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〈雑記〉猫城を築城しました

 はい。こんにちは。
 文フリ広島用に短い小説を書きました。『猫城』というタイトルです。一万字程度の軽めのものだし、猫を題材にした掌編集の一編ということで、遊びながら書けました。

「あんたあ、そこの城跡の城主じゃけえな」と、父からの一言を元に創った小説です。実家に帰省していた際に浴びた不意の一言でしたが、僕にとっては一万字の解釈になったわけです。

 田舎の城跡の城主であることに意義はありません。ただの草地の、ただの小高い丘ですし、石垣も堀の跡もありません。もちろんですが、土地の値段なんて雀の涙でしょう。まあしかし、相続したあとの固定資産税はそれはそれで怖いのですが──。
 ということで、意義はないですが、どうせ将来的に税金を支払うことになるならと、未来の資産を有効活用したということにしましょう。

 ついでに、『猫城』の本文をちょこっとだけ先行公開しておきます。

「猫城は一つしかないのですか?」
「何を言ようるんね。城自体は三つあったらしいけどのう、猫城なんてものは一つしか成らんのじゃ」
 老婆は断じた。
「なぜですか? この地区では猫を神と崇めてるとか、そういう言い伝えがあるのかと思ってたんですけど」
「そんなわけ無かろう。神様は神社で祀ってあるわけじゃし、それでええんよ。まあ、猫は野良がようけえ(=たくさん)おったけどのう、この辺では特別祀るようなこたあないわ」
 猫=神であるという予想が外れ、私は想定していた質問を全て失した。神社は神社として管理されている一方で、神社から階段二十段ほど登った城跡には草木が生い茂り管理されている様子はなかったのだ。先に神社を訪れていたので、私はこの目で確認していたはずだったが、自分の説に都合の悪い事実を受け入れられず、無意識下に事実として認識できていなかったのだろう。一つ目の城跡は神社のそばのただの丘だった。私が回想していると、老婆が続けた。
「へじゃけどの、神社んとこはあれは鼠城言うて呼んどったのう。猫と鼠じゃ言うたら関係があるような気がせんでもないが、私等の頃にはそりゃもう城が残っとる時代じゃなかったけえね。鼠城いうのもなんでか分からんかったし、特に言い伝えのようなもんも無かったんよねえ」
「え? ねずみ?」
「ほうよ。小さい頃はね、〈チュウジョウ〉て言ようてな。私は中くらいのチュウでチュウジョウかと思よったんじゃがな」
「ねずみの〈チュウ〉だったってことですか?」
「んむ。へじゃけどな、いつだったか知らん、園田さんとこの死んだじいさんに教えてもろうたんよ」
 城には通称が存在したのだ。ネットには載っていない情報に、現地に足を運んだ甲斐があったと私は胸の内で歓喜した。尻に付けた尾がぴくりと動かせるような気さえした。
 礼を言い頭を下げると、老婆は私の尾に気づいたようで「なんじゃあ、その妙な尻尾は。動かせるんか?」と聞かれた。もちろん、作り物の尾に神経が通っているはずはないので、私は「そんなずないじゃないですかー、あはは」と心の尾を振りその場を去った。

『猫城』(カナヅチ猫)より

 して、『猫城』は以下の本(『猫編びょうへん小説』)に収録しております。

『猫編小説』カナヅチ猫

 そしてそして、文学フリマ広島にて並べる予定ですので、ご来場予定の方はよろしくどうぞお願いします。

 更にしつこく書きますが、通販でのご購入でもおっけーですので、猫好きの方はご検討のほどよろしくお願いいたします。

 宣伝が長い。
 僕は宣伝というのがどうにも好きではないようです。これは宣伝を見るのもするのも、いずれにしても好きではないということみたいです。書いていて「長いし邪魔くせえなあ!」と思いました。

 というか、まあ、誰も見てないし。と思ってしまうのが本当のところです。
 noteにしろnoteじゃないにしろ、インターネット上で特に主張するようなことが僕には無いです。勝手にしろと思ってますし、勝手にしているので、なんというかその、ネットワーク上に公開する事が本当に無意味に思えて仕方がないんです。

 だって、インターネットって何ですか?
 どこからどこまでがインターネットですか。そのサイズを正確に知り、細部の形まで説明できて、インターネットの果て(有限なので必ず果ては存在している)に辿り着ける人はいますか?
 インターネット上への公開は一見して不特定多数へのバラマキのように感じる時もありますが、これは正確じゃなくて。
 不特定多数の人からアクセスが可能なだけであって、別にバラまいてはないですよね。インターネットの極々局所的なデータが新しく造られたり書き換えられたりしているだけで、本当にバラまいてはいない。
 一方で、本当にバラマキのようなインターネット上の広告は好きではありません。あれはあれで本当に邪魔くさいなあ、と僕は思うから。街を散歩してて出会う蜜蜂には興味を持てるかもしれませんが、宇宙遊泳をしているときは命綱と空気が欲しいです、僕は。

 すなわち、インターネットってまだ街ではないですよね。なんだか、インターネット上の特定の界隈が街に例えられる場合があることは承知してますけど。実際に人間が街と認識するにはまだ早い気がします。
 非常にボヤッとしていて、形が無い──。いや、固定された形が定まらなかったり全容から細部までを全て把握することがほぼ非現実的なのは、インターネットも街も同じなんですけども。インターネットというのはあまりにも僕らにとっては形が、実態がなさ過ぎるのではないかと僕は思うんです。
 あるいは、インターネットの本当の形が知りたければ、日本のどこかにあるデーターセンターのサーバーに触れたり、あなたの見ているその端末自体も形の一つと言えるでしょう。
 で、それはインターネットですか? 四角い──あるいは、とても機械的で、あなたの知識だけでは説明しきれない配線や電波は。そこに埋め込まれたロジックは。それはインターネットですか?

 ならば、数学ってなんですか? 小説って何ですか? という反問もあるでしょう。しかし、僕はなぜだかインターネットと数学や小説を同一視できません。
 数学や小説に触れるということと、インターネット上のデータを閲覧することは異なるという解釈なんです。誰かのライブ配信でも、革新的な動画でも、noteの文章でも、インターネット上にあるとどうしてもどこかにボヤッとした感覚を受けてしまいます。
 まあ、これは僕だけが感じることであるのかもしれないし、単に僕がボヤッとしているだけかもしれませんね。

 はい。こういった思慮の浅い文章を、特定の分野で書くとまずいことにもなる場合もあるわけで。炎上とか、そういうやつですよね。
 あれは何を燃やしたいんでしょうか。何が燃えているのでしょうか。手のひらが、頭の中が、全身が熱くなるのでしょうか。知りませんけども。

 とにかく僕は僕自身が宣伝に費やしたデータ達に苛立ちを覚え、更にボヤッとしたボヤキを書きたくなったので、書いて、それで満足しました。


 つまり、これが僕のインターネッツということですね。

 おしまい。またね。


僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。