小説「老婆」

   (1)

 今日も乞食はいた。

 私の通う中学校は、古い家々の立ち並ぶ、さびれた住宅街の一画にある。我が家もその区域にあって、登下校の道のりはそう長くはないものの、ちょっとした迷路のように何度も角を曲がる。そうして学校の正門に差し掛かる最後の角に、きまってその老婆がいた。彼女は校舎に向かい合う塀を背もたれに、地べたに薄いムシロを敷いてちょこなんと正座していた。つぎはぎだらけの衣服から、日焼けか薄汚れているだけか浅黒い肌がのぞいている。思わず目を背けてしまう。腿のうえで、物乞い用であるのかどうか、小銭の少し入った容器を大事そうに抱えている。

 老婆がいつごろから居座っていたかはおぼえていない。入学当初からすでにいたような気もするし、いなかった気もする。ともあれいつも乞食をしている老婆が、通学路の風景になって久しい。

 生徒たちは、もちろん私も含め、みなその老婆を黙殺していた。中学生相手に無心をしている彼女は、誰も内心ではあわれに思ったり、馬鹿にしていたことだろう。中には老婆に聞こえよがしに、友だちと会話しているふうを装って、ひやかしたり悪口をたたいたりする人もいた。が、乞食はいつも平然としている。

 時おり通りがかる、人のよさそうなサラリーマンや散歩中のおじいさんが、お金を恵んだりパンを渡しているのを見たことがある。せっかく食べ物をもらっても、その頭上の電線にたむろしているカラスに奪われてしまっていたけれど。抵抗する様子も見せず、けれどそのときばかりは、頭上のカラスを恨めしそうに見上げていた。くわぁくわぁと勝ち誇った声が聞こえた。ちょうど私は登校中、その場面に出くわしてしまって、しわだらけの喉を直視できなかった。

 校門前での物乞いは、傍目からでも難しそうだった。それでもなお老婆は、その場所に根を張っているみたいに居座り続けている。その忍耐を別の場所で生かせばいいのに。私は彼女の横をよぎるたびに思った。抱えている容器は透けていて、中の具合がよく見える。いつでも雀の涙だ。あるいは子ども相手ならとここを選んだのかもしれないがどこの中学生が、見ず知らずの人に好んでお金を渡すだろうか。まして薄汚い老婆。さっさと見切りをつけて、たとえば駅前とかに移ったほうがよほど稼げるだろう。そんなふうに思って、そんなことにさえ考え至らない彼女を、私もあわれんで、小馬鹿にしていた。

 私たちの授業中も、老婆は定位置にいる。私は窓側の席で、退屈な授業中、その生態を観察できた。たまに席を外すことがある。じきに返ってくる。近くに公園があるから、水を飲むか用を足すかしているのだろう。まれにお金を恵んでもらえるときには、ぺこぺこと相手がまごつくくらい頭を何べんも下げていた。その稼ぎで何かおいしいものでも食べるのだろうか。今度はカラスに奪われないよう、屋根のあるところを探すのだろうか。雨降りの日は、彼女はムシロを両手で張り伸ばして、頭上に掲げた。傘がわりなのだろうが、いかんせん道具が道具だから、雨粒はしたたって老婆を濡らした。顔中に褪せた髪の毛がまとわりついて、遠目から妖怪じみて見えた。着ているぼろが老婆の貧相な体躯に張り付き、骨と皮ばかりの様子を、骸骨だと笑う生徒もいた。そういう日には近所の人や誰かからビニール傘を恵まれるときもあった。ほかの同業者に盗まれるのか、数日もするとムシロの傍らからビニール傘は姿を消しているのだけれども。

 休みの日には、私は部活をしていないから学校に寄る機会もなく、老婆の生活を知ることはできない。ただ一度、ある日曜日に駅前の映画館に行ったとき、老婆を目撃した。例のごとく恰好はみすぼらしい。彼女は面を伏せて劇場を徘徊していた。とっさにどういう様子かわからなかった。ふいに老婆が屈みこみ、落ちているポップコーンを拾い、口に入れるところを見て、ようやく察した。いっしょに来ていた友人は顔をしかめて、きめえ、と吐き捨てた。

 館内には流行りの歌手のバラードが流れていた。恋人や家族連れでにぎわう日曜の映画館に、もくもくとポップコーンを探して歩く老婆の姿は、曲のせいかふだんよりも痛々しかった。老婆は周囲の視線を意に介さず、細く震えた指先で、白い破片をつまんでは口に放り込んでいる。

 観終わって、昼は何を食べようかと話しながら、劇場から出る。老婆はいまだ受付窓口を右往左往していた。ちょうど映画で、ひとの魂の重さはひとしく21gなのだと知ったところだった。拾い食いに終始している彼女を見ると、そんなの嘘っぱちに思える。何ひとつとして老婆と私との間に共通しているものなどないし、友人も同じ気持ちだったろう。「気持ち悪い」と友人は口にした。同感だった。


 老婆に対して学校は何らかの対処を取らないのか。そう問題になったこともある。しかし生徒に危害が及んだわけではない。老婆の居場所も学校の敷地外ではある。そこに乞食の老体っぷりも加味されたかもしれない。結局、なにか措置が講じられることはなかった。

 それを受けて、同級生の男子が、仲間といっしょになって老婆を挑発し始めた。そうすれば老婆の側から生徒になにかアクションがあるかもしれない。学校も無視してはいられなくなるだろう。そういう目論見で、あからさまに罵倒したりボールを投げつけたり大きな音を立てて脅かしたりといったからかいは、徐々にエスカレートしていった。ただ一方の老婆はどこ吹く風と、耳が悪いのか頭が鈍いのか、反撃の素振りひとつない。その仲間内のひとりがbb弾を当ててみようと学校に持ち込んできて、危ぶんだ取り巻きが教師に告げ口に走り、結局エアガンを没収されて終わった。エアガン襲撃を計画した生徒は体育館での集会で厳しく叱責を受け、それから私たちは、元通り、老婆に関わるまいという気持ちを強くした。どうしたって彼女は校門前からてこでもいなくなりそうになかった。老いぼれひとりであるのに、老いぼれひとりであるから、始末が悪い。老婆と生徒たちとの間は、それからしばらく冷戦が続いた。

 均衡が揺らいだのは、私のクラスが発端だった。

 方村という男子が、ある日、財布がなくなったと騒ぎ立てた。彼はあまり目立たない、地味な性格だったから、慌てふためいているその姿を見て、クラスメイトは敏感に異様な雰囲気を察知した。学級委員が、鞄の中は探したか、最後にどこで使ったか、家に忘れたのではないか、案外ポケットにあるのでは、などと矢継ぎ早に言い立てて、方村はいっそうパニックになっていった。鞄をひっくり返してもポケットを探っても財布は見つからないらしい。ひとりが財布探しの手伝いを申し出ると、またひとりふたりと、私含めクラス総がかりで捜索が始まった。保健室や体育館も手分けして探した。どこにもなかった。

 そのとき誰かが、ぽつりと言った。

「……盗まれたのかもしれない」

 クラスに沈黙が走った。盗んだ犯人は誰か。疑いの矢面に、誰もが老婆を立たせた。おあつらえ向きだった。

 間を置かず、担任にも話が伝わった。少しするとやすやすと伝播して、学校じゅうの知るところとなった。明確な証拠があるわけではない。犯人扱いは早計だ。クラスメイトたちのほうが疑いの目を向けられるべきだったかもしれない。しかしそのとき私も含めて、生徒の誰もが老婆をただひとりの敵とみなした。かねてからの老婆への反感はいっそうあらわになって、共通の信念として、老婆が犯人であるとみな断定していた。

 エアガンを持ち込んだ生徒に似た過激派はどこでも出てくる。私のクラスでも、腕っぷしの強く喧嘩早い男子を筆頭に、自警団めいたものがつくられた。こちらからの挑発では尻尾を見せないことは、先例によってわかっている。ならばと、彼ら自警団は、老婆のほうからぼろを出すのを待った。なにか不当で不法な行為の一個二個ないかと、老婆を明け暮れ監視する。方村の財布のことはいつの間にか隅に置かれて、あの物乞いを排除するきっかけを探していた。

 窓側の席の生徒は授業中の監視役を頼まれた。私もそのひとりだ。別段、今まで通りに授業を聞き流していればいいだけだから、不都合なことでもない。私は老婆の生態を観察していた。不格好な一挙手一投足を眺めるのは、たとえば国語のつまらない小説や数学のよくわからない方程式に向かい合っているより、時間をつぶすには気が楽だった。

 すぐに粗は見つかるだろう。しかし老婆も老婆で、なにか不審な行動をするということはない。普通の乞食と変わるところなく、無為に時間だけが過ぎた。そもそも老婆が方村の財布を盗んだというのに、そうであるべきなのに、証拠は出ない。相変わらず金欠の風体で正座している。当初は一枚岩だった生徒たちも分かたれ、飽きて関与しなくなったり、やっぱり実力行使あるのみといきり立つ者がいたり、犯人は別にいるんじゃないかと言い出す輩がいるかと思えば当の方村は財布を新調していた。まとめようはなさそうだった。私ばかりが、以前と変わらぬ習慣で、気を紛らわせがてら老婆を見下ろしていた。


   (2)


 すっかり夕暮れだった。

 私はふだんの不勉強がたたって、試験にて赤点をとり、居残り補習を受けていた。終わったころには十八時を回っていた。補習中にはグラウンドから聞こえてきた掛け声もいつしか絶えて、人の気配がとんとない。校庭に、校舎の影だけが冷たく伸びている。空はゆっくり青ざめていくようだった。

 自分だけが取り残されてしまっている。そんな意識に、周囲の静けさがさらに不安をあおって、歩調は速くなった。いつも目ざとく廊下を走るなと注意してくる生活指導の先生も、もう帰ってしまっているのだろう。一歩一歩と大股になって、昇降口まで一目散だ。下駄箱前でいったん呼吸を整えて、逃げるみたいに校舎を出た。昼間には教室に差し込む西日が堪えがたく暑かったのだけど、そんな名残もどこにやら、風がわりあい強く吹き、夏服ではすこし足らない。

 正門を抜けると、いつも通りに乞食はいた。いつも通りに無視しようと、私は早足に帰路をたどって、老婆が視界の端から消えた。

「お嬢ちゃん」

 声がした。後ろのほうからだった。振り向くと、老婆がこちらを見ている。彼女の声であるらしかった。弱々しかった。しわがれていた。

「な、な何ですか」

 とっさにろれつが回らなかった。

「財布、落としたよ」

 枯れ枝のような細腕がぷるぷると持ち上がり、アスファルトの一点を指さしている。視線をたどらせると、いかにも私の財布が、ぽつんと落ちていた。

 方村の財布を盗んだのは老婆じゃないと、私はそのとき直感した。どこかで落としたのか失くしたのか盗まれたのか、どうあれ老婆は無関係なのだ。

「あ、す、すみません……」

 私は小声になった。

 財布を拾い上げて、それから私は彼女と目を合わせることもなく、さっきよりも急いでわたわたと走り去ってしまった。老婆に面と向かい合うのが恥ずかしかった。さんざん犯人扱いしていたのが申し訳なくて、ばつが悪くて、入り組んだ住宅街の角を何度目か曲がったところで、ちくりと痛む胸に気づいた。顔も見ずにすみませんのひとことで済ませるのはあまりにそっけない。いくら相手が相手とはいえ、無用な疑いを勝手にかけて、親切をされたら礼の一つもちゃんと言わずに終わるのは、なんか、いやだ。

 もう一度引き返して、あの老婆の抱えている容器に、お礼として小銭でも入れようか。しかしそうしてお金を渡すのは、みょうに露骨で気が引ける。

 急ぎ足で私はすこし疲れていた。ちょうど目の前に自販機があった。とりあえず何か飲もう。そうして、思いついた。なにか飲み物を渡すのはどうだろう。直截にお金を手渡すよりは、まっとうな心づかいに思えた。缶コーヒーは私が飲めない。炭酸は老婆の口に合わないかもしれない。さんざん迷った挙句、ぶなんにお茶缶を選んだ。

 この時間帯にもカラスの鳴き声は聞こえてくる。くわぁー、くわぁーと不気味だ。食べ物ならいざ知らず、まさか缶は奪われはしないだろう。私は校門前まで戻った。

 老婆は相変わらずの態勢で、いまやまったく誰もいないだろう校舎に対して、黙って坐している。私はそのわきに立って、声をかけた。

「お婆さん」

 耳が遠いのか、何度か呼びかけてみた。

 老婆はゆっくり向き直る。そこで初めて、私はまともに彼女の眼を見た。閉じているのか開いているのかわからなかった。首の向きから考えれば、きっと目と目はあっているのだろう。外灯がぽつりぽつりと点きはじめて、けれど相手の瞳に、光は宿っていなかった。

 私は缶を差し出した。

「さっきは、その、ありがとうございました」

 すると老婆は呆けたふうに、私と渡された缶とをきょろきょろ見やって、

「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」

 何べんも頭を下げてきた。お金を恵まれたときに老婆がいつもしている、見慣れた行動だったけれども、自分がされる段になると、ぎょっとしてしまった。お礼を言いに来たのは私のほうなのだ。この調子では、私がさっき財布を落とした人だと、――このお茶はそのお礼だとわかっているかは不明だった。

 老婆は欠けている爪で器用にプルタブを引いた。静かにお茶を飲み下してゆく。喉元が上下している。

 こうしてまじまじ間近で彼女を見るのは、今までになかった。教室の窓からでは顔の細部は見えないし、登下校のときはすれ違うまでのわずかな時間で、それもじっと老婆のほうばかりに気を取られているわけではない。

 七十か八十か、それ以上か。顔にはシミやしわが巡っている。頬がこけているのはろくにものを食べていないからだろう。それでも例えばきちんとした家に住んで人並みの服を着ていたら、こんなふうなお婆さんは街中で見かけるだろうし、特別な注意も引かないだろう。着るものも着あえず、中学生相手に物乞いをして、映画館で食べかすを漁って、どうしてそんな境遇にあるのか、私はちょっと想像ができなかった。

 あの、と私は問いかけていた。

 どうして、いつもここにいるんですか?

 こんどは、一度言っただけで通じたらしかった。老婆は缶から唇を離した。飲み口に唾液の細い糸が引かれて、途切れる。私のほうに首を回して、長い長いまばたきみたいに、目を伏せた。

「孫ぉ……、が、いるもんでねぇ」

 科白の意味はわからない。老婆はまた飲み始めた。さらに追究する気は湧かなかった。そんな権利もなかった。質問攻めにしたとして、失礼を重ねるだけな気がする。たぶん私にはとうてい知りえない事情なのだろう。

 飲み干して、老婆は空き缶を、自分の傍らに寄せて置いた。さも大切そうに扱うから、捨てときますよと声をかけるのはためらわれた。

 老婆はすでに、横に私がいるのも忘れてか、例のごとく校舎のほうを、じぃっと眺めている。その横顔に、ふと、懐かしむような慈しむような、頬のゆるみ、きっといま、この人は何かを思い出して笑ったのだと、私にはそれだけわかった。孫とは男なのか女なのか、この中学校の生徒なのか教師なのか近所のひとなのか、老婆がただの痴呆というだけなのか。老婆は何を見ているのか。私は老婆を見ていた。白髪の乱れているのを見た。隠れていない耳を見た。彼方をまなざすうろんな眼を見た。血の気のない顔色を見た。すこし湿った唇を見た。頭の重さで支えきれなさそうな首を見た。細身を見た。左肩のあたりを飛び交う二匹の蠅を見た。ぼろ衣のほつれているのを見た。何もせずとも震えている腕を見た。容器を握りしめる手の小ささを見た。その指のしわくちゃに紛れて鈍く光る指輪を見た。重石を担いでいるように曲がったままの腰を見た。ていねいに折りたたまれた足を見た。肉付きのない足を見た。土や虫の死骸で汚れた足の裏が見えた。敷いてある粗末なムシロを見た。揃えて並べられてある破れ放題の草履を見た。老婆の胸を見た。たしかに動いている。私は今まで老婆の何をどこを見ていたのだろう。

「さっきは、ありがとうございました」

 そうお礼をふたたび告げて、私はその場から去った。

 私と老婆が会話をしたのはその日限りだった。あくる日からは今までどおり、たいていの生徒と同じくまったく無視して、授業中は赤点にも懲りず授業に集中することもなく、窓の外から見下ろしていた。急に彼女への態度を変えられるほど、私は気安くはなかった。クラスメイトの手前もある。老婆を犯人と決めつけている男子もいる。いつか映画館での友人の、気持ち悪いというひとことは耳にまだ残っている。私の実感がどうであれ、それをことばや行動に変えることはできなかった。


   (3)


 その歌手の死が報じられたのは、私と老婆のひとときの会話から、十日ほど経ったころだった。容姿もよくいつもテレビなんかに出ていて、誰でもいちどは聴いたことのある歌に、年代問わず好まれていたから、朝のニュースはその報道でもちきりだった。再三に代表曲がどの局でも流されていて、いい歌であるかもしれないが、しつこくて辟易した。

 学校でもおはようの次に歌手の話がどこでも出てくる。事故などではなくてほんとうは自殺したのだとか、自殺ではなくて他殺であるだとか、好き好きにめいめい思惑を語っているうちに、朝のホームルームの時間となった。

 それから授業はつつがなく進んだ。途中の休み時間になっても途切れることなく歌手の話題は盛り上がっていた。給食のときも、昼休みになっても、きょう一日はこのままこんな風であるらしい。

 五時間目を迎えた。

 みんな満腹感でうとうとしており、教室の空気がだらっとほどけている。そのときに、一羽また一羽と、鳴き叫ぶ声が上がった。くわぁ、くわぁああ。ああー、あぁああー。カラスだった。私は窓の外を見た。前後の生徒もそちらに目をやっている。きっと教室じゅうが注意を教壇からそらしたに違いない。あぁー、かぁ、くわぁー。私は老婆を見た。うつむいたままだ。あぁああー。かっかっかっ。二時間目のときくらいからそうしていたおぼえがある。うたた寝でもしているのだろうと放っておいた。カラスは今や老婆のまわりにたむろして、人間の様子をうかがっているふうだった。くわぁ、かぁあ。おもむろに一羽が老婆の顔辺りを突いた。反応はない。それを皮切りにして、カラスは老婆との距離を縮めた。頭の上にも乗られている。老婆が黒い羽毛を纏って着太りしているような、体じゅうにカラスが取り巻いて、影絵みたく映じた。何度つつかれているのか、シルエットはでたらめに揺れて、地面にやがて転がった。そのときばかりはカラスも驚いたのかぱっと退いて、またすぐに老婆のぐるりを席巻した。あぁー、あぁ、あああぁー。鳴き声がひどくうるさい。

 教室が騒然となる。「死んでんじゃね」と声があり、「カラスやば」と携帯で撮影する音が鳴ったかと思えば死ぬとこまで汚いとののしる声にみんな静かにしなさいと先生は叫んで、こらそこ撮るな、座りなさい。「キモいね」「どうなるのこれ」授業はまったく止まった。声は声を呼んで騒ぎが大きくなっていく。別の教室から窓をがららと開ける音が聞こえた。他のクラスもさすがに気付いたのだろう。私の教室もみんな窓を開けて、何度も携帯の写真の音がする。おい没収されるぞ。今は大丈夫でしょ。ふと先生のほうを見ると彼も窓から外の様子を注視していた。私はまた視線を、呆けたように老婆へ戻す。喧騒はやみそうにない。

 玄関口から幾人かの教職員が飛び出してきた。正門を出て、手あたりしだいに持ってきたのだろうか、掃除道具らしき棒切れやなんかを振り回して、カラスを追っ払ってゆく。三々五々に飛び逃げはするものの、電線や屋根におのおのとまって、攻撃の機会をうかがっている。くわぁっ、くわぁ、くわぁ。かっかっかっかっ。誰かが窓に走り寄って、外に思いきり何かを投げた。消しゴムだった。ひとりやりだすとほかの人も続いた。あぁあー、あああー。地面にバウンドする消しゴムにカラスが飛びついてくると、みな面白がって砲弾は続いた。別の教室からは紙飛行機も滑空していた。

 授業がつぶれておしゃべりの声も堂々と通った。飽きもせず歌手の死を云々している声もあれば下ネタに手をたたいて笑っている男子たちがいて携帯ゲーム機の音も聞こえる。それ新しいやつじゃん買ったの買った小遣い貯めたんだリップ持ってる乾燥しちゃったいいよはいいつ授業はじまるんだろうねくわぁーあぁあー次の授業も休みになるんじゃないかなならいいけどやっぱり失恋の末の自殺でしょネットで調べたらそうだった。

 私は老婆を見ていた。先生たちは棒切れを持ったままカラスとにらめっこを続けていた。倒れる老婆を助け起こす人は誰もいない。紙飛行機がまた一機、風にあおられて飛んで行った。いちばん遠くまでいったぜ。老婆について話す声は聞こえない。くわぁ、かあぁー。カラスだけが鳴いている。

 唐突で、あっけなかった。

 続く六時間目のときには数台のパトカーと救急車が校門前に停まり、大人たちが話し合っていた。誰かが言っていたとおり、六時間目は自習だった。監督の先生もいなかったから、教室からあからさまに声が漏れない程度に、近くの席の人と談笑したりゲームしたりしている。私は蚊帳の外から、大人たちを観察していた。彼らもやがて引き上げ、老婆の体もいっしょに連れていかれていった。ムシロもない。どうなるのだろう。老婆の遺体はどこかにいるか知らない身内に引き取られるのだろうか。このまま荼毘にふされるのだろうか。老婆の容器、あのせめてもの稼ぎはどこかに募金されるのだろうか。どうでもよかった。どうでもよくはなかったかもしれなかった。チャイムが鳴って、帰りのホームルーム。担任はひとことも老婆に触れなかった。誰も気にしなかった。授業にきちんと集中するように。教室から物を投げるな。そんなふたことばかりが、厳粛に言い渡された。

 放課後、私はクラスの掃除を終えて、ひとりで校舎を出た。正門前、いつもより見晴らしがいいのは、そこに何もないからだった。同じく下校する生徒たちはなにも気にせず帰り道に就いてゆく。つと立ち止まってしまった私のほうがおかしいに違いない。数羽のカラスが未練たらしくそこらに並んでいる。

 私に何も不都合はない。というのに老婆の死に後ろ髪をひかれてしまって、この感情を名付けられない。朝のニュースが、歌手の死が頭をよぎって、訃報ならほかでもいい、誰かの死と老婆の死を画するものはなんだろう。誰かに悼まれる魂と話頭にさえろくに上らない魂とを分かつものはなんだろう。やっぱり重さは同じではないらしい。老衰だろうか。事故死だろうか。自殺だろうか。他殺だろうか。どうでもいい。どうでもいいね。私ひとりが何事か想ったところで、どこにも届きそうになかった。

 私はあの日と同じ、老婆のいたはずの場所の傍ら、そこに少したたずんでみた。手を合わせるほどの理由は見つからなかった。手を合わせたところでどう祈ればいいのか。

 はたと、見つけた。道路と塀を仕切る箇所に細い側溝があり、そこにお茶の空き缶が、すっぽりと嵌っていた。私がこのまえ渡したものと同じ銘柄。他の人がたまたま捨てたものだろうか。それともあのとき以来、老婆がずっと大切にとっておいた代物だろうか。私はしゃがんで、爪先が汚れるのもいとわず、空き缶を取り出した。すっぽりはまってしまっていたから、ちょっと苦労した。

 どうしたの、大丈夫? お腹でも痛いの?

 背中から声をかけられる。かえりみると上級生の女子だ。道端でうずくまっている私を心配してくれたのだろう。

「いえ、違います、大丈夫です」

 早口に返事していた。親切な先輩を振り切るように、私は駆け出した。違う。どこも痛くない。違った。

 通りがかった公園に、私は足を向けた。何人か小学生が遊具のまわりではしゃいでいる。子どもをあやしているお母さんがいる。ベンチで座って一休みしている老夫婦がいる。公衆便所の手前にごみ箱が設えられていて、私はずっと握ってきた空き缶を捨てた。缶どうしぶつかって甲高い音の一つふたつ鳴って、終わった。

                        (了)

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