見出し画像

本に愛される人になりたい(82) 北杜夫「どくとるマンボウ航海記」

 うっすらと自我に目覚めてからの数十年の個人史を振り返るのはとても難しいものです。たとえば5歳の夏の「私」が感じていたものを、脳内の内なる言葉でいま捉えようとしても、五感で感じていたなんとなくな自画像しか捉えられません。ところが人間というものは大嘘つきで、5歳の夏から現在までの経験で得た価値観などを屈指して虚飾の5歳の夏を描いてしまいます。まるで、昨今流行りの青春的なアニメのようです。
 そもそも、人間として日々生きていると、とても文節的な感覚で物事を考えていて、小説家などが好む精緻な心理などあるわけがありません。ときに、話題になっている小説を手に取り読んでいると、精緻な心理描写として褒められているらしい言葉の数々にうんざりすることが多々あり、私はかなり白けてしまいます。そんな真面目に生きているわけがないだろう、と。
 おっと、冒頭が重くなりました。
 今回は、北杜夫さんの「どくとるマンボウ航海記」のお話です。
 この作品に出会ったのは、私が小学5年生のころ、特に変わり映えしない毎日の家庭や小学校の暮らしに飽き、なんとか脱出を試みたいと考えていたのを記憶しています。冒険癖というよりも放浪癖の芽生えだったようで、テレビ番組の「兼高かおる世界の旅」や「クストーの驚異の世界」、「遠くへ行きたい」…等々、当時は国内外を紹介する番組に魅せられていて、毎日小学校に登下校するものの、なんとか早くこのちっぽけな生活世界から抜け出したいと心から願っていました。
 そんな時に出会ったのがこの作品です。北杜夫さんのどこかしら呑気な筆致で描かれる航海記は、肩肘張っておらず、小学5年生の私でもスルリとその世界観に没入することができました。海外へとなんとか脱出したいと試みる若手神経科医の著者が、水産庁の漁業調査船、600トンほどの昭洋丸の船医としてなんとか採用され、シンガポール、スエズ、リスボン、ハンブルグ、ロッテルダム、アントワープ、ル・アーブル、ジェノヴァ、アレキサンドリア、コロンボ等に寄港する旅に出ます。
 冒険旅行家でもオシャレな観光家でもない、生身の感覚で綴られたこの航海記で描かれる寄港地の人間模様はとてもリアルに迫ってきて、私のまだひ弱な自我にビンビンと何かを訴えかけてきたはずです。もちろん、大人でしか分からぬ不真面目な、たとえば性欲などのシーンは背伸びしつつ、とりあえず理解していたようです。
 人それぞれ、個人史で出会い、大いに影響を受けた小説や映画やテレビ番組などがあるかと思いますが、この作品は、私の放浪癖スイッチをONにしてくれたものの一つであることは間違いありません。
 昨年10月。長年住んでいた東京・世田谷区から湘南・片瀬海岸に引っ越しました。15回目の引越しで、京都→大阪→東京→L.A.→東京→神奈川と、ま、よくぞ引っ越したものだと笑みが溢れました。前職と前々職ではL.A.駐在含め海外出張が多くANAあのミリオン・マイラーにもなり、個人旅行でも国内外のあちらこちらに行ったものです。落ち着きが無いと言えばそうかもしれませんが、日常生活から離れた場所に身を置くと、我が自我のひ弱さを再確認できますし、人間というものの多様性を学ぶこともできます。
 放浪癖スイッチをONにしてくれたこの作品には、感謝です。中嶋雷太

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?