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掌編 ライカ

 中学に入るまで、父の仕事でわたしは日本各地を転々とした。同じ日本語なのに少しずつ違う言葉、違うブーム(引越し前の小学校ではポケモンがものすごく流行っていたのに、翌週次の場所に行くとカービィが流行っていたりした)、そして総入れ替えされるクラスメイト。わたしは、おそらくまたそう遠くないうちに別れることになるだろう子供たちの顔を、一瞬で覚えて未練なく忘れるという特技を身に付けた。顔は覚えても、一定の距離を持って付き合った。別れるときに悲しくなるから無意識に防御したというようなことではない。父の転勤のペースと、わたしが人と仲良くなる速さが合っていなかったのだ。

 そんな中で、引っ越しをしても手紙を交換しようと言ってきてくれた子がいた。

 その子と同じクラスになったのは、小学校低学年の時だった。当時のわたしは、自分がどういう子供か分かっていなかったし、きっとその子もそうだった。だから、のちのクラスメイト達よりもわたし達の距離は近かったのだ。転校する日の前の日、わたしは母親に書いてもらった新しい住所のメモをその子に渡した。夏は蒸し暑いことで知られる、その子の住む街の次にわたしが向かったのは、どこまで行っても人と家ばかりの中途半端な都会だった。

 その子からの手紙は大体一か月に一回届いた。二週間でその子が書き上げて送ってくれた手紙に、わたしが次の二週間で返信したからだ。最初のうちその子は、わたしたちの担任の先生の話や、クラスメイトがああした、こうした、ということを書いて送ってきた。対してわたしは、ここの校庭が狭いこと、新しい担任の先生の口ぐせが変なことなどを、なるべく面白く思ってもらえるように書いて送った。新しい友だちの名前は二回目の手紙に書いたけれど、その子が悲しむかもしれないと気付いてからは書かなくなった。そのうち、わたしは時計台で有名な寒い場所に引っ越すことになった。

 わたしが行く先々に、その子の手紙はついて回った。その子の手紙には時々写真が同封されてきた。くりくりとした目ばかりが目立つ、愛嬌のある顔だったその子の首はすっと伸び、トレードマークだった編み込み三編みの髪はばっさり切られていた。母に言われて、わたしも写真を送った。その子とも遊んだことのあるわたしの弟と、わたしがとうもろこしをかじっている写真だった。

 あの頃、わたし達が何をやりとりしていたのか今ではまったく思い出せない。ふたり共通の話題など、とっくに尽きていたはずだった。手紙は長い間お菓子の空き缶に大事にしまっていたが、あまりの多さに片付けられないでいたら、母に古い順からこっそり捨てられていたようだった。一つだけ覚えているのは、その子が「私もゆきちゃんのところに行きたいなあ。どこかここじゃないところに」と書いていたことだった。

 それを読んで、なんだか胸のあたりがむかむかしたことを覚えている。その子に怒りたいのとも違うし、悲しいのともちょっと違うような気がした。わたしだって、その子の住んでいるところでも、去年住んでいた大阪でもいい、どこかにずっと住んでいられたら、別のわたしになったかもしれないのにと思った。しかしわたしは今のわたしではない別のわたし、なりたいわたしというものをちゃんと持っていたわけではなかったように思う。

 そのあと、もう一回の引っ越しを経て、その子とのやり取りは途絶えた。父いわく急な欠員がでたとかで、十分な準備ができずに引っ越しすることになって、その子に新しい住所を伝えるのを忘れたのだ。当時は引っ越し後の郵便転送サービスもなかった。その子は、あて所に尋ねあたりませんというハンコのついた自分の手紙を見ただろうか。それとも、待てど暮らせどこないわたしからの手紙を待っていただろうか。
 そう、本当は引っ越しのあとでも、わたしからその子に手紙を送ればよい話だったのだ。それをしなかったのは、受験で忙しかったとか、当時家庭がゴタゴタしていたとか、色々理由はあるけれど、その子への気持ちが薄れかけていたことが大きかったはずだ。

 その子と十年ぶりに再会したのは、新聞の見出しの上だった。その子の苗字は忘れてしまっていたけれど、名前は珍しいから覚えていた。

 山科らいか氏 日本人として初の宇宙探査船クルーに

 その宇宙探査船は、地球外生命体の探索、および地球人の移住星探索をミッションにしていて、本当に有人船にする必要があるのか、クルーの人権問題になりはしないかと散々議論されたのちに計画決定されたものだった。どの国の政府もおおっぴらには言わないが、現在の宇宙科学技術では、実質片道切符だということだった。

 確かにその船なら、ずっと「ここではないどこか」を追い求め続けられる。わたしは喉の渇きを感じながら、宇宙服を着た彼女の写真を眺めて一人微笑んだ。わたしのような小さな存在が、彼女のここではないどこかであり続けることなど、きっとできなかったのだ。

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