見出し画像

ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(24):「そして、走るのだ」

 よくよく考えると、子どものころから走るのが好きでした。別に足が早かったわけではありません。競技とかではなく、ただただ、ヘロヘロになるまで走るのが好きでした。
 京都の太秦に実家があったころは、太秦から三条通りを西へ嵐山まで行き、渡月橋を渡ってから松尾神社まで南下し、桂川を渡る松尾橋を東へ渡り、桂川の東の土手を北上して太秦の実家まで…おおよそ5キロをほぼ毎日走っていました。
 社会人になり走る機会もなくなり、ジムのランニングマシンで30分ほど走り、格闘技系のプログラムをこなしていただけで、無意識に達成感がないまま何十年も過ごしていました。
 昨年10月に世田谷から湘南・片瀬海岸に引っ越すや身体がもやもやし始め、1キロほど走りはじめ、5月に湘南ビーチランで砂浜を5キロ走ってみました。結果は、完走したものの、一歩一歩踏み締めるのが砂浜だったこともあり、もうヘロヘロになり、ゴールを切るや悔しい思いに打ちひしがれました。そして、です。やがて、根っからの喧嘩っ早い性格が、モクモクと湧き上がってしまい、それ以来ジョギングを再開しました。
 最初は、片瀬海岸沿いの平地を数キロ走るだけでダメダメでしたが、やがて脳を走るシノプスの弱電と身体の筋肉が繋がり始めてきたのを実感し、先日は江の島一周トレイルランに挑みました。ビルの高さでは三十階程度を登り降りしましたが、平地ではなく、しかも一歩一歩が踏み締める着地点は石階段の凸凹だったので、あたふたしつつも、身体の「芯」が喘ぐほどの細かなバランスを体感しました。
 疾病など抱えておられる方には恐縮な言い回しとなりますが、やはり「そして、走るのだ!」という感覚は私にとってはとても大切なものだと確信しています。何かを求めてではなく、ただただ走るだけなのが、今は大好きです。汗だくになり、心臓がバクバクし、はぁはぁ息を吸い吐き…。まるで、回遊魚のマグロみたいでもありますね。中嶋雷太

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?