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好きな小説

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お気に入りの小説コレクション 複数話あるものは、そのうちひとつを収録させて頂いております
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#小説

眠るための廃墟#ネムキリスペクト

眠るための廃墟#ネムキリスペクト

 晩夏、万雷の蝉しぐれ。
 これで終幕とばかりにがなりたてる蝉に耳を裏返され、雑木林の道なき道を奥へと向かっていた。けたたましい蟲とは裏腹に、暑さに澱んだ草木はよそよそしくこの先にあるものを故意に隠しているようだ。風のない道を伸び放題の草を踏んで歩く。汗が染みたTシャツが身体に張りつく不快をどうにもできずにいる。
 しばらく行くと、唐突に鉄塔が姿を現した。それは何かのシンボルのように見えた。例えば

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『古書店における自由研究』

『古書店における自由研究』

「自由研究よ」
 深夜帯にだけ開店する古書店の一角、古びた本棚の脇に寄りかかり、彼女は小さく三角座りをしたまま顔を上げて答えた。日に焼けた本に人差し指を挟んで持ったあと、もう一方の手で黒髪を耳にかけて僕を見上げている。
「カポーティの短編集を読むのが君の自由研究?」
「そう。自由研究よ」
 僕はヘミングウェイしか読んだことがなくて、彼女の言う“自由研究”がどのようなものなのか聞けるほどの知識がない

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掌篇小説『喜助』

掌篇小説『喜助』

かつては駕籠。

時はすすみ人力車。

そしてクルマ。

と、私の一族を数百年、形は変れど、迎えつづける男が独り、いる。

「一族」「貴い家柄」……なんて、笑止千万。昔の話。
乱れ崩れうらぶれた果て、唯独りのこった末裔は、クラブホステスの私。

それでも、迎えはくる。
前当主の父が変死したその日、喜助は私のもとに現れた。
父とは疎遠ゆえ、他人より「○○家当主には迎えの従者が今もいる」と伝説か冗談の

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小説「老婆」

   (1)

 今日も乞食はいた。

 私の通う中学校は、古い家々の立ち並ぶ、さびれた住宅街の一画にある。我が家もその区域にあって、登下校の道のりはそう長くはないものの、ちょっとした迷路のように何度も角を曲がる。そうして学校の正門に差し掛かる最後の角に、きまってその老婆がいた。彼女は校舎に向かい合う塀を背もたれに、地べたに薄いムシロを敷いてちょこなんと正座していた。つぎはぎだらけの衣服から、日焼

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【小説】うたかたも続けば同じ夢

【小説】うたかたも続けば同じ夢

終電間近の心斎橋で境田爽とすれ違った。
四年ぶりだった。
ビルの煌めきが本当は果てしないはずの暗闇に勝っていて、その谷間を土曜の開放感たちが行き交う。
なんとなく視界に入ってきた。三度目のチラ見で確信した。咄嗟に「爽ちゃん!」と呼びたくなって、蓬莱夏樹は閉口する。あの頃の境田が身に付けていたものなど、もうどこにも残っていないように見えた。キミの知らない時間を生きてきました、と言わんばかりに前を向い

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【小説】推しは浮気を許容する

【小説】推しは浮気を許容する

 ある日突然、家賃と光熱費などを折半する同居人が “中退” を宣言した。
「実は最近、付き合い始めた彼女がいるんだよ。だから正直言うと、もう今までみたいに活動できない」
 なんたる腑抜け野郎か。推しが卒業するまでと誓い合った覚悟を忘れたのか。僕は内心、めらめらと激怒した。
「そっか。良かったな」
 表面上はにこにこと承諾した。喧嘩のできない気弱な性格が幸いしたと言える。怒りを露わにすれば、嫉妬して

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短篇小説|ギはギルティのギ

短篇小説|ギはギルティのギ

 ギルがゆるやかにハンドルを切ると、目の前に青い海が広がった。ネモフィラの花畑を思い出す色彩。セリは息を呑み、わずかな時間、苦悩を忘れた。
「ほんとうに、私の頼みもきいてくれるの」
「もちろん」
 約束だからねと、彼は前方を見たまま答えた。車内にはミントの香りが漂っている。
「どこへ行くの。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「もうすぐ着くよ。それに」
「私は知る必要がない、でしょ」
 セリ

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掌編 ライカ

掌編 ライカ

 中学に入るまで、父の仕事でわたしは日本各地を転々とした。同じ日本語なのに少しずつ違う言葉、違うブーム(引越し前の小学校ではポケモンがものすごく流行っていたのに、翌週次の場所に行くとカービィが流行っていたりした)、そして総入れ替えされるクラスメイト。わたしは、おそらくまたそう遠くないうちに別れることになるだろう子供たちの顔を、一瞬で覚えて未練なく忘れるという特技を身に付けた。顔は覚えても、一定の距

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ダブルコスモス 【ピリカ文庫(2021) ショートショート】

ダブルコスモス 【ピリカ文庫(2021) ショートショート】

 納屋を片付けていたら、手金庫が出てきた。
 金庫とは、ちと大仰かもしれない。両手で包み込めるほどの箱に、南京錠がちんまりとしている。
 おそるおそる、四桁の数字をあわせてみる。
 おいそれと、カチリ、とはいわないのであった。

 祖母の手にかかると、あっけなく開いた。
「ばあちゃん、じいちゃん、父さん、母さん、私、誕生日は全部やったけど」
 ふふふふ、と祖母は声を立てずに笑う。
「宝の地図?」

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ショートショート『ヨシダは死にました』

ショートショート『ヨシダは死にました』

「ヨシダはいねぇのか、ヨシダを出せコラ!」
「ヨシダは、死にました。」
「…………!!!!」

人が、言葉を失った瞬間にはじめて出会った。



どこにでも、物申したいひとはいる。

不満を解消したいわけじゃない。怒ってるわけじゃない。何かを得たいわけじゃない。

ずっと、言い続けたい。そんなひと。

コールセンターに長く勤めていると、嫌でもひとの嫌な面を見る。たとえどんなに素晴らしい商品でも、

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赤と黒 〜僕らが決別した理由

赤と黒 〜僕らが決別した理由

 編集者の中にはベストセラー作家よりも有名なものがいる。いわゆるカリスマ編集者と言われている連中だ。彼らは本を売るために作家の原稿に手を入れ、時としてベストセラー作家に対してさえ書き直させる。そしてそういう連中の編集した本は話題となり、連中はベストセラー本の編集者として本の著者よりも持て囃された。だが、作家としては自分の原稿に手を入れられ、また直接ダメ出しされるのはかなり屈辱的なものだろう。しかし

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猫をなくした男と、女

猫をなくした男と、女

今日あいつに似たやつを見かけた。
あっちもおれに興味があったみたいだ。

そう、男が女に話すのは、もう、何度目か。

男は猫をなくしている。
女には、なついてくれた、はじめての猫だった。

 一

女は友人に誘われて、男の実家にある男の部屋を訪れた。
三方に窓が開き、日なたと、趣味のこまごまとにあふれていた。
にゃあと男の飼い猫がやってきて、客人たちの足元を、くるり、くるりと一周ずつした。
終える

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知冬のからだ

知冬のからだ

短編小説

◇◇◇

 1

 そして知冬は、ぼくが見ている前でチャコールグレーの手袋を脱いだのだった。ぼくはこのとき、どんな表情をしていたのだろう。自分のことながら、今もって思い出すことができない。ぼくは、手袋の下から現れた彼女の手を見ていた。現れるはずだった手を見ていた。現れるべきところに現れているはずの手を。見えていないのに見ようとしていた。

 2

 知冬が手袋を脱ぐその三十分前、ぼくら

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今どこにいますか

今どこにいますか

「ねえ、今どこにいるの」
「そんなことよりさ、空を見上げてみてよ。月がとても綺麗なんだ」

 電話をかけ続けること15分。やっと出た彼にひとこと文句でも言ってやろうと身構えていたはずなのに。私は彼の言葉を聞いた瞬間、思わず空を仰いだ。

 小さな星の輝きは数あれど、月の明かりなんてどこにも見当たらない。
 私は空を見上げたまま小さくため息を吐き出した。

「あのさ。今、どこにいるの?」
「月の光っ

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