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『猫城』

 三畳ほどの床面積、それでいて二階建ての、たったそれだけのサイズの建物が存在する。中国山地のドがつくほどの田舎の田畑の中、周囲の景色とは不釣合いに建っている「城」である。たった三畳たった二階建てであろうが、日本人であればおそらく全員が「城」と呼ぶだろう。小さくとも城は城なのだ。
 近隣の住民(と言っても数えるほどしかいないのだが──)からは『猫城』と呼ばれ、立派そうに見える天守閣の屋根の端には、金の猫鉾(?)が田畑にケツを向けて鎮座している。元来、鯱鉾は守神の一種として天守に設置されていたと聞くが、猫鉾はといえばどうだろう。金に装飾されてはいるものの近くで見ればペンキ塗りだと素人でも判別がつく。風化した猫鉾はところどころ金色が禿げ、傍から見れば猫がだらしなくケツの穴を田舎の空気で乾かしている様子にしか見えない。
 猫城の存在意義の考察。
 こじんまり──と言えないほど小さな猫城だが、存在意義くらいあって然るべきだろう。スマートフォンで地図情報や地区に関する記述を検索すると、猫城のある集落には古くは三つの城が建っていたらしい。それらの三つとも現在は「城跡」として情報が記載されている。一つは集落の神社の側に、二つ目は周辺を見渡せる山の上に、三つ目はだだっ広い田畑の中に盛土のように積まれた小高い丘の上である──そう、読者の推測のとおり──猫城は本物の城跡の一つである小高い丘に建立されているのだ。しかし、インターネット上には「猫城」の文字は一つもない。比較的新しい建物なのか、あるいは誰も気に留めていないのか。いや、猫城を気に留め、その情報をインターネットに投稿するような人はそもそもいないのかもしれない。

 ネットの情報だけでは埒が明かないので、近隣の住民に猫城について聞いてみることにした。
──以降に記述するインタビューを終えるのに私は丸三日間を要した。猫城の集落は如何せん田舎過ぎるのだ。日中歩き回っても人に会わず、家々の距離も遠い。また、通り過ぎる車は目的地を目指してただ走り去るだけで、見慣れた風景には興味がないらしい。私のような三十路女が田舎道を一人で歩いていれば、誰かの目に留まりそうなところであるのだが。猫耳に猫しっぽ(黒くて毛並みがいいやつ)を付けているのが効いたのか、車を停めて私を呼び止める不審者はいなかった。故に、インタビュー相手を一人見つけるのに丸一日を要してしまったのだ。
 閑話休題──。して、最初の情報は神社の城跡についてである。
「猫城は一つしかないのですか?」
「何を言ようるんね。城自体は三つあったらしいけどのう、猫城なんてものは一つしか成らんのじゃ」
 老婆は断じた。
「なぜですか? この地区では猫を神と崇めてるとか、そういう言い伝えがあるのかと思ってたんですけど」
「そんなわけ無かろう。神様は神社で祀ってあるわけじゃし、それでええんよ。まあ、猫は野良がようけえ(=たくさん)おったけどのう、この辺では特別祀るようなこたあないわ」
 猫=神であるという予想が外れ、私は想定していた質問を全て失した。神社は神社として管理されている一方で、神社から階段二十段ほど登った城跡には草木が生い茂り管理されている様子はなかったのだ。先に神社を訪れていたので、私はこの目で確認していたはずだったが、自分の説に都合の悪い事実を受け入れられず、無意識下に事実として認識できていなかったのだろう。一つ目の城跡は神社のそばのただの丘だった。私が回想していると、老婆が続けた。
「へじゃけどの、神社んとこはあれは鼠城言うて呼んどったのう。猫と鼠じゃ言うたら関係があるような気がせんでもないが、私等の頃にはそりゃもう城が残っとる時代じゃなかったけえね。鼠城いうて呼ぶのもなんでか分からんかったし、特に言い伝えのようなもんも無かったんよねえ」
「え? ねずみ?」
「ほうよ。小さい頃はのう、〈チュウジョウ〉て言ようてな。私は中くらいのチュウでチュウジョウかと思よったんじゃがな」
「ねずみの〈チュウ〉だったってことですか?」
「んむ。へじゃけどな、いつだったか知らん、園田さんとこの死んだじいさんに教えてもろうたんよ」
 城には通称が存在したのだ。ネットには載っていない情報に、現地に足を運んだ甲斐があったと私は胸の内で歓喜した。尻に付けた尾がぴくりと動かせるような気さえした。
 礼を言い頭を下げると、老婆は私の尾に気づいたようで「なんじゃあ、その妙な尻尾は。動かせるんか?」と聞かれた。もちろん、作り物の尾に神経が通っているはずはないので、私は「そんなずないじゃないですかー、あはは」と心の尾を振りその場を去った。

 田舎町に二軒ほどしかない宿はいずれもトラベルサイトに掲載されていたが、平日は空室一色のカレンダーであった。多少奮発しても金額は知れていたので、二番目に高い部屋をとった。〈そのだ〉の暖簾を肘で押し、玄関を開く。私は心を躍らせていた。
 薄暗いオレンジ色の光がフロントを照らし、奥から私より年上と見て取れる女性が現れ、チェックインを済ませる。その手際は、一般化された宿泊客に対するものでなく、まるで実家に帰ってきた娘に対するような親密さを含んだ所作であった。見とれる私の背後では薪ストーブがパチパチと音を立て、身体を包み込むように暖めてくれている。弾んでいた心が鎮まっていき、何となくだが宿泊客は私以外にいないと分かる。
「それでは鳥山様。お二泊、ごゆっくりおくつろぎください」
 受け取ったキーに付いたプラスチックホルダーの落ちた角を撫でながら、私は我慢できずに問うた。
「あ、あの。そのださんってこの町で代々続く旅館なんですか」
「ええ。創業百二十年になります。家業として代々受け継いでおり、私で四代目になります」
「それなら、この町のことよくご存知なんですよね? 教えて欲しいんです。町の外れの集落に城跡が三つあるのをご存知ですか」
「ええ。父から幾分か聴いたことはあります。ただ、伝え聞いた話なので不確かなお答えになるかも知れませんが、分かることならお答えしますよ」
 矢継ぎ早に質問したかったが、一つずつ確認していった。女将さん──園田さんの父が〈死んだ園田のじいさん〉と一致するのか。猫城の存在を知っているか。城跡の一つは鼠城と呼ばれていたか。特に嫌がる事もなく私の期待したとおりの答えを返し終えた園田さんは続けた。
「先ほど私で四代目と申し上げましたが、実は旅館創業前の園田家はこの町の大地主だったそうです。その事との因果関係はよく分からないのですが、園田家は城主の末裔であったと聞いています」
「え?」
「あ、すみません。お客様のご期待とは違います。山の上の城の城主です。家には代々和紙に書かれた家系図が残っていて、城の場所も記してあったんです。集落の地名が、昔の呼び方と一致してるので確かな話だとは思います」
 いつの間にか握りしめていたキーの。部屋番号〈二○二〉の刻印がザラザラと私の指先を騒がせる。
「でも、山の上の城跡には何もありませんでした。お昼に見に行ったんですけど、周りに石垣が組まれていた気配すらなくて。ただ、遠目から見ると頂上付近に太い木は無かったので、昔は拓けていたんだろうな、くらいの。でも雑草の背が高かったので近づけませんでした」
「申し訳ございません。相続した土地にも含まれていなくて、園田家がいつどこに譲ったかも私には分からないのです」
「あっ、いえ、大丈夫です。大丈夫です」
 園田さんの謝罪を受け、これ以上の質問は流石に不躾過ぎると我に返る。折角の親密なおもてなしに、私はなんてことをしてしまったのか。せめてお礼だけはと、深々と頭を下げた。顔を上げると園田さんは口元に手を当て小刻みに揺れていた。
「ふふ。あのう、その耳と尻尾は──」
「あ、これは、その、気にしないでください! 作り物なんで」
「ふふふ。かわいいお客様にもう一つお伝えしてよろしいでしょうか」
「えっ」
 自分の驚嘆の理由が不明なまま、私は園田さんに話の続きを求めた。
「山の上の城ですが、昔はオロチ城という名称だったそうです。その証拠──とは言えないかもしれませんが、家系図の一番最初、園田家は園田蛇太郎から始まっています」
「オロチ──へび、ですか」
「はい。蛇です」
「猫城と関係あるのかな」
「それは分かりませんが、オロチ城は通称〈ダイジョウ〉と呼ばれていたそうです。これは父ではなく祖父から聞いたのですが、漢字で書いた〈大蛇城〉を略したのかどうかは分かりませんが、〈ダイジョウ〉と皆が呼んでいたと」
「大蛇。ダイ、チュウ──」
 私はぴくぴくと尻尾を跳ねさせるような心持ちで、蛇城と鼠城と猫城の関係について考えた。流れから猫城の通称は〈ショウジョウ〉ではないかと推測できる。しかし、猫はどう読んでも〈ショウ〉とはならない。では猫に付属する可能性のある他の漢字なら──子猫、家猫、捨て猫、泥棒猫──いくら考えても答えに辿り着けず、夕食に山菜入りの田舎蕎麦を食べても、猫耳を外して単純アルカリ泉に浸かっても、私に城の通称の謎は解けなかった。

 翌朝、園田さんに再び礼を言い、幾分かの言葉を交わしたが新たな情報は無い。とはいえ、丸二日間あてもなく町を歩く意義はなかろうと町役場を訪ねてみた。建物は古く、壁紙だけ最近張替えられたと見られる。無難なクリーム色の壁には〈まちおこし〉を訴えかけるポスターが三種も作られ、歩みを進めると否応なく視界に入ってきた。そんな町役場で、猫城建立の理由を知る人が一人もいなかったのは残念としか言いようがない。
 昼食にと観光案内所らしき施設に立ち寄る。食堂の隅、パイプ椅子にジジイが我が物顔で座り続けていた。おそらく施設の職員ではない。して、観光案内所の常連客とはなんぞや、と思いながら、ジジイが絶えず煙草をふかすので「このクソジジイ」という言葉をうどんと一緒に啜った。
 昨日、町に到着してすぐのことを思う。私は猫城を一度見に行ったのだ。外観は先述のとおりだったが、猫城に続く小路は最近草刈りがされた痕跡があった。短く背の揃った雑草を見て、まるで私の訪問に合わせて草刈りが行われたかのような勝手な思い込みが働く。もちろん思い込みであることは自覚していたが、私有地であることの強い主張に思えて猫城には近づけなかったのだ。
 しかししかし、いざ再び猫城へ。半日と少しを無駄にしてしまったため、なんとしても新しい情報をとりたいところである。

 晴れた空には鳥の鳴き声が響いていた。四方八方を山に囲まれているため、やまびこしている山は特定できない。頭に付けた猫耳を澄ませ田舎道を行く。
 猫城の丘から道を挟んだ所に一軒家がある。昨日訪れた時は不在だったが、今日は主屋二階のカーテンが開いているようだ。立派な塀こそ無いが、所有地であろう田畑と手入れされた庭に囲まれ敷地面積は広大だ。灰色に塗られた煙突が屋根から一本長く突き出ているのがよく目立つ。
 念のためにとチャイムを押してみることにする。反応はない。しばらく待ってみたが鳥の囀りが相変わらず響くばかりで、農道を三台車が通ったところで私は待つことをやめた。
 しかしながら、待つのをやめて行動したところで午後の収穫はなかった。再度三つの城跡を行き来し、数少ない近所の住人に声をかけたが、追加の情報は全くもって得られないのだ。過去の城の存在が忘れた集落であることを再認識する度に、この集落自体がいずれ忘れられることへの現実味が強くなる。
 夕暮れの道、猫城を右手に宿に向かう。頭に付けた猫耳は幾分か角度を落としているだろう。
「のーん。のおおーん」
 私の両耳は機能しているらしい。猫が誰かを呼んでいる。強い母音のOが入った鳴き声は要求を表すのだ。
「のん。のおーん」
 頭に付けた猫耳をアンテナ代わりに使えれば、要求を続ける猫の居場所を突き止めることくらい私には容易いだろう。猫城──ではない、猫城から道を挟んだ煙突の家屋から猫の鳴き声が聞こえているのだ。夕刻となればご飯の催促だろうか、あるいは夕暮れ時に主の不在を再認識し呼んでいるのか。いずれにせよ、主に対する要求であることは推測できる。猫に長期記憶は無いと言われているが、条件から来る行動慣習のようなものは覚えているらしい。つまり、夕刻にご飯をもらっているか、主が帰宅するなどの習慣があるはずなのだ。
「のーおん、にゃおーん、のーーん」
 家屋の中の猫の鳴き声は付近にこだましない。遠吠えではなく、特定の人物に伝わればよいのだろう。道路の縁石に腰かけて私は母音のOを聞き続けた。
「にゃおん、のーん──のん」
 しかし、聞けども聞けども猫の要求を叶える主は現れない。先程のすんとした「のん」は猫が根負けした最後のひと鳴きだったらしい。暗くなってきたせいで、私の黒い猫耳と猫しっぽが闇に紛れ始めた。私も根負け──ではなく、猫耳と猫しっぽを付けていても、夜は寝る時間なのだ。いや、そもそも猫は夜行性ではない。猫も夜中はぐっすり眠るということを私は知っている。

 なんとなく園田さんに報告したくなり、夕食後に膳を下げにきた際に声をかけた。少し年は近すぎるけど、お母さんに話すみたいにして、ひとしきり今日の出来事を伝えた。
「あの集落はね、一昔前は今の三倍は人も家もあったんですけどね。人が出ていき、家は自然に返り、いつの間にか町のはずれになってしまいました」
「あ、たしかにありました。山の中で木とか竹とか草に囲まれて、家が溶けちゃってるみたいになってて。人が住んでないことは明らかなんですけど、なんというか、家と呼ぶことさえできなくなってるような廃屋が何軒か。元の持ち主からしたら不謹慎な言い方かもしれませんけど」
 部屋の敷居の向こう側で園田さんは正座し、背筋を伸ばして続ける。
「いえ、それで正しいんです。田舎が廃れることを悲しい悲しいと言うばかりではなく、その時のカタチそのものを直視しなければならない時はくるのですから」
「それは私も理解してるところがあります。私の家は田舎ではないんですけど、高校生の頃に、大きな道を通すための立ち退きがあって、もうなくなってしまいました。退廃であっても開発であっても、カタチを変えるものなんですね」
 園田さんにつられて、私の背筋も伸びていた。それを察してか、園田さんは私の言葉に丁寧な相槌を打つだけで、続く言葉を返さなかった。
「ところで鳥山さんはそもそもなぜ猫城を調べに?」
「あ、それ聞いちゃいます? 隠すわけでも何でもないんですけど、私、特に城跡を巡って記事を書いてるんです。あ、記事って言ってもごく私的なもので、公開はしていますが新聞とか雑誌とか、ネットニュースとかじゃなくて、個人のサイトに載せてるだけなんですけどね」
「じゃあ、歴史に興味がおありで? もしかして大学で専攻されてたとかですか」
「いえ、そんな大したものじゃなくて。あっ、それと見ての通り猫が好きなので」
 私は頭の上の両耳をピクリと動かして見せた。
「あらま、それ動くのね」
「えへへ。実は紐で動かしてるだけですけどね。しかも手作りなんで、調子が悪いと変な形で止まっちゃうんです。園田さんだから、特別ですよ」
「うふふ、おもしろい人ね」
「そんな。私はただ好きなことをやってるだけですよ」
 得意げになって両耳を動かしていると、園田さんが「あらやだ、長居しちゃったわね。それではごゆっくり」と膳を引き上げていった。

 さて、昨日は待てども歩けども猫城の情報は得られなかったが、滞在日数には限りがあるのだ。ならば天気も良いし、気分を変えてワンピースを着て颯爽と行こう。と思い一度着てはみたものの、猫しっぽをうまくつけられなかったので止めておいた。荷物をまとめ、園田さんに頭を下げると「またいらしてください」と深々と頭を下げ返された。
 最終日のプランもそこそこに猫城に着いてしまった。丘の上に鎮座する猫城の猫鉾を眺めながら、更に待つべきか更に歩くべきか──などと思案する間もなく、訪れるものは訪れるらしい。
「あの。貴方一昨日からよく見かけますけど、どちら様?」
「ひぇ? あ、すみません。私、個人的な興味でこのあたりの城跡を調べてるんです」
 全身黒の作業着の男性。年は私より少し上に見える。
「ああ。猫城ですか?」
「そう! 猫城なんです!」
「なに興奮してるんですか。あなた独身でしょ」
 なんと失礼な! 確かに私は結婚指輪もしてないし、本当に独身ではあるにしても初見でこの発言とは相当にひどい男である。頭の上がイカ耳になってしまいそうだ。しっぽも伏せて、股の間に隠してしまいたい。
「興奮ではなくて怒ってるんです!」
「あ。ごめんごめん。まあいいや。とりあえず僕についてくるといい」
 男はすたすたと猫城に向かい、私は自分の興味と怒りを天秤にかける間もなくただ男の後を追った。猫城の一階は南京錠で施錠してあり、男は腰に提げた鍵束で当然のように解錠した。
 本当に三畳だった。畳が敷いてあり、毛布がいくつかと猫ちぐらが一つ。窓から入る陽光で暗くはない。見回して分かったが、外から見ると二階サイズの城の中は吹き抜けになっており、天井の梁は剥き出しのままだ。ただ、ロフトのようなものがあり、壁に沿うようにして人ひとりがギリギリ登れるかどうかの幅の階段が繋がっている。私でもなんとか登ることができそうだ。
「で、これを見てどうする?」
 どうってことはない。私はただ記事にまとめるだけだ。
「写真撮っていいですか?」
「どうぞ、お好きに」
 城の入りたてから梁剥き出しの天井まで、初めて城の中を見たときの目線を再現しながら一周り撮影する。そして、各部の接写も残しておく。そうすれば後で木造の構造を想像できるからだ。が、しかし猫城はいやに剥き出しの釘の頭が多い。
「あの、もしかして猫城ってあなたの手造りなんですか?」
「そう。僕は猫田だ」
「いえ、名前は聞いてなくてですね、猫田さん。私は猫城の成り立ちを聞いてるんです」
「失礼なひとだな。僕は城主です、猫城の」
「失礼なのはお前だ」と返せば私はこの三日間を失う。それに、全く会話が噛み合っていないわけではなく、的確に少し先の返答をされているようで妙に鼻につく。私は一旦落ち着こうと、「外観も撮っていいですか」と許可をとり一度猫城から出た。
「君、どこかの城主?」
「は? え? なんで?」
「図星か」
「そうですけど?」
「どこの街にあった?」
「なんで無くなってる前提なんですか。まあ確かに私の城はもうありません。鼠城や大蛇城と同じ城跡──いえ、それ以下です。バイパスの高架の下敷きになってしまって、マップにも一切出てきません」
 猫田は表情を全く変えない。そればかりか、よく見るとほくそ笑んでいるのではないか、というくらい自然な真顔で聞いていた。
「なら、そこはもう貴方の城じゃないね。とりあえず、道を渡ろう」
「だから、なんでさっきから先をゆくんですか」
「ん? 特に。とりあえずおいでよ」
 こういう男が世の女の子達を攫っていくのだろう。誘い文句を言った際の目つきには獣臭が全くなく、むしろ初めて見せられた下がった眉に親密さを感じるほどだ。ただ、知らない男においそれとついていくほど私は子供じゃない。猫田の背中に正直な言葉を返す。
「失礼ですけど! あなた失礼ですよ。確かに私は独身ですし、もう城主でもなんでもありません。でも、だからと言って私があなたに付いていく理由にはなりません」
 猫田は向き直る。
「確かに。貴方が妙齢の女性で、さらに猫耳と猫しっぽを恥ずかしげもなく付けて歩いているからと言って、僕があなたを誘っていい理由にはならない。田舎でそんな格好をしている女性がいたら、逆に誰も誘わないだろう。でも、貴方は僕に付いてくるしかないじゃないか。選択肢が無いんだよ。僕は猫田鳶佐(とびすけ)という名前なんだ」
「わかりました。猫田さんのお家に行くんでしょう? ならば条件があります。猫城の成り立ちを一時間以内で、また鼠城と大蛇城との関係についても知っている限りを教えてください。そして、玄関までしか入りませんから」
 説得されたわけではない。猫城の城主が支離滅裂ならば、私は理路整然と立ち向かうしかないのだ。

 猫田は煙突のある家の主人だった。
 玄関のドアを引くやいなや、二匹の猫が出迎えた。一匹は大柄で全身がグレー、もう一匹は小さめだが胴長で焦げ茶色をしている。「のん、にやあー。にあ」と母音Aの鳴き声で挨拶すると、上糸と下糸のようにクロスしながら猫田の足元に尻を寄せては離れを繰り返す。
──以後、猫田鳶佐の長話である。先に申し伝えておくが、私が提示した条件は守られた。私は玄関の上がりたてに腰掛け、猫田の二足の靴と二匹の猫たちを眺めながら話を聞いた。古い日本家屋で玄関は広く、猫たちは退屈していないようだった。猫田鳶佐が淹れたコーヒーはこの町のお土産品らしい。ドリップコーヒーらしいオーソドックスな味わいと、どこか古めかしい空気の香りがした。

「もう十年前のことになるけれど、僕は『婚姻関係終了届』を提出した。いわゆる死後離婚なんて呼ばれる制度のことだ。これは妻の死後三ヶ月以内ならば、夫──つまり僕の意志だけで提出し受理される。
 婚姻関係終了届を提出すると何が起きるか。僕と元妻の両親──つまり義理の両親との姻族関係が解消される。姻族関係が解消されると扶養の義務が無くなるんだ。だから、義理の両親は自分達のお金で生きなければならない。元妻が死んだ当時、義理の母は生きていた。そこに僕は婚姻関係終了届を提出して関係を絶った。
 ただ、僕の場合は少し事情が違って、義理の母からの申し出によるものが発端で、僕はそれに同意して婚姻関係終了届けを提出したんだ。これには理由がある。
 貴方も両親から言われたことがあるんじゃないか? 〈あんたは城主だからね〉と。

 僕の元妻は本来なら城主の座を継ぐはずだった。で、僕は猫田家に婿入りした。これが僕の事情だ。
 元妻──爪子(そうこ)は鳥が好きだった。
 結婚したての頃、そこらの田んぼの畦道の迷路を辿って散歩なんかしてると、〈ねえ、見てみて! チュンがいる!〉とか、〈あれはハクセキレイさんだね。ちゅぱぱぱぱって走るから、すぐに分かるようになるよ〉とか、鳥を見つけては目を輝かせていた。どこで買ってきたのかクチバシがプリントしてあるマスクをして機嫌良くしている日があったかと思えば、しまいには背中に翼の刺青を入れたいだのと言い出して、タトゥーシールで我慢しておくべきだと必死で諭したくらいだ。──そんな人が猫城の城主だなんて、わけが分からないだろう?
 で、僕は義母に言われたんだよ。〈あんたは城主だからね〉と。鳩が豆鉄砲を食らったような顔で僕はそれを聞いたけど、爪子は拾った鴉の羽を洗って乾かすことに夢中で、ただ一言「いいんじゃない」と言った。
 爪子の父は結婚当時既に亡くなっていて、義母が城主だったわけなんだけど、〈ここは田舎で土地には大した価値も無いし贈与税もかからないから、猫田家の土地すべての名義を鳶佐さんに渡す。もう施設で誰にも迷惑を掛けずに暮らしたいから〉と。それだけ言い残して義母はたった二週間で全てを準備した。ここより更に山深い場所の廃校を買い取って、義母はヘルパーを雇って暮らしている。まあ、先にいったとおり今も健在で、爪子が亡くなった時は杖もつかずに葬儀に来ていたよ。

 爪子は鳥に埋もれて死んだ。
 生前に常々言っていたとおりになったんだ。
 一つ聞くけど、貴方は猫に埋もれて死にたいんじゃないか? もう八年前のことになるから、僕自身踏ん切りはついているつもりだけれど、爪子が鳥に埋もれた際の様子は詳しく言わないでおく。ただ、好きな何かに埋もれて死ぬってのは、側から見る人間からすると理解が難しくて、見栄えだけで言うとそんなにいいもんじゃない。まあ、死ぬってことはそもそも見栄えとは切り離して考えるべきものかもしれないけれど。
 ただ、死ぬことは物理的にも概念的にも人間ではなくなるということで、見栄えみたいなところの、その境目の区切り線が徐々に溶けてしまうということらしい。〈爪子は鳥に埋もれて死んだ〉その瞬間までが事実として固定されたことなんだ。
 それから三年かけて、何も無かった丘の城跡に僕は猫城を手作りで建てて、そして猫と暮らした。猫城の城主としてね」
 一通り話し終えると猫田は腰を上げ、二匹分のおやつを手に玄関に戻ってきた。
「手のひらにおくと、誰の手からでもこいつらは食うよ」
「おやつのあげ方くらいわかります」
 二匹の舌が私の手相をざらざらと舐める。私は猫田の話の中のどこに何の感慨が見出されたのか理解できず、二匹が揺らす本物の尻尾の先を観察していた。猫田の話と二匹の猫のおやつの時間に相関関係はない。
「以上が猫城の話だ」
「猫城は──城じゃないです。だって、ただの手作り猫ハウスでしょう」
「それは呼び方の問題だ」
 猫田は腰を下げ、二匹の尾の付け根を順に撫でてやっている。
「猫城はあと少しで完成する。裏口に猫用の出入り口をつける予定だ。そうしたら、常に鍵を開けておくつもりでいる」
「それこそ、よほど城とは呼べませんね」
「貴方はもう城主ではないのだから、どこぞの城がどうなろうと知ったことではないだろう」
 城を巡る争いはとうの昔に終わっている。誰が城主であろうが、何の動物が城のモチーフであろうが、誰も気にしていない。もちろん忘れている人間だっている。現の城主であれ元城主であれ、城に縁がない人間だって、皆同じように城の存在の不確かさすら認識していないだろう。ならば、私もその一人であって然るべきなのだろうか。
「猫田さんは、鍵の開かれた猫城があれば猫たちは生きていけると、そう言いたいのですか。雨風が凌げる場所があれば、主が死んでもこの子達は少なくとも数日は長く生きられる」
「どうだろう。おそらくだけど、僕はまだ死なないし。それに、猫城は小さすぎる。できるなら、同じような猫城を土地いっぱいに量産したいくらいだけど、生憎こいつらの飯代を稼ぐために僕は働かなければならないからね」
 二匹の猫は玄関隅の段ボールに入り、お互いの耳の付け根を舐め合っている。気持ちよさそうに目を閉じたり開いたりしているが、この猫たちは小さな猫城の存在をまだ知らないのだろう。もちろん、猫城が建てられることになった経緯も知りようがないのだ。
 二匹の猫たちは今はこの家の中だけの住人であり、私は猫城の城主ではない。
「私の家はここから三時間半ほどかかります。なので、そろそろお暇いたします。ありがとうございました」
「どういたしまして。ところで、鼠と大蛇と猫の関係を聞き忘れていないか」
「あっ」
 短く切りすぎた高音に二匹の猫が反応して顔を上げる。私は私が何に夢中だったのか忘れていたらしい。
「猫は鼠の敵で、大蛇は猫の敵だ。そして、鼠は大蛇の──別に敵じゃないよ。普通にしてたら鼠は大蛇に食われると思う。まあ、集団で立ち向かえば、あるいは勝てるかもしれないけれど」
 呆れながら私は撮影したそれぞれの城跡の画像を古い方から捲ってみた。なるほど、力関係──なんてものは城跡からは一切分からない。
 そして、最後に撮影した一枚が金の猫鉾の畑に向けたケツのドアップ写真であることに苦笑するしかなかった。「ブフォ」と吹き出した私の息に驚いて二匹の猫が小さく跳ねる。
「ごめんね、ありがとう」と二匹にも礼を言い、指先で濡れた鼻に触れる。
 立ち上がって歩き出した私を、猫田と二匹の猫は手も尾も振らずに庭から見送った。田舎の無人駅までの道のりは歩いて十分ほど。私は猫耳を壊さないように動かし、こだまする鳥の囀りの出どころを探しながら歩いた。

 高架の下に埋もれた鳥城の元城主は猫を愛している。

(おしまい)

僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。