カナヅチ猫
僕の日記と雑記です。 タイトルの由来は、The Doorsの曲から。
とりとめもなく書いたお話とショートショートです。ほとんどが、一話完結のお話たちです。 【♯通り過ぎていく女たち】は基本的に1話完結ですが、何かのシリーズです。
連載小説『手のひらの 唇の脇の 手の甲の』をまとめています。(全11話)
アンダースローについて考察してみるシリーズです。超不定期更新。思いついたときに書きます。
時々書いてる詩をまとめときます
はい。こんにちは。 じいちゃん(87歳)が入院しました。膵臓がんのステージ2らしいです。 平日の夜、食後の時間に父からの入電があり、伝えられました。目的は入院手続きの書類の保証人欄へのサインのためです。電話口での父の声は淡々としていました。僕も淡々としていました。 三代に渡る父子のやりとりに感慨などありません。祖父も父も口数が多い方ではないので尚更です。まあ、僕だけ突然変異のように馬鹿みたいによく喋るので、代々伝わる遺伝子についてはよく分かっていませんが。 膵臓
三畳ほどの床面積、それでいて二階建ての、たったそれだけのサイズの建物が存在する。中国山地のドがつくほどの田舎の田畑の中、周囲の景色とは不釣合いに建っている「城」である。たった三畳たった二階建てであろうが、日本人であればおそらく全員が「城」と呼ぶだろう。小さくとも城は城なのだ。 近隣の住民(と言っても数えるほどしかいないのだが──)からは『猫城』と呼ばれ、立派そうに見える天守閣の屋根の端には、金の猫鉾(?)が田畑にケツを向けて鎮座している。元来、鯱鉾は守神の一種として天守に
はい。こんにちは。 ときどき本を読んで生きています。 ここのところ僕が思う事には特に意味がないし──いや、僕のこれまでにも特に意味はありません。つまり、僕が思う事の殆どに意味なんてあるわけがないし、あるいは思ったことを文章化することで思考が整理されることもありません。 更には、小説を書いていると落ち着く、みたいなことはまるでなくて、プロの手が入った小説を読んでいるときにワクワクすれば僕は楽しくて、それでよいのです。だから、わざわざ僕が何かを書く必要性は特に感じてい
はい。こんちは。 ガチおじさんになってきました。それでは色々と放棄しておじさん短歌タイムです。 雑草に魂があろうが無かろうが芝生も牛の餌になれる 夜が来ても月曜が来ても細胞は毛を生やしたり毛を生やさなかったり 喝采を受けていたのはあの頃で爺になれぬとまた喝采は来ぬ 芋を洗い皮を剥いたら食になり芽を生やすかどうかは他人ごと 山際に生え際を添えミルフィーユ死に際に見るは天か地か己 以上です。解説は特にありません。夏が来るのが嫌なので。 おしまい。またね。
はい。こんにちは。 先日の文学フリマ広島にて買った本たちについて、読書感想文を書くことにしました。「買ったよ!」の報告の更に本気バージョンということです。 X(ついったー!)で書いてもいいのですが、僕にはあまりにも文字数が少なすぎるのでnoteの記事にて書くこととします。 もしかすると失礼な物言いをしてしまうかもしれませんので、作者様におかれましてはご了承の上でお読みいただければと存じます。そして、あくまでただのオジサンの読書感想文までと捉えていただきたい次第です。
はい。こんにちは。 朔日、2月25日は文学フリマ広島に出店してきました。皐月まうさんと共同にて出店し、それぞれ4冊ずつ、計8冊の本を並べました。 前回の出店はきらさぎみやびさんにおんぶに抱っこでの出店だったので、今回は僕がおんぶする側に立とうと思ったのですが、針に刺されそうなのでおんぶするのは止めました。 はい。そんなわけで、二年前に出店し、昨年度は体調不良につき参加を断念していたので、今年こそは──ということで変な気合で四冊も本を作ってしまいました。前回の経験か
はい。こんにちは。 文フリ広島用に短い小説を書きました。『猫城』というタイトルです。一万字程度の軽めのものだし、猫を題材にした掌編集の一編ということで、遊びながら書けました。 「あんたあ、そこの城跡の城主じゃけえな」と、父からの一言を元に創った小説です。実家に帰省していた際に浴びた不意の一言でしたが、僕にとっては一万字の解釈になったわけです。 田舎の城跡の城主であることに意義はありません。ただの草地の、ただの小高い丘ですし、石垣も堀の跡もありません。もちろんですが、
はい。こんにちは。とりあえず短歌をば。 先月の最高気温は何度かと 頬を梳く秋風に聴くも応えなく 窓を開け放っていると、猫が目を瞑ってずーっと横たわっているような夜が来ました。伏せて顎と頬をソファに乗せて、かわいいラッパの耳をパラボラアンテナの如く拡げたままで、秋の虫に混じる車やバイクの音を聞いているようです。 外に人気があると寝ぼけ眼で顔を上げ、しばらくして飽きると、そのままの体勢で目を閉じて、顎の自重に負けてまたソファに頬を付けます。 そんな猫の話をずーっ
はい。こんにちは。 映像が浮かばなくなりました。頭の中に見えていた映像が途切れ途切れになり、次のシーンへと続かないのです。 僕は小説を書いているときに、頭の中の映像を書いていることが多いのだけれど。ここに少し厄介といえば厄介なことがあって、僕は一人称視点で小説の登場人物が見た映像を見ているのです。 注釈が一つ。先に書いた「登場人物が見た映像」というのは、正しく「登場人物」の話であって「主人公」ではないということ。あくまで、小説の登場人物のそのほとんどを指しているわけ
結論から言えば、佐知子も僕もどちらも家を出なかった。別れ話の切れ目を不用意に作ったのは僕だ。にも関わらず、別れ話の再開の仕方が分からなくなったのだ。僕はあの夜、佐知子と意図的に口を利かなかった。 帰りしなに駅中の弁当屋に寄って「どれにする?」と僕は聞いた。別れ話の切れ目から最初の一言だった。すると、佐知子は指差しだけで応えた。確かに指差しのみで成立するやりとりなのは否定しない。しかし用件はただの用件でしあって、何もそんな不遜な態度をとらなくてもいいのに、といやに腹が立って
『ボヤニアイスクリーム』 風呂から出ると、テレビの中で男女が別れ話をしていた。ほんの十数分前には見つめ合ったり抱き合ったりしていた男女が、「あの時の言葉はなんだったの!」などとダイニングテーブルを挟んで罵り合っている。女性が手近にある小物を掴み男性の足もとに投げつけたが、画面上を通り過ぎる残影だけでは何が投げつけられたのか判別できなかった。 僕の十数分間と、架空の関係性の男女の幾分かの期間。映画でもドラマでもアダルトビデオの前半の小芝居でも、媒体が何であろうが追体験とし
はい。こんにちは。春の風が吹いています。 夏の風は嵐の中から、秋の風は僕のつむじに当たり、冬の風は無風状態と言っていいほどの軟弱さでした。 それでも季節は廻り、また春の風が吹いています。 水に溶けてしまった春の風は、薄い薄いラーメンの出汁のように僕の胃に吸収されていくのでしょう。煮干しなのか豚なのか、はたまた牛骨か。いずれにしても、僕の胃は出汁を吸収するために必死に動くのです。時計の針の音は思春期から大学生になるまでは嫌いだったけれど、働き始めたころには耳につかなく
ラーメン屋の行列は何人を超えてから行列と呼ぶのだろう。店舗前に用意された四つの椅子は埋まり、さらに僕の前に一人の待ち客が立っている。ちなみに偶然にも僕を含めて皆スーツ姿だ。服装が一致しているかはさておき、人間が二人立って並んでいるのだから、列と呼んで差し支えない気がする。 しかしながら、三つの椅子の上に座しているのは白・黒・茶の三匹の猫であって、ラーメンを待つ客ではない。首輪をしていないのでおそらく野良だ。短い軒には冷たい風に混じって春の日差しが降る。猫たちには恰好の日向
「さようなら」ではない「サヨナラ」である。 続きが存在しない、反撃が許されない――それが「サヨナラ」である。この文章は「サヨナラ男」が、ただただ「サヨナラ」をされ続け、いつまでたっても「サヨナラ」の味を舐め続けるだけの文章である。 「サヨナラ男」(小学生編) 小学校6年初旬、地域の野球クラブに所属した僕は2月生まれで、同学年で同じスポーツをする友達と比べて体格差があった。このことに気づくのは中学に入ってからのことだった。 小学6年生の僕は足が速いと思っていた。遠くにボー
あけましておめでとうございます。 生存していて年男なので、書き初めをしました。自分の名前を書き初めの題材にするなんて、書き初めの意味とはなんぞや……と少し考えましたが、よく分からないのでやめました。 今年もよろしくお願いします。
※一部にお下品な話題が登場します。 ご了承いただける方のみお読みください。 はい。こんにちは。 秋が深まり山は赤や黄色に染まり、先日の月食では月が赤く染まりました。 長袖の部屋着の手首を冷たく震わせる夜風を感じながら、僕は赤い月を見ました。スマートフォンのカメラ越しに何度かと、肉眼で──いや、眼鏡越しに何度か月を見ました。 赤い月を見た僕にはツキは無いようで、冷えた空気に尿意を感じ、トイレで赤い尿を排出しました。赤い尿を……赤い!?!? 尿が赤かったのです。