読書欲という欲求はじわりじわりと、地殻深くのマグマのように地中を這い上ってきて、ある日突然大地に地割れを起こし、吹き出すもので、今回も唐突に「初期の短編を読みたいなぁ」と読書欲マグマが吹き出しました。
 彼の作品の主なものは読んできており、その初期の短編の数々も読み漁ったはずなのですが、ストーリーというよりもそこに刻まれた情感だけがぼんやりと、

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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(22):「ビーサンの道は恋愛なのだ」

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(22):「ビーサンの道は恋愛なのだ」

 いま持っているビーサンの数を数えると15足ありました。数十年の私の人生をつむじ風のように過ぎ去っていったビーサンを数えれば、100足は下らないだろうと確信しています。その多くが、残念ながら私の足には合わず、私の下駄箱から去っていった数です。鼻緒が擦れて痛くなったり、足底が硬すぎて豆ができたり…等々、店頭で試し履きをし「これならば」と購入し、履き始めは良いのですが、しばらく経つとビーサンとの相性が

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