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マイ・ライフ・サイエンス(31)「デフィニシブ・ピース(決定的なカケラ)」

 異常気象が叫ばれ始め何十年経過したのだろうと考えていて、それがいつ頃からかとあれこれ情報を集めていると、1985年、オーストリアのフィラハという都市で開催されたフィラハ会議(地球温暖化に関する世界で初の会議)がきっかけとなり二酸化炭素による地球温暖化の問題が広く議論されるようになったようです。18世紀半ばから始まった産業革命以降現在に至る二百数十年の時間を経て、人間はようやく自分たちの欲望追求が人間を滅ぼすきっかけになりそうなことに気づいたわけですね。
 先日、NHKのバタフライ・エフェクトという番組を見ていました。バタフライ・エフェクトとは、蝶々が飛んだだけなのに大事件のきっかけとなるといった表現で、日本では「風が吹けば、桶屋が儲かる」に近い俗諺かもしれません。前述した異常気象もまた火力の発明が起源となるでしょうが、未来のことをペシミスティックに考えると、何でもない生物が絶滅することで、巡り巡って人類が絶滅に瀕するようなこともあるかもしれません。そんな何でもない生物というカケラが欠落することが、人類絶滅を決定づけるかもしれないと、小説を書いてきていると、時々突拍子もないことを考えてしまい、このデフィニシブ・ピース(決定的なカケラ)という考え方も、そうした夢想癖のなせる業なのかもしれませんが、人類がまだ気づいていないそのデフィニシブ・ピースがありそうな気がしています。杞憂かもしれませんが。
 それが、ニホンオオカミのように既に絶滅した動物なのか、それともニホンオオカミほどビジュアル的にも知られていない、とても微小な生物なのか…。例えば、蚊。私は蚊が大嫌いなのですが、もし人類が蚊を絶滅するとどうなるのか。ウィルスを媒介する蚊ですが、モノによっては軽いウィルス感染をして免疫を作ってくれるのも蚊だとすると、蚊が絶滅するば私たちの免疫力はかなり低下し、多様なウィルスへの耐性が失われるかもしれません。ゴキブリや蝿なども同じかもしれません。
 先日、湘南にある片瀬漁港を散歩していると、魚網にびっしりとフジツボが付着していました。定期的に魚網を陸に上げ、フジツボを乾燥させて砕き除く作業なのでしょう。漁師さんにとっては迷惑千万のフジツボに違いありむせんが、自然界全体におけるフジツボの役割はなんだろうかと考えてみたものの、ダーウィンのようにフジツボの研究などしたことがないので、どうなるやら分かりませんでした。ただ、前述の蚊やゴギブリや蝿などと同じく、フジツボもまた自然界全体のバランスを保っているのかもしれません。
 人類を絶滅させるデフィニシブ・ピースはきっとあると思いますが、それは人類が絶滅した後に判明するに違いありません。
 この夏、私がピシャリと殺す蚊が、もしかすると、このデフィニシブ・ピースなのかもしれませんね。中嶋雷太

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