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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(26):「小さな漁港に憧れる」

 どこかで綴ったことがあるかもしれませんが、小さな漁港にずっと憧れ続け今日に至ります。その理由は、アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」を読み、その映画を観てからなのだと、ほぼ確信しています。
 ただ、その憧れに気づいたのはいつ頃のことなのかと考えてみましたが、その一つにあるのが伊根の舟屋です。京都府の日本海側の丹後半島にあるその舟屋のことはよく知られていると思いますが、一階(?)は海の上で舟がぽちゃりぽちゃりと浮かんでいます。「遠くへ行きたい」という旅番組だったか…テレビで伊根の舟屋を旅する話を父と一緒に観ていたときに、父は伊根へ行ったことがあるらしく、その旅の話をしてくれたことがありました。すでに、アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」を読み、そしてその映画を観て感激していた私にとり、父が語ってくれた伊根の舟屋はとても身近なものとなり、小さな漁港のイメージがさらに膨らみました。A.J.クィネルなどの海洋冒険小説にはまったりしたのも私のそのイメージをサポートしてくれたのかもしれません。
 社会人になり、自ら車を運転することになると、小さな漁港好きではないか?というのがようやく分かってきたようで、伊豆半島の海辺をドライブしていると、小さな岬に隠れるようにしていた小さな漁港が突然視界に入るや否や、グッと魅せられてしまう私がいました。
 もちろん、小説や映画などで描かれるような、喜怒哀楽がはっきりして起承転結がしっかりとある、分かりやすいドラマなどそこに存在するわけがなく、あくまでその地で漁業を営むのに精一杯の漁師たちが息づくわけで、私のような外部の人間が安易な憧れとドラマ性をその漁港に求め、その世界に土足で入り込むなどおこがましいわけですが。
 とはいえ、いま片瀬海岸という地に住んでいるのですが、東に腰越漁港があり西に片瀬漁港がある環境なので、ほぼ毎日と言って良いほど、その漁港の中を散歩しては、磯の香りと干されている魚網の香りを楽しみながら、まだまだ漠然とした小さな漁港への思いを満たそうとしています。
 時に、この漁港で朝獲れの魚市が開催されると必ず顔を出し、新鮮な鯖や烏賊や鰤などを一匹まるごと買ってきては、出刃包丁で捌き、思い思いの魚料理を堪能するという新たな楽しみを見つけもしています。
 小さな漁港への憧れは濃くなるばかりですが、私を魅了して止まない核心はまだまだ見えてはいません。中嶋雷太

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