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掌篇小説『喜助』

かつては駕籠。

時はすすみ人力車。

そしてクルマ。

と、私の一族を数百年、形は変れど、迎えつづける男が独り、いる。

「一族」「貴い家柄」……なんて、笑止千万。昔の話。
乱れ崩れうらぶれた果て、唯独りのこった末裔は、クラブホステスの私。

それでも、迎えはくる。
前当主の父が変死したその日、喜助は私のもとに現れた。
父とは疎遠ゆえ、他人より「○○家当主には迎えの従者が今もいる」と伝説か冗談の如く聞かされるだけだったが、それがよもや真であろうとは。

連絡先など知らない教えてない。しかし夜でも朝でも、何処であろうと、酔いどれた、又は父と似た死へ急ぐ道を辿りかけた私の前に、喜助は立つ。真冬でも、陽炎みたいに。

彼のクルマは、それらしい匂いもなく、フワリおぶさるような、どこかスローな揺れ。街の光が車体より透け、流星となって散りゆく。空調でない、清らな風をうけ。

いつも乗せられる後部座席より私は、手をのばす。スーツの筈なのに、私を躯ごと抱えるような腕や胸の張りを、素肌を感じる。上に遣れば、尖った顎と、ざらつく頬。

喜助は、淫らな誘いにすこしも靡かず、唇より過去の物語を囁く。
無数にある物語。
駕籠、或いは人力車で駆けぬけた、豊饒な森、畝る山道、海辺の潮騒、灯ともる、もしくは焰の盛る街。そこで生れくるものたち、死へと去るものたち……
自分だって代替りをしているだろうに、まるでその身で総て感じてきた風に。

……いや、違う。喜助はずっと、喜助なのだ。

何の因果か今は私などの為、ハンドル或いは柄を握る、もしかすると、直に私を抱える、その腕。星の流れる長閑な、荒れ狂う街を駆けゆく、芳しい肉体。

しかしそれは、目前の私とも生きる世をきっと遠く分かつ、きっともう人間ではない、何か。

子守唄の最後を、唄い終えた母親の行方を知らないように、いつしか喜助の姿は消えており。自宅マンション前に独り立つ。

私はどうでも良い男に抱かれに帰る。





©2022TSURUOMUKAWA


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